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Au Revoir, Rose !

Parisに帰る日が来た。午前中マルセルに案内してもらってレコード屋に行きベロニック・サンソンのLPを買ってきた。心ばかりのRoseへのお礼だ。Roseは若いカトリーヌ・ドヌーブだと思っていたが、感性としてはベロニック・サンソンに近い。
今は車を取りに家に帰ったマルセルを待つだけだ。Roseはどこかに消えてしまって姿を見せない。三階の窓から外の様子を見ている。楽しかったPlace de la Paixともお別れだ。あっ、マルセルの車がこちらに近づいてくる。と同時にドアがノックされ、Roseが息子の手を引いて入ってきた。
「もう帰るの?」?うん。いろいろ有難う。?
「Bruxelles,私も下に降りてお見送りをしてもいい?」?Rose、何言ってるの。当たり前よー
三人で階段を降りる。
外に出て驚いた。近所の人たちが家のドアの外に出てきている。通りがかりの野次馬まで立ち止まっている。こんなにたくさんの人達が見送りしてくれるの?
「みなさん、いろいろ有難う御座いました」
マルセルの車に乗り込む。マルセルが車をUターンして方向を変え、そしてストップ。
群集の中の一番先頭にいるRoseとWillyに手を振る。Roseが息子の手を引いて、通りを横切り、車に近づいてくる。Roseが窓をノックしている。窓のドアをクルクルと降ろした。
「Bruxelles、最後にちょっとお別れのキスしていい?」Roseが車の窓を覗き込んで恥ずかしそうに言う。
Roseは一生の友達だって言わなくちゃ。
Roseにあたらないようにゆっくりとドアを開けて、一旦車から降りた。
Rose,私のこと忘れないでね。そんな気持ちで強く抱き合って、また熱烈なキスをした。近所の人達や野次馬50人くらいが、じっと私たちを見ている視線を感じる。かまわない。Rose、感謝している。暖かい気持ちを本当に有難う。Roseと息子は後ずさりして群集の中に入っていった。Roseだけにずっと手を振ろう。そう思ってRoseとWillyに視線を向けると二人はもうそこにはいない。消えた!と思ったら、RoseとWillyが走って家の中に入ってしまった。
Marcelが車をゆっくりスタートさせる。
ー何故家の中に入ってしまったのだろう、何故??
ふと悲しくなった。その時二階の窓が左右に音をたててバタンと開いた。RoseとWillyがそこから身を乗り出して手を振っている!
「Au revoir,Bruxelles!」Roseの声がはっきりと聞こえる。
「Rose,そんなに身を乗り出したら窓から落ちるよ。Rose, merci beaucoup et Au Revoir!」
私も大声で繰り返した。Rose, Au Revoir !
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Roseからの手紙

思いがけず昨日の夕方、郵便受けにRoseからの手紙を見つけた。石井好子先生が亡くなられて、もう手紙を書く喜びも受け取る喜びも忘れかけていた。Roseのことは、自分の終焉を考える時いつも思い出していた。
Roseの夫は癌、Rose自身も変形関節症に悩んでいるようだ。
---Je te remercie beaucoup pour ton cadeau et aussi pour ton amitie. Car tous les jours tu es dans mes pensees et j'espere un jour te revoir. Tu reste dans mon coeur pour toujours. Je t'aime Bruxelles, n'oublie jamais ton amie. Je t'embrasse tres fort... R---
こんな手紙を私に届けてくれるのは、もうRoseしかいない。Roseは老いたと書いている。私に会いたいと書いてきている。少なくとも手紙が欲しいと。

30数年前、Roseは大きなカフェを持っていて、その上はホテルになっていた。そして私をそこにただで泊まらせてくれた。お客さんや近所の人たちともみんな友達になって、最高に楽しい日々を、私はRoseと共有している。

