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失業者 頼みの綱は親の年金

姪にリスニングの教材を送ろうとThe Japan Times News Dijest Vol.46と言うCD付の本を買った。その9番目の記事が本文上のタイトルである。2008年に不動産バブルがはじけて以来の不況を今も引きずるスペインで、生き延びるためには年金暮らしの親に頼るしかない家庭が増えている、と言う記事だ。日本でも2,3年前話題になったことがある。死んだ親の死体を隠して親の年金で暮らしていた人たちがたくさん浮かび上がってきた。ああいう事件は最近はもう報道もされないが、無くなったわけではないだろう。スペインでも日本でも親の年金でかろうじて生き延びている息子の家族というのは多いはずだ。安部ノミックスで景気浮上などと言っているが、実際解雇された後定職につけない一家の主、あるいはそのために結婚できない中年に達した男性、女性も多いはずだ。
自主独立が基本だった欧米にあっても、最近は親との同居も増えているらしい。不況は世界的なものなのだ。
日本でも別居していても、孫が毎日食事に祖父母のところに来ると言う話をよく聞く。お小遣いは親から貰うものではなく祖父母から貰うのを当たり前にしている孫の話もよく聞く。子供を飛ばしていきなり孫に相続させたい祖父母も多くなっているらしい。子供が子育ての負担を背負いきれないからだ。
アベノミックスなどといって、経済の教科書の基本のような、金融・財政政策だけでは、根本解決には程遠い。引きこもりという別の問題もあるが、20,30,40代で定職につけない男性・女性はかなりの数になる。
最近NHKで若い女性の貧困をテーマにした番組が放映されたらしいが、これもまた深刻な問題である。就職はあきらめて婚活に励むわけだが、専業主婦の女性を一人で養える男性の数自体がそう多くは無い。結婚できた男性・女性は勝ち組、できなかった男性・女性は負け組みとなる。勝ち負け、などと言う言葉を使う神経自体が人心の荒廃を物語っている。
本の解説によると「40代以下の人たちは経済成長も終身雇用も知らない世代で、老後の備えどころか、明日の生活費にも困っている。だから親の年金に頼るのだろうが、それもあと10年くらいが限度だろう。」とあった。
少子化対策として移民の大量受けいれや、それにまつわる政策はどんどん進んでいるが、ただでさえない日本人の仕事が移民に奪われるだけである。今までの経済の教科書を根本から書き換えるような発想の転換が必要である。産業構造の変化があまりにも考慮に入れられていない。少子化対策、移民の導入などよりも、雇用の創出が最優先課題でなければならない。時代を鋭く見つめて、今まで考えられなかったような雇用を創造していかなければならない。バスの車掌、重役の秘書、蕎麦屋の出前え、書類のコピー、個人の家電販売店、個人薬局、駅前商店街、などなど、消えていったものは多い。その割りに新しい雇用の創出はなされていない。今朝もラジオで言っていたが、俺俺詐欺をはじめとする、大小さまざまな詐欺だけが、雇用を増やしているらしい。質の劣化した日本人しか雇用を発見できない?そうなったら、この世もお終いだ。最近も餓死した姉妹や餓死した母娘の記事があった。30%くらいの日本人にとってアベノミックスは多少の成果を見せるだろうが、70%はこの先餓死や野垂れ死にの不幸に直面せざるを得ないだろう。
日本人特有のお花畑でなんとかしのげるのは、あと10年くらいかもしれない。その後は日本は日本でなく、日本人も日本人でなく生きていくことになるのかもしれない。杞憂であってほしい。
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ラーラーラーシャバダバダ

