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緑風さん待兼山に行く

20数年前サラ金がバッシングを浴びていた頃、消費者金融のもう少しよいイメージの呼び名はないものかと、緑風さんから相談を受けた話は以前に書いた。サラ金は誕生してまだ間のない頃で、英会話教室と同じで、各都市の駅前ビルに多店舗展開真っ最中だった。緑風さんは地方都市に出張続きで、月に3店舗くらいの勢いで出店、ほとんど休日もなかった。創業者は実兄で彼は、実行部隊のトップだった。
緑風「今僕は自分の実力以上の仕事をしている」(能力以上の仕事を前に、人はどう感じるのだろうか。ちょっと想像がつかなかった)
B「金融業で一番のマイナス、ネックは何ですか?」
緑風「それを相談したかったんだ。焦げ付きが物凄い金額になる。あらかじめ客筋をチェックする方法がないものかと。性格判断ができるアンケートのようなものかなにか」
B「心理学と統計学ですね」
緑風「Bruxellesさんの知り合いのO大の心理学の先生に力を貸してもらえないだろうか」
緑風さんには、私の好みに合わせて、American Ballet TheatreのダンスパフォーマンスやJuliette Grecoのコンサート、鈴鹿のカーレースなどに連れて行ってもらっていた。
B「わかりました。電話しておきます」
Y先生は当時、心理学の助教授でしかも統計学と情報処理の専門家だった。これ以上の人材はいない。しかし、人間のつく嘘まで考慮にいれて、債務者の質の良し悪しをはじき出せるものかどうか。

・・・
確か中ノ島にあったと思う。そこはきわめてexclusiveな会員制のプレイボーイクラブだった。ドアのない広々とした、けれどほとんど個室のような部屋に、噂に聞くバニーガールが、お耳とシッポをつけた例のムチムチウサギちゃんスタイルで現れたときは、さすがにギクッとした。モデルかそれ以上のスタイルをしている。美人だ。よほど収入がよくなければ、ここまで露出するいささかハレンチな格好はできないだろう。膝を折って視線を下げて、下から仰ぎ見て、バーボンを注いでくれる。女性の同伴者がいる場合は、その女性に決して不愉快な思いをさせないことこそ、彼女たちの徹底的に教育されたマナーなのだ。
緑風「役員としてお迎えしたいと言ったんだけど、国立大の教官は副業が出来ない決まりになっていると断られた」
B「残念です。無駄足だったんですね。申し訳ないです」
緑風「とんでもない。紹介してもらったおかげで、研究室に案内してもらい、自らお茶まで出してもらって、じっくり話も聞いてもらった。逆に質問までされた」
B「どんな?」
緑風「クレジットカードや身分証明書を妹の主人が落としたんだけど、拾った人に悪用されて、サラ金でお金を借りられることはないか、って」
B「他には」
緑風「利息は何パーセントですかって。言うのが恥ずかしかったよ。高利貸しというだけあって、あまりに高金利なので」
B「それで、例のアンケートは?」
緑風「技術的には債権者の質の事前識別は可能だって。詳しく説明してもらった。そういうパッケージをシステム的に作ればいい。その前にこちらもそのデーターをたくさん出さなければならない。統計分析のパッケージは可能だから、後は目的の個別化だけだ。それを聞いただけでも、物凄い収穫だったよ」

・・・
「利息を言うのが恥ずかしかった」と言った緑風さんの良識に心を打たれた。サラ金はバッシングされていたが、過度に自己防衛することも、過度に自己正当化することも、彼にはない。
「今はサラ金は悪者だけど、いずれ社会認知される日が来る。TVCMも、2,3年以内に流せる日が来るだろう。数年後には成長の仕方いかんによっては、上場企業にもなる筈だ」・・
緑風さんが予言したように、今、サラ金は知名度の高い一部上場企業になり、サラ金と言うイメージも言葉も消えている。それだけではない。信用第一の大手都市銀行で、サラ金と業務提携、資金提携していないところはない。業界第5位の緑風さんの会社も例外ではない。
ただ、創業者社長のお兄さんは数年前に病死された。緑風さんはそのもっと前に会社を去り独立されている。

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Florent PAGNY 「Ailleurs Land」
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犬に名前を法の裁きを

2005年5月27日 (Fri) 18:27:48

その年はミリバールからヘクトパスカルに気圧の単位が変わった年だった。

Bicketは旧家の一人息子で、広いお屋敷に住んでいる。両親とも元教師。大きな門を入ったところに老犬がいる。
「名前は?」「無しです」「ずっと?」「はい。もう弱って目も見えない。人が来ても吠えもしない」