ベッドに座っているとRoseが入ってきた。そして横に座る。「Bruxellesは男に興味がないのか?」といきなり聞いてきた。そんな事はない。「Bruxellesはほとんど男性の方に視線を向けない」Roseが私の視線の先をいつも気にしていたことはわかっていた。Roseは自分と感性の合う話し相手をずっと求めていたのだろう。Roseは会った瞬間から私に興味を持ってくれた。Roseも私も姉妹がいない。父を早くなくしている。母親の愛は兄だけに向けられている。私もストレートだが、Roseは自分の感情にもっとストレートだった。その他の環境も性格も、かなり近い。
「Bruxelles,私も同じようにするから、どうか私に対しては、心を手のひらに乗せて、包み隠さず見せて欲しい」
そう言った。「Marcelと再開した時、キスしてたけど、Marcelのこと好きなのか?」?特別好きではないけど、再会の挨拶。「好きと、誤解されるよ。MarcelはBruxllesにもう夢中なんだから。それにMarcelはスーを持っていない。スーを持ってない男と付き合っては駄目」「私は18で子供を産んだ。たった2回しかしてないのに。無知だったのよ。仕方がないから結婚。あっという間に母親で妻。あなたのように自由はない。私もあなたのように、一人でふらりと、異国に行ってみたい」-Rose、日本人って、珍しいの?「そんな事はない。お店でスロットマシーンをする日本人は多い。よく来る。けれど話す気にはなれない。感じるものが全然ないし、しゃべらないもの」・・・
Roseには夫以外に恋人がいた。たしかJacquesといった。他にもRoseに好意を寄せているお客さんも多い。Roseは男の必要性をよく知っている。女であるためには男の愛が必要なのだ。
「でもね、子供ができるのは困る。Bruxellesだから言うけど、ここでは中絶はできない。2年前実は子供が出来て、そのときは迷うことなくアムステルダムに行った。この意味わかる?」-Roseの人生は18歳で、止まってしまった、子供のせいで。そう思ってるのね。Willyのこともっと可愛がってあげなくちゃ。でも18じゃ、いきなりおかあさんになれないかもね。「Bruxelles,明日もあさってもずっとここに泊まってていいよ。いろんな話しようね」

RoseはBruxellesはカウンターの向こうにいるのでなく、私のそば、つまりカウンターの中においでよ、という。何もしなくて座ってるだけでいいから。そしてRose一人が働いている。Roseはお客さんと話すが、私がカウンターのお客さんと話すとイライラする。「Bruxellesは私の友達よ」と睨みを利かせてから、飲み物をテーブルに運ぶ。そうこうしている内に、カウンターに戻ってくるたびに「Bruxelles,私のこと好き?」とあたりをはばからず聞くようになった。大勢の人の前で「好き」など、冗談にも言えない。また飲み物を運んでいく。そして戻ってくる。そのつど、Roseの様子がおかしくなってきた。次第に心理的安定を欠いていったのだ。「Bruxelles,私のこと好き、愛してる?」と何ものかに憑かれたように繰り返す。Roseが近づくたびに、心がバランスを崩すほど、その質問に捕らわれているのがわかった。精神はぐらぐらだ。どうしよう、Roseに愛している、と言ったところで、ここまで不安定になると、最早効果はない。「Bruxellesは私のこと、好きではない。だって、あなたと話をするけど、私には何も言わないもの」カウンターのお客さんに愚痴る。Roseは男に囲まれているけれど、女性の、お母さんの、お姉さんの愛が必要なのかも、あるいは心の通う女友達の愛が。どうしよう。お客さんもRoseの様子が変なのに少し気づいてきた。「Rose,日本人の子、困ってるじゃないか」誰かが言う。「だって、愛してるって言ってくれないもの」近づくとRoseのイライラの波がこちらにも伝わってくる。どうしよう、少し焦った。私はかつて精神科医を志したのだ。分かった。覚悟を決めた。今度カウンターに戻ってきて、また同じ質問をしたら...。
Roseが同じ質問をした。Roseの手が空っぽになるのを確認してから、Roseを振り向かせRoseと向き合い、Roseを両手で抱きしめて、挨拶ではない心を込めた熱烈キスをした。
波が引くように、Roseのイライラが、スーと音もたてずに溶けてなくなって行くのが分かった。別人のように安定したRoseが笑った。カウンターのお客さんたちから拍手が沸き起こった。(日本だと、こうは行かない!)

姫神さんへの手紙 (6)

○手紙有難う。文京の方、校正するの、そんなにイヤ?そんなに?実はブリュッセルの友達が貿易会社の仕事口見つけてくれそうなので、近日中にウイかノンを言わなくっちゃ。

○もしね、もし文京の四城シリーズ(これも単独でなく芦原修二とカップリングだと思うのです)が出て、潮流社の連載が決まったら、・・・その時は、私の青春のためにではなく、それにピリオドをうって、今度は職業としてストーリー・テラーになるつもり。そして自分自身のためには・・(略)。これからは、ジャーナリストとしての眼をもった作品を書きたい。

○小川氏の手紙転送有難う。やっと嬉しくなってきた。だって、この件でもガックリきてたんだから。でももうすぐね。出たら、知らせてね。一体どんな本なんでしょうか?