私の昔の友人のYはいつも男のことを考えているのか、男の話ばかりしていた。作品もかなりエロチックで、エロスの詩人と呼ばれたときは平然としていたが、ポルノ詩人と言われたときは猛然と怒っていた。彼女に限らず、女性とは、彼女のように常に男を意識において生きているものかもしれない。道を歩いていて出会った男にときめく、などという話はよく聞く。いくつになっても恋をしましょうなどという話もよく聞く。だとすると私は、どこかで何かが不足しているのだろうか、滅多にときめかないし、男性を意識もしない。男と女は身体の造りが全然違うものだと、むしろ最近になってようやく気づく始末だ。もちろんときめいたことがないとか、恋愛体験がないとか、不感症とか、そういうわけではない。女友達より男友達の方が多かったから、いちいち意識などしてる暇も、する必要もなかったような気がする。男性に慣れすぎていたのが原因かもしれない。一生のうちで心がときめいたりドキドキしたり、そんな経験は、うーん、数えても10本の指で充分あまりやお釣りがもらえそうだ。ただそんな私が、人生で一度だけ、不可思議な行動をしたことがある。何故そのように動いたのか、自分でもわからない。
梅田のインタープレイ・ハチに一人で夕方に出かけた時だ。暗い階段を下りて店の中を見渡すと、その人はパラパラといる数人のお客の中にいた。右側だ。私は右側の席に座ろうとした。その人をじっと見ていたわけでもない。飲み物を注文して、音に意識を集中しようとする。多分その時私は寂しかったのかもしれない。ぽつんと一人で座っている、その男性の隣に、座りたいと思ったのだ。そんなことはもちろん初めてだ。その男性がタイプだったとか、セクシーだったとか、ハンサムだったとか、それは違う。ただとても「暖かい心の人」に見えたのだ。普段は、心が暖かいとか、優しいとか、そんなことで決して人に魅力を感じたりはしない。知りもしない彼に、一体何を感じたのだろうか?飲み物が運ばれてくる前に、私は席を立ち、その男性の隣に移動した。自分でびっくりである。しいて言えば、家族のような兄弟のような、いきなりの信頼を覚えたのだ。隣に座って、やはりほっとした。これで落ち着けると思った。友達と一緒にいるような安心した気分になった。私も彼も、当然ながら口をきかない。ここはジャズ喫茶なのだ。私はマッチョ好みなのだが、彼は小柄だ。私は、喧嘩してでも守ってくれるような男が好みなのだが、彼は喧嘩も弱そうだし、口論にも向かない、ように見える。顔は川津祐介に似ている。いい人風で気持ちのいい顔だ。私は色白が好きなのだが、この人は色が黒い。それだけ考えると、それ以上彼のことを考えるのはよそうと思った。音楽に意識を集中する。でもなんだか少し楽しい気分になってきた。20分ほどそこにいた。普段はもう少し居るのだが、こんな些細なことで喜んでいる場合ではない、という気がしてきて、さっさと帰ることにした。少し無理をしているなと思ったが、彼の方に視線を向けることもなく、さっさと一人で店を出た。
10mほど歩いたところで「ちょっと、ちょっと」と私を呼び止める声を聞いた。振り向くと彼だった。あんなに内気そうな彼が、私をナンパするの?「よかったら食事でもご一緒にいかがですか」と彼が言った。そして私は多分彼と食事をしたのだと思う。そのへんのことは、もう忘れた。