ある時「犬を飼いたいのですが」と電話がかかってきた。ちょうどTTから「犬を貰ってくれる人いないかい?」と電話があった後だった。何も連絡しないでいきなりBicketの車でTTの家まで行った。庭先で犬が10匹ほど吠え立てている。さぞかし近所迷惑だろうと思う。近所の人に「行き先わかりますか?」と聞いたら「多分パチンコ屋だと思う」ということだったので待った。結局夕方の4時から夜の8時まで待った。町内会の旅行に行っていたらしい。残った6匹中オスは1匹だけで、後の5匹は保健所に持っていく、ということだ。まだ目も開いていない。足も立たない。小さな私の手のひらに乗る。「名前を考えてください」帰りの車の中でBicketが言った。Bicketの家に到着してその犬にミルクを飲ませた。当分Bicketの部屋の中で育てられることになった。
「賢い犬になるように、パスカルにしよう。ついでに玄関にへたり込んでるあの老犬にも名前を付けよう。あの老犬はヘクトよ。どお?」「OK有難うございます」

5月の連休にBicketの家のGardenでBarbecue Partyがあった。アメリカ仕込みのステイキとハンバーグをバンバン焼いてくれる。パスカルは白いやわらかい毛が生えて、可愛い、でもまだヨタヨタの子犬になっていた。ヘクトも家人からヘクトと呼ばれていた。名前って、本当に存在と密着し始めるものだと、名前の不思議を感じた。

犬の名前。実は、TTの家で、Bicketと私を唖然とさせる場面に出くわした。なんとTTが、飼っているメスの成犬の1匹を「Bruxelles」と呼んだのだ。そのBruxellesは尻尾を振って走ってきた。Bicketが思わず私の顔をみた。人を不愉快にするこういう行為を、法に訴える手立ては無いものだろうか!!

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「Salade de fruits」 Bourvil
 確か森山加代子が昔日本語で歌っていた。

隠れサッフォーの店

隠れサッフォーの店 2004年7月30日 (Fri) 19:00:12

’70年の日本は青年だった。万博があり大阪城では反博もあった。その1月に祖母が死んだ。前年人類が月に立つのを祖母は見た。アポロ11号。私が生き抜いて大学生になるのも見た。山村祐が主幹の第4の短詩系運動誌「短詩」のエッセイの部で年度賞を受賞しその賞品の書類箱を祖母にプレゼントできた。けれど祖母が愛した大阪の実験的未来都市、大阪万博を祖母は見ることが出来なかった。
なんだか馬鹿のように万博ばかりに行った。現代音楽と現代アートの実験場だったからでもある。

短詩は「一行の詩 地に塔のごとし」というキャッチコピーを持って、短歌でも俳句でも川柳でもない、新しい短詩系文学を目指していた。年配者には前衛川柳出身者が多くその頃無名だった時実新子も出入りしていて、娘の吹田まどかは生き生きとした作品を発表していた。私も1行詩にのめり込んだ。
若者は競ってエッセイを書き理論武装に励んだ。若いエネルギーがその組織をあっという間に自爆させてしまった。日本の短詩系運動史に、何らかの痕跡を残すことが出来たのだろうか?
何人かが独自の個人誌を発行し始めた。神戸のマッサージ師平田さんもその一人。「短詩峡」を発行した。

1度誘われて平田さんと一緒に万博に行った。平田さんは身障者手帳を持って真っ黒なあんまメガネをかけている。私は例によって黒のサングラス。するとどうだ。スーイスイスイ。全然並ばずに入れる。1日でほとんどを見ることが出来た。居酒屋に行って、それから平田さんの文学仲間のスナックに行く。そこが隠れサッフォーの店だと言うことを、平田さんは知らなかったようだ。

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ビオレット・ルデュックの「私生児」に話が及んですぐにわかった。オーナーの薫さんは20数年来のパートナーと店を切り盛りしていた。

その昔、防空壕の中で同僚の教師に震える思いで恋を打ち明けたらしい。明日死ぬかもしれない。二人の若い気持ちがメラメラと火花を散らして・・。やがて生徒の知るところとなる。この辺はまさに「噂の二人」。校長に呼ばれる。「不徳のいたすところです」その言葉を残して、二人、故郷を出奔。薫さんは神戸のキャバレーの従業員になる。ポマードこてこてのチンピラアンちゃんに突然顎でこき使われる。やがて進駐軍が登場、接収、御用達のレストランになる。愛しき人は現実に慄いてすぐに帰郷。薫さんの肉体労働に明け暮れる孤独で過酷な人生が始まる。
(カミングアウトの書「あるエトランゼの日記」1999年ビレッジプレス刊にそのあたりの詳しい記述がある)
(手塚治虫が「アドルフに告ぐ」で同じく神戸の戦後をリアルに書いていたような気がする)