○あの本が出た夢を見た。出るな・・という気がしたけど、よけい無理に期待を殺してきた。

○とにもかくにもあと少しで(あの本)が出るんだから嬉しいです。文庫本に入るみたいね。あの社会思想社の現代教養文庫に入るなんて光栄。でも小説として出るのか、手記として出るのか、どっちだろうか?これに加えてもしあの四城シリーズが出たら、あとは何とか、なんとか頑張ったら、やり方次第で、なんとかなるかもね。

○W法律事務所の上田さんと言う人に、10月末出版予定の中の(1)が私の本だと、伝えて下さい。彼女に調べてもらったんだけど、タイトルは「1945年を軸としてー昭和史の記録?」(仮題)だそうです。出たら、すぐに知らせてね。

○新刊の単行本じゃなくて、少しがっかりだったけど、あなたの言うように単行本だったら、数ヶ月で書店から消える。でも文庫本だったら、何年も何年も書店に行けばそこで手にとることが出来る。これって、凄いよね。それに社会思想社の教養文庫なら、どこの書店にもある!

●出るのか出ないのか、出るとしたらどの出版社からか、またどういう形になるのか、全く分からなかった。著者不在で、結局あれよあれよと言う間に著者校正のないまま出版された。作品は四城シリーズの中から一編。しかも昭和史の記録として、つまり社会性のある記録作品として、全三冊のシリーズの一冊に収録されるという形になった。私としては純文学のつもりで、イデオロギー性は全くないと思っていたので、とても意外だった。私の作品のタイトルは「帰ろう愛の天使たち」サブタイトルは「または無音のシラブルの意思について」、サブタイトルからも分かるように、三分の一は言語に関する哲学的考察である。ストーリーのメインは堕天使たちの悲恋のお話。残りの三分の一は、昭和42年あたりから昭和46年辺りまでの時代背景。つまりあの’68の青春記録である。今読めば確かに確たる政治的視点がある。詩を書き、創作し文学仲間と交わりながらも、学生時代政治クラブに身を置いていた。姿勢は一貫して揺らぐことはなかったが、時代の流れや文学仲間達と完全に逆流していた。時代は私にとっては押し寄せてくる大波であった。実際匿名の者達から脅迫状や刃物を受け取ったこともある。大波を被り息も絶え絶えの政治的立場でありながら、確かに怯える時もあったが、政治的・思想的視点が揺らぐことはなかった。文学仲間においては黒羊である。黒羊は決して表立って登場できないマイナーな思想者であったが、それなりに時代を政治的・思想的に切りとる眼は持っていたのだ。編集の小川氏がそこに着眼され、あの作品を昭和史の証言のなかに、社会思想史の中に押し込んでくださったことを、今は実感を持って感謝している。昔の自分を思い出したように、私は今、ある政治サイトを運営している。昔と視点は決してぶれてはいない。人生の半ばをかなりすぎてから、自分の中の社会思想性に再び出合ったのだ。文学からは大きく遠ざかってしまった。政治的・思想的視点は、相変わらず大波を被り溺死寸前のマイナーな黒羊である。

●時にはマグリットの森のようにも見えるヴァンセンヌの森に面した豪邸の屋根裏部屋で、私は自書を手にした。姫神さんが送ってきてくれたのだった。嬉しくてParisの友達の陽子さんに見せたら「Bruxellesさん、これBruxellesさんが、誰かに書いてもらったんだ。絶対そう。あなたが書いたんじゃない。絶対」と言われた。どうしたわけか、私は詩や小説を書いたり、政治を語ったり、哲学したり、思索したりするような(タイプ)には(絶対)に見えない(タイプ)なのだ。それでむしろよかったと思っている。プロであろうとなかろうと、女性にとってそれはあくまでも内的趣味であり、外的評価には決してなりえないからだ。

●残念なことに、バブルがはじけて出版不況が来た頃に、社会思想社は倒産した。せっかくの現代教養文庫も今では書店で見ることもない、過去になってしまった。いずれその名も人々に忘れ去られてしまうだろう。