フェロモンだ。多分好き好きフェロモンを発散していたのかもしれない。内気な彼が階段を駆け上って追いかけてくるなんて、きっと彼は断られない確信を掴んでいたのだろう。住所や電話を交換した。彼は会社に電話をかけてきて、仕事が終わったあとで会うようになった。彼は何歳か年上で、大人だった。彼はキャバレーに私を案内した。「淀」やら「富士」やら「ワールド」やら、もう忘れてしまったが、キタやミナミにたくさんキャバレーがあった。ホステスのお姉さんたちが遊んでくれるので、彼も私も気を遣う必要がなかった。ふたりで京都に行ったこともある。「車はないの?」と聞いたら、学生時代に乗っていたけれど、当たり屋に当たられて、ひどい経験をしたので手放したと言った。きっと大変嫌な経験をしたのだろう。彼の住む中百舌鳥の社宅に行ったこともある。彼の部屋でジャズをきいた。いいレコードもいいステレオも持っていた。あるとき「今日はこれで買い物をしてきてくれないか」といって5000円を私に渡した。「はい」と言って買い物に行きステーキを2枚買ってきた。それを焼いて食べたのだが、美味しかったのだが、彼は私が主婦に向くかどうか、チェックしていたのかもしれない。その頃の彼の給料は8万円だと言っていたから、一回で5千円使い切ると、ペケである。当時、私には生活観がまるでなく、人間生きるのに一日三回食事しなければならない、などということさえ考えたことがなかった。結婚はあの世以上に異次元のことだった。彼と一緒にいるとき彼に電話がかかってきた。長々と話は続き彼が申し訳なさそうに繰り返し断っている。「何の電話?」とあとで聞いたら、親友が自分の妹と彼との結婚を望んでいるので、断ったのだ、といった。タイミング的にあの電話は仕組まれていて、彼は私の気持ちを確かめたかったのだろうと思った。「いいひとだったら、結婚すればいいのに」と言った。彼は真面目で内気だから、私が何を考えているかまるでわからなかったのだろう。「私のために断ってくれたの。嬉しいわ」とか言えば、ベストなのだろうが、そんな大嘘は言えない。もうこの部屋に来るのは最後にしたほうがいいかもしれない。その日は遅くまでいて、タクシーで帰った。それからも会ったのか会わなかったのかよく思い出せない。半年以上経ってから彼から家に電話がかかってきた。「もう僕と会う気はないの?いい人ができたんだね」「急に何を言うの?会わないのはあなたが電話をくれないからよ」「僕見たんだ」「何を見たのよ」「Bちゃんを、あの店で。一緒にいたのは誰?恋人?」「あの店ってハチ?」「いいムードだったよ。もう僕の出る幕じゃないと思って、電話かけられなかったんだ」「誰のこと?そんな人いないわ」「カウンターに並んで座っていて、Bちゃんは、となりのサラリーマン風の男の肩に手を置いてとても親しそうにしていた」「多分あの人ね。全然どーでもいい人よ」「あれを見て、ぼくがどんな気持ちになったか、君は想像がつかないんだね。こうして電話するまで随分時間がかかった」「何が言いたいの?誤解よ、誤解。」「僕自身がこの目で見たんだよ」「カウンターに並んで座っていただけじゃないの」「普通の関係じゃないムードだった」「ちょっと待ってよ。それらしい人の話なら少しは誤解も仕方がないけど、相手があの人じゃ、言いがかりにもならないわ」「じゃ、Bちゃんにはあれくらい親しげに接する男友達が何人もいるってことだね」「サヨナラをいうのなら、はっきり言えばいいのに。自分が被害者の立場に立ちたいのなら、人を攻めたいのなら、もっとマシはストーリーを考えてよ」「全く、君って人は」・・・激しい喧嘩になってしまった。彼は自分の気持ちに決着をつけるために、そのためだけに電話をしてきたのだ。しかしいくらなんでもあのTTを私の恋人と思うなんで、馬鹿馬鹿しすぎるわ。けれど、この喧嘩をきっかけに彼が新しい方向を見つけるつもりなら、それを祝福しよう。そう言えば彼は「Bちゃんは一瞬僕を見たんだよ。そしてすぐに、我が身をその男の影に隠したんだ」と言った。そう思い込んでいるのだ。私はあの店で彼を見た記憶などない。もし私と目があったのなら、ヤーヤーとカウンターにやってきて、肩でも叩いてくれればよかったのに、そうするには彼は内気すぎたのだ。