この店は隠れだけあって、サラリーマンがカウンターにずらりと並ぶ日もあれば、サッフォー達が集まる日もある。また薫さんは文学に情熱を燃やしていたので神戸の様々な文学仲間の塹壕にもなっていた。
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「この抽象的なるものの中で」の会期中、私は一度コンサルタントに相談してみた。
B「私は、Bさんのこと、本とに好きなのかなあ」
姫「Bさんがね、Bさんがね、ってBruxellesちゃんしょっちゅう言ってるから、きっと好きなんじゃないの」
B「ふ?ん」「じゃBさんはどお?」
姫「聞いてみたら?」
B「クックックッ。そんなバカな。Bさんの気持ちよりも、第3者が見て、どういう関係に見えるのかなと思って」

言っている途中で思いついた。明日、三宮のあの店にBさんを案内して、薫さんに紹介してみよう。自分のアイデアがすごく楽しいものに思えて、一人で笑い出してしまった。

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[Tous les bateaux tous les oiseaux」
       par MICHEL POLNAREFF

(7) 繊細孤児


(7) 繊細孤児 2004年7月18日 (Sun) 0:09:22

「写真、持って来てくれた?」
「こんなのでいい?どうするの?」
「これを胸のポケットに入れて、てへへ」
本当に嬉しそうな顔をしてTTは笑った。

ずっと前Ryookoと一緒にバイトした。多分Ryookoのお父さんの知り合いの人で、弁護士にして政治家の事務所。そこで年賀状書きのアルバイト。6人で毎日朝から晩まで、何日続いたろうか。次から次と名簿が出てくる。選挙とはそういうものなのだろう。

そういえば、さらにその前、実際選挙運動のバイトもした。車に乗って白い手袋をして手を振るあれ。あれはイベントとして結構楽しい。友達の親戚の人の初立候補。大きな団地の自治会長。死ぬまでに一度陽の当たる場に出てみたい、というそんな人だった。組織票もない。選挙も素人。政治知識もない。選挙屋のやり手青年が仕切っていた。アルバイトは指示に従えばいいだけだから楽。大事に扱ってくれる。・・・後で結果を友達に聞いた。最下位、200何票しか入らなかった。素人は立候補を考えてはいけない。

年賀状書きのバイトで三田さんと知り合った。三田さんに連れられてインタープレイ8に行った。そこにTTがいた。TTは三田さんの先輩。寿司屋に案内してくれた。バーにも連れて行ってくれた。見るからに善良そうな人。いつもニコニコしている。思えばその頃すでに社会人だったのはTT一人だった。

TTも二階に行ってBさんと話して帰った。「よくしゃべる、楽しい人ね」Bさんが言う。そのあと「何にも分からんくせに」と小さな声ではき捨てた。確かにTTはArtに関してあれやこれやしゃべるのだけど制作者じゃないので、どこかずれている。
TTは自分も含め気のあう友達を”繊細孤児”と呼んでいた。三田さんもRyookoも健二も私も。そしてTT自身も”繊細孤児”。すごくピッタリなネイミングだと思う。みんな社会からも家族からも要するに一般から”繊細なるが故に”はみ出てしまっている。

BさんはTTが私を連れてニュースに行ったことを知っている。TTはニュースの常連で、Cさんともママさんとも知り合いだ。Bさんは多分そのあたりが嫌だったのだと思う。TTにしても私がBさんに愛想を尽かすように仕向けるために、ニュースに連れて行ったのだから。

「Bruxellesさん、あの人いつもニュースでBruxellesさんのことばっかりグチャグチャ言ってるらしいよ」
「お酒がないと自己解放出来ないタイプ」
「どうするつもり?」
「別にどうにも」
「ニュースからも電話してくるでしょう」
「長いから受話器肩にかけて、TV見てる」
「あの人、帰るまでに道に倒れて、そのまま寝るような、壮絶な飲み方してるらしいよ。特に最近」
「あの人ね、昔チャーリーって言うアウトローの友達がいたんだって。その人がビルから飛び降りたらしい。もう何年か前だけど。ここら辺りでは有名な話らしいよ」
「違うでしょ。Bruxellesさんのせいでしょ。可哀想に」
「そういう同情はあの人にとても失礼だと思う。」
「Bruxellesさん、今夜、呑みに行く?」「賛成!!」

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Nicolas PEYRAC 「So far away from L.A.」


(4) Bruxelles仕事をする

(4) Bruxelles仕事をする 2004年7月10日 (Sat) 16:21:50

黙っていたら外に遊びに行くので、中村さんは私に貸借対照表作りを命じた。イヤダイヤダと思いながら数字を記入していく。静かだ。と突然中村さんが中腰で立ち上がり「パカパカパカパカ」と口で言いながら、どうやら馬に乗っているつもりの動作を始めた。ギクッ。「ちょっとちょっと中村さあん、大丈夫ですか?」と、叫ぶと、中村さんの表情がパッと変化して覚醒。「えェ、ワシ、どうしてんやろ?ここは何処、ワシは誰?」・・見事な演技である。
「昨日馬券当たったんですね」
「そやがな、そやがな」
中村さんはノートに馬券記録をつけている。
「では、行ってまいります」「気をつけて行くのですよ」
勝ち馬券を換金に行くだけで10%貰える。

西天満にある大阪で2番目に古い現存のビル。正面に右から左へ大江ビルヂングと書いてある。雰囲気は大正時代。裁判所に近いので4分の3は弁護士事務所。そこの3階。仕事をしているのは中村さんと、中村さんの弟さんと私の3人。戦前からの会社で社長は死亡。しかしいまだに社長の自宅に毎月給料を届けている。

中村さんは頭のいい人で、仕事に無駄がない。本当は部長とか呼べばいいのだけれど「中村さんでいい」ということだった。帝人、福助、ユニチカ、東レ、トーメン、日商岩井、伊藤忠、丸紅、イトマン、三井物産、神戸通関、船会社、銀行・・結構外出が多い。重要書類も多いのでタクシーもよく使わせてもらった。キタを歩くと知り合いにあう。喫茶店でお茶を飲んで・・また知り合いに会う・・すっかり仕事を忘れて2時間遊んで帰って1度ひどく叱られた。仕事はいつも上の空。用事のないときは、何をしてもいいということだったので、初めのころは簡単な洋書を毎日1冊読破して語学力を鍛えた。

「中村さん、言われたように書きますけど、為替が動いたからといって、1度決まった価格の値上げのお願いは言いにくいです。契約という概念が日本より厳しく守られるべきだと考えられていますし・・訴えられますよ」「訴えられたらBruxellesさんが被告としてオランダのハーグに行ってください」「(なんでやねん!)」
隣の法律事務所、今、金大中事件が来てるみたいですよ」「また調書読みにいくのでしょう。それ書いてからにして下さい」
「あそこ暴力団ばっかり来るのに、皆菓子折り持って、緊張しまくって、神妙でその上腰が低い」「Bruxellesさんは、いつもあそこでその暴力団のお菓子を上田さんと食べてるんでしょう」「それだけじゃなくて新年会にも出席してます」

中村さんは英文がしっかり読めるが、書けない。私はタイプが打てない。中村さんのビジネスの内容を私が英文にして、中村さんが人差し指2本を使って物凄いスピードでタイプしていく。急ぎの通信は帰りに電報局に立ち寄ったり、早朝電話で「ロンドンL、メキシコM・・」などと電報を受け取ったりした。

中村さんの弟さんはもっぱら営業。趣味人でドイツ語と絵画とバイオリンが得意。京響で演奏していたことがあるらしい。1度、ムンクの思春期の複製が欲しいと何気なく言ったら、本当に模写しプレゼントしてくださった。元特攻隊員。中国で捕虜になって脱走した話は、スリルがあって1度聞いただけで、忘れない。東レの森本さん(ロシアが崩壊するころ、ロシア通の国際評論家としてよくTVに出演された森本忠夫氏)と一緒に脱走された。一方中村さんは実際体力もないのだけれど、明日出撃という時、病気のふりをして倒れ、命拾いしたとか。賢弟愚兄、中村さん自ら認めている。

この大江ビルヂングはABC画廊から歩いて7分。中村賢弟も、絵画作品を見るために何度かみえた。
「あのひとは、どこかのバーのカウンターでトランプを手に自分の運命のカードを切っている、そんなイメージが似合うね」中村賢弟のBさん評である。

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「Ca plane pour moi」 Plastic Bertrand
大人気だったのに、何処にいちゃったのか、もうサイトもない。



女って、そんなもんか?