あれを一目惚れというのだろうか?よくわからない。かれが追いかけてこなかったら、何事も始まらなかった。私が一度座った席を離れて、誰かの隣に座りに行くなんて、あとにも先にも一度きりだ。私が男性に対して何らかのアクションを、起こしたことも、起こそうと思ったことも、この時以外にはない。不可思議な例外的行動という以外にはないのだ。
この日記を書き始めてすでに10年目だ。10年目にして初めてTI氏のことを書いた。私の心の中で彼がどのようなpositionにいるのか、よくわからない。彼はもう定年を迎えているはずだ。故郷の姫路に帰っているのだろうか。中百舌鳥に家でも買って、今頃は孫たちとでも遊んでいるのだろうか。いずれにせよ「あー、あんな女と思い切って別れてよかった」と思えるような人生を歩んでいてくれれば、たとえ誤解がとけなくても、私は充分に満足だ。

・・・・・追記:2013年5月5日・・・・・
久しぶりに今朝とても嫌な夢を見て、不愉快すぎで目が覚めた。そして昨夜書いた私自身の不可解な行動の意味がサーっとわかった。そのとき私は寂しかったのだ。心の中で悲鳴をあげていたのかもしれない。「暗い階段を下りて店の中を見渡すと、その人はパラパラといる数人のお客の中にいた。右側だ。私は右側の席に座ろうとした。」私は彼に兄を求めたのだ。「しいて言えば、家族のような兄弟のような、いきなりの信頼を覚えたのだ。隣に座って、やはりほっとした。これで落ち着けると思った。」極端な孤独の底で、私は言葉にできないほど強く、あの時彼の中に「兄」や「家族」を見つけ出したのだと思う。

誰ぞ知る、娘の苦労

昨夜昔の母の言った言葉を突然に思い出した。今まで一度も思い出したこともないのに。
母は50歳前後で、会社勤めをしていて、付き合っている一歳年下の男性がいた。駅のホームで知り合ったらしい。そこへさらにまた駅のホームで知り合った2歳ほど年上の男性が割り込んできたというのだ。その男性は母と私が一緒のところも見ていて、娘である私の存在も知っているらしい。
「僕とも付き合ってくれ」と言ってきたらしい。「断ったら、母親が若い男と付き合っていることを、娘にばらすぞ」と脅されたというのだ。なんとたちの悪い男だろうと思ったが、それ以上は何も記憶にない。母にそれを言うと「ちゃんとした人で、やくざではない」という。母が何故そんなことを私に言ったかと言うと、おそらく、その年上の男が実際私に近づいて告げ口すると困る、と思ったから先に打ち明けたのだろう。何しろ、一種の脅迫であるから。
似たようなことが、70歳過ぎの母親にまたおこった。母には老人会で知り合った一歳年下のTという男性がいて、その人には妻子も孫もあったが、毎週豪華な果物一式が家に届けられた。町の運送会社社長のT氏の愛情表現なのだろう。そこへ老人会の別の男性TTが割り込んできた。否知り合ったのはTTの方が早いし、TTは家にも押しかけてきた。母といるのが楽しくて仕方がない風情だった。恋心に年齢は関係がない。しかし社長のTに比べると年金生活者のTTは、気前がよくない。大体女の家に押しかけて上り込んで、果物かごも持ってこないのだから、母が迷惑に感じ始めても仕方がない。T氏からは電話がかかる。母はそれを楽しみにしている。しかしある時からぷつんと電話がかからなくなった。母が理由を聞くと「TTの自転車がいつも家の前に止まっている。TTが家の中に入り込んでいる、と思うと面白くない」と言うことだった。それを聞いてすぐには母は「もう家に来てほしくない」とはっきりTTに言い渡したらしい。それから一週間後、老人会の運動会の日だった。ハートブレイクの老人TTはそれまで口もきいたことのない私にいきなり電話をかけてきた。
「Bさん、あのねお母さんがTさんと二人で運動会を抜け出して、タクシーをとめて、乗り込んでいま、大和川の方面にむかった。あの辺はホテル街だからね」
恋する80歳の老人の狂気である。「はい、それで?それがなにか?」
娘でありながら、母親の母親のようにふるまわなければならなかったことがある、という思い出話である。