女って、そんなもんか? 2004年6月14日 (Mon) 17:45:02

人は誰かに語らずにはおれないこと、又はそんな時が有るのかも知れない。いつまでたっても整理できない状況に嵌まり込んでしまった時とか。

あの時何年ぶりに会ったのだろうか。個展案内が来た。珍しくもない。ただ今回は会場がミナミの大きなジャズラウンジだった。本人も待っているとの事。2ヶ月前にもZの個展に行った。その時画廊の主が、Z先生の素晴らしさを目を輝かせて語るので、多少面食らった。私の知っているZはそんなにも人から賞賛を受ける、カッコいい人物ではない。
とにかくカウンターに座った。ここでもいきなりマスターがZの人間性を褒め称えた。自分がZと知り合いであることがどんなに光栄か。Zが右隣に座った。昔と同じ冴えないおじさんのZがいる。大きなラウンジの壁面のほとんどにZの油絵がある。この会場を使うのは誰の企画?と聞いた。Zは自分の右隣の女性を指さした。女性が会釈する。この仕事は自分にとって大きな喜びです、と口に出さなくても、その会釈が物語っている。

ちょっと席を替わろう。Zが言って、カウンターからかなり離れたテイブル席に移った。そしてZには珍しく一気に語り始めた。
「8年間付き合った人がいたんだ。一緒に住んでた。俺の娘もよくなついてた。プロポーズした。記念旅行のつもりで娘と3人でハワイにも行った。8年間順調にやって来たと、俺は思ってた。俺はそのままでも良かったんだけれど、彼女のためにケジメをつけようと思ったんだ。彼女も喜んでた。式の案内状も出して。ところが結婚式の3日前に、ドタキャンだよ。理由は自信がない。あなたのことが本当に好きかどうか、本当に好きでここまで来たのかどうか分からないって言うんだ。俺と付き合う前に、彼女男に失恋したんだ。それで、闇雲に俺に縋り付いて生きてきた。そうそう、前の男を忘れるために俺と一緒にいたって言うんだよ。俺としては俺の信じた8年間を完全否定されたわけだ。Bruxellesよ、女ってそんなもんか。俺は一体何だったんだ。当然そんなこと言い出して、そのまま一緒にいるわけにもいかない。出て行ったよ。泣きながら。こっちが泣きたいよ。何がなんだか分からなくなった。頭の中がぐしゃぐしゃ。さっきの女性?あの人は彼女の友達。彼女が居なくなったら、入れ替わりみたいに向こうからやってきた。その後?自分から去って行ったくせに、俺のこと気になって、時々ウロウロ覗きに来るんだよ。わけわからん」

彼女の言った事は、彼女の正直な気持ちなんだろう。失恋がつらかった。8年間ひたすらその悲しみから逃れるために走ってきた。8年間、目の前の男の存在は実は見えていなかったのかも知れない。ドタキャンは彼女の誠意なのだろう。しかし、こんな女に当たった男は、堪らない。
もっともっと若い頃,Zの仲間たちとミナミの情報誌を作ろうと、千日前の絨毯バーに集まったことがある。映画の中の登場人物でしか見かけないような、実に多様な人達があのバーに集まっていた。そういえば元警官だというあそこのマスターもZを心底信頼しているZの友達だった。以前ZXおじいさんが言っていた。「Zとスカイタワーのレストランに行ったら、なんだかボーイの態度が違う。多分あいつは有名な映画監督か何かに見えるんだろうな」 知らない人が見れば、映画監督や芸能関係者に見えるのかも知れない。

「俺が地獄の苦しみを味わってるときに、彼女の別の友達がやってきたんだ。絶対迷惑かけないから、未婚の母にならせてほしいって言うんだよ。認知だけはしてほしい。責任は全くない。義務もない。設定も全部自分がする。費用も一切自分が出す。お願いだから協力してくださいって。Bruxellesよ、女の頭の中はどうなっているんだい?シンガポールに行ったんだ。きっちりオギノ式で計算して。俺?俺はその時もうグチャグチャで、人格も何もないよ。その女は預金通帳を見せて、これだけあるから、金銭的に迷惑をかけることは無いって。すごい金額だったよ。俺に惚れてたのかって?種馬かも知れないし。選ばれた?選ばれたくないよ。人生の皮肉だね。それが3日間の旅行で、生まれたんだよ。勿論一度も会ってない」

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「Madame Arthur」 par Yvette Guilbert
Barbaraはこの曲や、「Le fiacre」等、Guilbertものを昔歌っていた。この曲を聴くと今は亡き小円遊や、柳亭痴楽の艶っぽい小話をいつも思い出す。