兄「つぎあてだらけのGパン穿いて、頭くるくるパーマかけて幅太のベルトして手首にリストバンドしているイカレポンチみたいな奴と、今日阪急梅田駅の構内を手ぇつないで歩いてたやろ。なんやねんあいつは」
B「お言葉ですけど、あの子は優秀な将来性もある京大生ですよ。それにお父さんはNHK百万人の英語の講師もしていた有名英文学教授よ。イカレポンチとは失礼な!」
兄「チャラチャラした奴だ」
B「おしゃれなのよ。Gパンにはアップリケが付いてるのよ。ダサイ阪大生とは違うのよ」

私が男の子と手をつないで歩いているのを目撃して兄は衝撃を受けたに違いない。そして京大生だと知って、もっと吃驚した様子を見せた。?

私は喘息の発作が出た状態でタクシーに乗って高校受験会場に行った。母と兄が付き添ってきた。
兄は天王寺高校の制服を着ていたのだろう。私の別室受験の監視をしていた家庭科の教師が「天高生が何故こんなところにいるのだろう」と兄を見て思ったそうだ。帰って天高で教師をしている自分の夫にその話をしたらしい。無事高校生になってその家庭科の教師とばったり廊下で出会った。
教師「あの受験のとき、心配そうな顔で教室の外に立っていた天高生は、あなたのお兄さん?」
B[はい」
教師「それでわかった。お兄さんはお父さんがわりでもあるのね」
B「何がわかったんですか?」
教師「主人から話を聞いていた。楽々京大に行けるのにいくら勧めてもガンとして阪大受験しかしないという生徒がひとりいる話。職員室でも教員が皆不思議がってるって言ってた」
B「うちは母子家庭だから、下宿は無理。それにおばあちゃんも大阪人は阪大に行けばいいって」
もし父が生きていれば、兄は京大に行ったのだろうか。東大に行ったのだろうか。しかし人生に、もし、はない。
兄は使い放題に専門書を買える武田薬品の奨学金をもらって、家庭教師以外のアルバイトもせずに大学院も出た。
家庭科の教師から話を聞いたときは、なんだか少し兄を気の毒に思った。でも私たちにはお父さんがいないのだから。

Joeは京大生でJoeのお父さんは大学教授だと兄に言いながら、フトこのことを思い出した。兄はグゥと黙っている。

兄は「詩や小説など、他人のでっちあげたようなものを読んだり聞いたりする暇はない」と言って書かない、読まない。父にも祖父にも似ていない。突然変異はあっちだ。

次の年だったか。Joeが私の家にやってきて、私と二人でいる時に、兄が会社から帰ってきた。妹が男と二人っきりでいるところを初めて見て、ぎょっとする兄。
J「はじめまして。吉田と申します。お邪魔してます」
兄「・・・・・・・・・・・・・・konbaんわ」

そういえば、今日は兄の誕生日だ。

「そこに居てね、今行くわ」

足と手が、勝手に動いて
私は切符を買った。
人づてに聞いた住所と地図を握り締めて
見知らぬ駅に降り立った
さらに駅の交番で道順を確かめて
憑かれたように歩き出す
夏の雲のような喜びが
胸いっぱいに発生して
時間が逆戻りを始める
あなたがずっと私を
待っているような妙な確信があって
「そこに居てね、今行くわ」
と、声に出して呟いた。

お寿司屋さんの角を曲がって
さらに公園を右に折れて
登ったり下ったり
道に迷うなんて平気よ
慣れているもの
「そこに居てね、今行くわ」
「そこに居てね、今行くわ」
三叉路でしくじって
一時間は無駄にした
道に迷うのなんて平気よ
慣れているもの