クスリ

クスリ 2004年6月10日 (Thu) 0:20:22

雑談編:
G:「Bruxellesはね、りりしくないから多分女にもてない」
B:「女にもてようなんて、思ってないもの」
KK:「Bruxellesちゃん、僕に初めて会った時さ、Playboyの、女をくどく方法、なんて本くれるんだもの。英文の。ホモの僕にさ」
B:「ええっ!クックックッ、そんな事ありました?全然覚えてない。大変失礼いたしました。クックックッ。新橋の歌舞練場で初めて会ったのは覚えてるけど」
KK:「演舞場、新橋の」
G:「Bruxellesって笑うときクックックって笑うのね、いつも」
B:「あのね、これは息を節約してるの。ハッハッハッと笑えば、酸欠になるから」
KK:「時々、フッフッフッとも笑う」
B:「それでよく、人を馬鹿にした笑いだと言われる時もある。フッフッフッと笑うのは酸素をリサイクルしてる」
G:「大変ね。KK、この人ね、クスリをご飯のように主食にしてるの」
KK:「何のクスリ?僕メキシコで、新ちゃんと薬使ってセックスしたら物凄くて、そのたんびに、使ってたことある」
B:「医薬品で心臓充分やられてるから私はクスリは出来ない。前に友達の部屋で7人でLSDやったことあるけど、自分ひとりだけやらなかった」
G:「私はハッシッシやったけどあんなの効かないね」
B:「あれは吸い方があって、正しくやらないとダメみたいよ。充分吸わないと全然効かない」
KK:「それに純度というのが重要」
B:「三角地帯のより南米の方が良いのがあるかもね」
G:「LSDってどんなの?」
B:「紙に沁みこませてあって。その紙を舌の上に乗せる。そしてジワジワ溶かせる」
G:「で、どうなるの?」
B:「KNさんが最近LSD使って詩を書いてるみたいよ。もともと精神病患者の薬で。Tripしてる人を観察してると、ジーとして全く動かない。『そんなに退屈?』って聞くと『心の中で物凄い事が起こっている。退屈と全く反対』って言ってた。錯覚とか幻覚の大群が押し寄せてくるんじゃないの?」
G:「あー、つまり、アヘン患者のように、じっとしてるけど心は現実の裏側状態でhappyなのね。で、そういう国民にしてしまえば、武器で戦わずに占領支配できちゃうわけだ」
KK:「戦意のない国民をつくれば何も戦争する必然性もない」
B:「戦争直後のヒロポンって流行ったみたいね。その年代の人に聞くと、ほとんどの人が体験してる」
G:「ああ、なんか、勉強するなら物凄く集中して出来るんだってね」
KK:「あれも、じゃ一種の占領政策だったのかなあ」
B:「一億玉砕気分は、少なくとも吹っ飛んだでしょうね」

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伊丹空港編:
香港からインド、アフガニスタン、イランを通ってトルコまでいくアジアハイウェイというルートがあるそうな。俊夫(仮名)は買ったゴリラかモンキーをペットにポンコツ車でそのあたりをウロウロしていた。前の年はヨーロッパと北欧、その前の年は北米、この数年でどんどんアウトローになっていく。空港まで出迎えに来てほしいと言う電報が来て伊丹に来たんだけれども、全然出てこない。もう最終便も到着して最後の乗客も帰った。この便に乗らなかったのか?乗客名簿を見せてもらおうか。もう少し待ってみよう。・・パイロットやスチュワーデスも出てきた。もう誰もいない。もう少し待ってみよう。あッ、電気も消された。このままでは帰りのタクシーも無くなる。それに暗い。今ここにいるのは私ひとりか?おかしい。逮捕されたのだろうか?麻薬不法所持。バカみたい。毎日絵入りで届くエアーメイルはTripとマスタベイションのことばっかり。タイで12歳の女の子が部屋に身体の押し売りに来たという話もあったけれど、何を考えているのやら。いくらなんでももう帰ろう。いや、もう少し待ってみよう。もう帰ろう・・。そこへ俊夫が満面の笑みを浮かべて、ゆっくりとこちらへ向かって手を振りながら歩いてきた。
「何かあったの?」「調べられてた」「やっぱり。それで?それにしても時間かかりすぎでしょう」「徹底的にやられた」「というと?」「つまり肛門の中まで調べられて、最後に浣腸までかけられ・・」「そこまでされて、よく笑ってられるね」「出迎えに来てくれて有難う」「見つかった?」「大丈夫。こっちの頭の方が一枚上手だ」「あほらし」