あなたの表札にたどり着いて
家の周りをウロウロする
二人の匂いがたちこめていない
膨大な時間が別々に流れて・・・
それを引き返して来たものの
会いたいのか会いたくないのか
声さへ失くして
私はどんどん小さくなる
氷が溶けるようにたち消えた私は
ついに昔の私に戻っている
そして、あなたは、
あなたはここで今を
あなたの知らない今(あなた)を
多分生きているのだろうと知る。

・・・・・・・・・・・
BGM: ALBERGO A ORE

ホテル王

ホテル王と言う言葉は誇張かもしれない。ニックネイムと思っていただきたい。それでもその人は堺の臨海工業地帯にビジネスホテルを5軒ほど所有経営していた。
和歌山県出身で一族は代々材木業を営んでいた。マンション経営をするつもりで建設したのだけれど、海外からの工事建設業者達の来日が多く、週ぎめ、月ぎめ、年ぎめのホテルにしてほしいという顧客側からのリクエストに応えて、次第にビジネスホテルに転用していった、と聞いている。一族の中でもその人が代表取締役で、当時まだ30代だったと思う。私の英会話の生徒だった。
英語圏の客と一緒にバーやクラブに繰り出すとき「先生もご一緒に」と時々誘っていただいた。フランスから帰国してまだそれほど年月がたっていなかったので「できたら、フランス人のときに声をかけていただきたい」とお願いしたら、何度かリクエストに応えて下さった。

B「もう3ヶ月も日本にいるのだったらTVもよく見るでしょう。どんな出演者が印象に残りました?」
仏人技師A「印象と言うより、一番よく見るのは二人組みの幼稚園の子供たち・・」
B「?誰??よくTVに出てるんですか?」
仏人技師C「その子供たちはお遊戯って言うか、幼稚園で習った踊りを踊るんだよ」
ホテル王も私も顔を見合わせた。誰のことか見当もつかない。

ホテル王は私の誕生日には私一人を誘ってくださることもあった。フィリピンバンドが入ったライブをするクラブで、私はやはり「アンチェインドメロディー」をリクエストしたと思う。
帰ろうと思ったらバンドのメンバー全員が、私たちの席に挨拶に来た。何故こんなに?
ホテル王は支払いのつり銭、かなりの額を全部いつも「バンドの方々にチップを」と言って、受け取っていなかった。Bruxellesほんの少しだけ粋の行動パターンを学ぶ。

フランスに行く前、記念にと姫神さんを含めて4人のグループで温泉に行ったことがある。遊びなれた初老の紳士二人がビリアード場で話しかけてきた。10分ほど姫神さんと二人、ビリアードの手ほどきを楽しく受けた。二人の紳士は無駄話をするでなく、爽快感を残してそのままあっさり帰っていった。立ち去る前に私たちのドリンク代とゲイム代まで支払って下さった。粋人の行動パターンを学ぶ。

ハワイのプールのそばのバーに座っていると、アルコール飲料がテイブルに届いた。
ボーイ「あちらの方からのお届けです」
日に焼けたアメリカのダンディーがこちらに笑顔を見せる。
Bさんとよく飲み歩いたときも、こうして別の席の見知らぬ人からアルコールドリンクが届くことが時々あった。
・・・・・・・

仕事の行き帰りに車を使っていた。その当時は仕事をバリバリしていて懐も暖かだった。今日はそれにあまり使っていない。
夜になると道路沿いの店内は外より明るくて中の人は気づかないが、丸見えになる。あれぇ、私の生徒の楠田君と安住君が、二人カウンターに並んで何か食べている。お客は二人っきりだ。様子を見ようとふと車を止めた。そこへ、店の主がひょっこり現れた。
B「カウンターの二人の分、おあいそさせてください。おいくらですか?」
すらすらとそういう言葉が出た。
主が中に戻って、二人に告げたのだろう。支払いを済ませてセカンドで発進しようとした時、二人が中から飛び出してきた。
「あっ、先生、ご馳走さまです」「あっ、ご馳走さまです!」
府立大生の二人は、Ryookoのマンションのパーティーに案内したり、クリスマスパーティーを何回か外の店で一緒にしたり、車を3台連ねて春の花見ドライブをしたこともある。
ホテル王や初老の紳士たちの行動を、自分で気づかずに、ほんの少し私は真似たのだろう。なんだか、家路を急ぎながらとっても嬉しかった。天が与えてくれたタイミングと彼ら二人の気持ちのいい人柄がこの喜びを与えてくれたのだろう。こういうことをしたのは、これが最初で最後だけれど。
・・・・・・

話を元に戻そう。
仏人技師達が話題にしていたのは、ピンクレディーのことだった。あの振り付け、あの歌、成熟した大人のフランス人には、幼稚園児にしか見えなかったのだ!
ピンクレディーが種をまいた「歌って踊る」以後の方向性。これが日本シャンソン界を日本芸能界の片隅に押しやった大要因になったと言うことは、否めない。歌ってお遊戯することを否定するつもりはないが、それが主流になれば、シャンソンは滅びる。大人の歌手は居場所を失くす。

Music Cross Talk ネイミングの由来

実際行って見て聞いたわけではない。その記事を1969年4月号の「美術手帖」で読んだだけだ。けれど、とても表現できないくらい圧倒的な衝撃を受けた。私がぼんやり考えていたArtの世界がそこに展開していたからだ。五感全体が呼応した。
私は雑誌や書籍を保存するタイプではない。必ず処分する。ところがこの号だけは今も所有している。今改めて見てみると、すごい号だということがわかる。
まず大久保喬樹の「ジャックスン・ポロック論」がある。東野芳明の「ジョージ・シーガル論」(このPLANETE BARBARAの中にもシーガルの作品を写真で登場させています)高階秀爾の「エミール・ノルデ論」そしてローレンス・アロウェイの「オップ・アート論」その上、表紙はロイ・リヒテンシュタインの「VAROOM」。そしてこの号の特集が私のArt観を決定づけたイヴェント報告記事「インターメディアとはなにか」だった。
会場は東京代々木国立競技場第二体育館、日時は2月5,6,7の3日間。そのイヴェントこそ「クロス・トーク・インターメディア」フェスティヴァル。ずっとずっと何があっても頭から離れなかった「Cross Talk 」。様々な分野のArtist達の種火のような鬼火でもある情念と概念の矢が行き交った「Cross Talk」。Art&Technologyの融合の実験場であった「Cross Talk」。そのArt Conceptを受け取った者として長年懐に入れて温めてきた「Cross Talk」のTwo WordsをBarbara研究のあのコーナーに借用させていただいた。

越路吹雪のドラマ

今、越路吹雪のTVドラマを見ている。今回は天海祐希、以前は確か大地真央で越路のドラマを見たような記憶がある。以前岩谷時子は壇ふみ、今回は松下由樹。第一の感想はカメラワークがまるで岩谷時子を越路の守護霊か背後霊のように扱っていたのが少し気になった。第二の感想は、歌の場面はやはり越路の声で流して欲しかった。天海の素人っぽい歌唱力では、逆立ちしても越路のドラマとしては、成り立たない。
今ラストシーン、やっと越路の歌声が流れた。
宝塚を出て宝塚を乗り越えた人は多いが、芸能界では越路吹雪、政界では扇千景、この二人がダントツの双璧だ。
Bruxelles、小一からのズカファンだけれど、残念ながらお二人の現役を知らない。
寿美花代淀かほる加茂さくら真帆しぶき上月昇神代錦春日野八千代までなら、現役を知っている。

このピーターの越路吹雪、なんだかよく似ている。こちらです。
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「Nuit Magique」 Catherine Lara

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