大きな手作りの何かの原石のネックレスをくれた。それから次にセロファンに包んだ墨の塊のようなものを取り出した。」「何処に隠してたの?」「メンソレータムの中」「これをどうするの?」「これを削る」鰹節のように削って、それから粉々にする。タバコを解く。タバコを巻く紙を取り出しそこにタバコの葉と粉々にした××を混ぜ合わせ、紙で巻く。・・(以下省略)

約10年後、New Yorkで、ミュージシャン修行をしている元生徒に会ったときも、その子も俊夫と全く同じ循環生活に入っていた。同じ作業工程で同じ様に吸う。音の聞こえ方が全然違うといった。レイモン・チャンドラーファンで、ニックネイムはチャンドラー。少し小太りだ。チャンドラと言えば、中国から超日王と言われたグプタ朝のチャンドラ・グプタ2世が私には筆頭に思い浮かぶ。「あなたは小太りのチャンドラだから、チャンドラ・グプタでなく、チャンドラ・プク太、と言う名前にしましょう」彼はその提案をいたく気に入ってくれた。あれから何年、New Yorkにとどまったのだろう。一時ミュージシャンとして活躍していると言う噂を聞いたが、その後の消息は杳として聞かない。

1ヵ月後梅田の地下街を歩いている時、私はジーザスクライスト・スーパースターに会った。その国籍不明の本格派ヒッピーは黒い布を地面に広げてアクセサリーを売っていた。「Bruxelles!」声をかけられて、初めて気づいた。俊夫だった。_________

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「Un accident」 par Michel Sadou 迫力のある歌です。


Bruxelles 卒倒する

Bruxelles 卒倒する 2004年5月8日 (Sat) 18:44:13

新宿3丁目の文字が見えた。次に気づいたら沢山の人の顔が輪になって上から私を眺めていた。地下鉄のドア付近で倒れたらしい。ああ恥ずかしい。すぐ起き上がった。大丈夫です大丈夫です。何人かの人が支えてくれた。駅員さんも走ってきた。乗客が去って駅員さんが両側に立っていた。「もう大丈夫です」と言ったつもりだったがまた倒れた。担架がやってきた。私は担架に乗せられ階段を上りながら「降ろしてください。今日中に大阪に帰らなくちゃ」と叫んだ。駅長室で担架を降りた。「どうされたんですか?」「今から大阪に帰るんです。有難うございました。」と言いながら、また倒れたらしい。医務室のベッドに横たわっていた。起き上がった。「友達に荷物預けてあって。連絡したいから電話貸して下さい」と言った。受話器を取ってダイヤルを回した。「もしもし直ちゃん、・・・」受話器を耳に押し当てたまま崩れ落ちた。・・・・・どれくらい経ったか、小田急のピッザ店でバイトしている直ちゃんと、店の人が駆けつけてくれて、やっとわれに返った。

次の朝Gribouilleに似た友達の家に行った。
「ゆうべは湿度が高かったからね。なに!ブランデー6杯飲んだって!夜行バスで帰るっていうから。10時半でしょう?時間あると思って。パーティーに行けって言った私も悪かったねえ。えぇ?便秘してたの?じゃここね。こうしてっと。」
Gribouilleのベッドの上で、全身マッサージをしてもらった。卒倒したのは生まれて初めてだったのでショックだった。KKや六本木のホステスのMM達のパーティーに出て、時間的に焦っていたので30分位しかいなかった。話す時間もなく、グラスに注いでもらったものを、考えもなく次々と飲んだ。吐き気も酔いも何も無かったのに。

なんだか精神的にもグッタリだった。あれれ。今度はお腹の調子がおかしい。ベッドから跳ね起きてトイレに走った。

「昨日Bruxelles倒れたんだって。そう。今、うちにいるよ。便秘だって言うから、マッサージして、××筋を刺激したら,○○筋が緩みすぎて今度は下痢してんの。ハッハッハッハッハッハッ」
「もしもしあのね、昨日Bruxellesがね・・・・・・ハッハッハッハッハッ」
Gribouilleはあちこちに同じ電話をしている。Gribouilleはとっても楽しそうだ。ベッドに横たわっている私は、まるで生物実験のカエルの心境に近い。飛び跳ねる無脳カエルだ。

「Bruxelles、今日は夜行バスでなく新幹線で帰るといい。」断る私に無理やりお金を貸してくれた。決して甘やかさせてくれないのに、時々優しいGribouille。

新幹線には二人見送りに来てくれた。KKと、後に、私と仮のペアーを組んで「アジアの少年の館」に行くことになるLLだ。ー
Gribouilleは、笑うために電話していたのではなかったのだ。


アジアの少年たち

アジアの少年たち 2004年5月5日 (Wed) 16:52:49

小学生でジャズ喫茶、中学生でキャバレー、二十歳過ぎてディスコのDJブースのハイジャックまでの話は以前ここに書いた。それはすぐに飽きた。後、パブ、アルサロ、ナイトクラブ、ラウンジ、サロン、ゲイバー、レズバー、それぞれの隠れ版、ホストクラブ、バニーガールのいる会員制のプレイボーイクラブ、二十歳過ぎて色んな人に色んな所へ連れて行ってもらった。
パリにいる時は、クーポン券を2枚持ってジュネーブからやって来た友人のKKに「案内して」と頼まれ、モンマルトルで男性のストリップショーも見た。KK(男性)は垂涎ものの様子だけれど私は客席のほうにずっと興味があった。夜のモンマルトル「ノーキョー、ノーキョー、キテキテ」の呼び込みがあったのを覚えている。

だが所詮お金を出して遊ぶところなど、刺激や興奮は底が知れている。それよりもその前前年このKKがまだサンフランシスコにいる頃案内してくれた、アジアの少年の館の方がよほど深い興味が残った。それはアメリカ人の医師の多分自宅で、電気仕掛けのドアや鉄格子があって、この医師のコレクションが保存されていた。現代絵画がびっしりと壁を覆っている。そしてアジアの少年たちがまるで飼われた室内犬のように各部屋のあちこちに居た。古典的名作ポルノの世界が展開していた。ガラスのテーブルにはプレイボーイならぬプレイガールというグラビア誌があって男性ヌードで構成されている。ドリンクを飲みながらこの医師と何かゆっくりと会話を交わしたのを覚えている。内容はすっかり忘れた。ただ決して癒えない孤独感をまとったこの医師の哀愁と疲労に満ちた顔だけは、今でも心に強く刻まれている。


チボー家のジャック?

チボー家のジャック? 2004年4月21日 (Wed) 18:09:53

その子はいつも、たて看の前で、マイクを握っていた。厭きもせずにアジリ続けていた。来る日も来る日も。ある時話す機会があった。「君ねえ、極左と極右は回りに回って、結局同じなんだよ」「何の話?」「君は孤高でありたいんだよ。でもそれには君の心は弱すぎるんだ」「何の事?」
こうやって誰かれなく自己批判を強いるのが流行だったし、常に自己批判しながら,皆暗い顔で生きていた。(今から思えば結構楽しかったのだけど)
しばらくして、この子の逮捕の小さな記事が新聞に出た。
「オレの事をチボー家のジャックと呼んでくれ」
「オレは東大だけが大学だと思い込んで、2浪したんだ。馬鹿だったよ。親父の家系がみんな東大なんだ。」
「君は」と言うとき、人差し指を顔の前に突き出すのだけど、指先が微かに震えていた。ブロバリンのせいか、単に純情なのか。

何年かして私がタウン情報誌の取材で千日前を歩いているとき、この人のことを思い出し家に立ち寄ってみた。ミナミのど真ん中でホステス専用のアパートを引き継いでいた。
「お袋が死んだんだよ。お袋の妹が一緒に住んでたんだけど、うるさいから、追い出したんだ。」「そのおばさん、どこへ行ったの?」「田舎へ帰った。この前坊主も断ったんだ」「またなんで?」「毎月来るのが、煩わしいんだ。オレはこの享楽と世俗の中で、孤高でいたいんだ」

さらに1年位した頃、チボー家のジャックから電話があった。「君にぜひ頼みたい事があるんだ。会って相談したい。」
図書館員になりたいと言っていたけど。彼は母一人から生まれた子で、当然兄弟もいない。おばさんを追い出したから、肉親もいない。「坊主も断っ」てあの世の母も切り捨てた。ブラックリストに載っていて公安の尾行までついていた。就職は無理なのだ。保証人の相談か。

「誰にも言うなよ、言ったら殺すぞ」という前置きがあって切り出した相談の内容とは、いきなり殺人計画だった!
「どうしても殺したいヤツがいるんだ。君が色仕掛けで此処へ連れ込んでくれ。そして酒を飲ますんだ。俺は押入れに隠れてる。酔って寝込んだところへ・・。後は俺一人でやる。」・・!!
「私がそれをする必然性が何処にもないじゃない」・・いくら脅されても笑うしかなかった。「アパートの管理人で、若いのにじっとしてるから、そうなるのよ。発想の転換したらあ!海外旅行とか、留学とか」・・
「オレにはパスポートが下りないんだよ」
失礼だから笑うのだけは止めた。

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