・・・・・追記:2010年6月6日・・・・・
●水彩画の裏を見ると、定期的に喘息の薬を姫神さんに送ってもらっている。エフェドリンが入った頓服用である。Parisの気候は、特に湿度の低さは、身体には快適で特に害にはならなかったのだが、食べすぎが一番呼吸困難を誘発したようだ。食べ過ぎて動けなくなるのだ。食道楽の大阪から来て、こう言うのも変な話だが、Parisは貧しいものにも、食の重要さを教える。貧しくてもコース料理を覚えてしまうのだ。ただ、今から考えると、毎回なんらかの食物アレルギーを起こしていたのかもしれないが。身体は太りはしないが西洋人風に「がっちりしてきた」と日記に記している。

姫神さんへの手紙 (5)

手紙が手紙のままで今手元にあるものは、じつは1通のみ。後はParisで描いていた水彩画の裏に殴り書きしたもののなかから、姫神さん経由で私の手に渡り、さらにそのごく一部が30数年の年月を経て奇跡的に生き残った、もの。以下に記するのはさらにそこからの抜粋です。従って前後関係は不明です。

○今日はSafi(チュニジア人とドイツ人の混血)とLassade(ベネズエラ人)と三人で夜のドライブ。Parisのセーヌ河沿いの車道はとても美しい。

○ジーンズを穿くことに抵抗を感じなくなったら、私ももっとParisの生活に溶け込めるかも知れない。今の私の神経がジーンズの感覚を拒否している。

○オルリーからミリンダ(モロッコ人)とオートストップ(ヒッチハイク)した。ミリンダがただ電話をかけにオルリーに行くというので、一緒に行った。なんのことはない、夜の空港で航空会社の電話を無断使用するのだ。

○Parisの人たちのなんと多様な顔、顔、顔

○出発前バルバラを聞きすぎたのだろうか。バルバラを背負っていたのでは、Parisで生活できない。バルバラさんを脱ぎます。(Gribouilleを脱いだように)

○モロッコ人、チュニジア人、カンボジア人、アルジェリア人なんかにとって仏語はもうひとつの母国語だということが分かった。一部のインド人にとっての英語と同じ。

○サンジェルマン 正気で狂うエネルギー
 モンパルナス 正気で狂うエネルギー
 モンマルトル 正気で狂うエネルギー

○女の運転手をすでに5人見た。タクシー4人、バス1人。バルバラみたいな「しっかりした甘えのない」仏女性、時々見かける。

○ノンと言わなければならない人に、ノンと言わなければならない時に、ノンということの大変さ、多難さ。優しさはダメさに繋がる危険がある。

○その趣味の女性にメトロで声をかけられた。内気そうな人。おかしかった。

○チンギス汗の本、有難う。早速読みました。

○11:45 Youをオーステルリッツ駅に見送った。KondoとChristineも一緒。Youの友人の料理人Kondoにずっとラジカセを借りたままだ。(注:これでChanson Collectionをしていた。今になってとても役立っている。)

○Parisは胡散臭い低俗な街の面もあるけれど、そして親切を表す人も少ないけれど、個人そのものとしては、一般的にその尊厳は守られる街だと思う。

○今あなた(姫神さんのこと)がくれたセーターを着ています。有難う。赤から、オレンジ、グリーン、黄、茶、ラクダ色、黒、ブルー、ピンク、紫、その他いままでいろんな色を着たけれど、最近白が着たいと思うようになったところ、この白のセーター有難う。白を着たいというのは、私はバルバラから心理的にすでに遠ざかっているのかもしれない(おめでとう、ですね)Well done!

○サビーヌのおじさん(お父さんの兄弟)がイランの大画家であるように、アブディーのおじさん(お母さんの姉さんの夫)はイラン軍の元帥だったとか。

○ダリダの歌のせいか、Deutche Bankに昨日手紙を書いたせいか、ドイツに行っていて、友達がお見舞いに来てくれている夢を見た。一昨日は隣町の大マーケットが共産圏で、そこを脱出する夢を見た。

○今日はJeannineとJean Paulと三人でエッフェル塔に登った、3階まで12F。

○美容院へ行った。78F50. 希望とはちょっと違う。巻きが大きすぎる。もっと小さく小さく幾段にも巻くのがいい。サビーヌのhair styleが理想。

○Brigitte Fontaineの「Comme a la radio」の中で仕事を見つけたスペイン人が大喜びする、という歌詞があるけど、パリの実情を見て、よく分かりすぎる。

バルバラの「怒り」の最後Va-t'en, va-t'enで終わるけれど、その最後の言葉を女がいえる場合、女は強いと思う。

○夕方Rogerの家に招かれた。フランス料理のフルコース。Rogerはプロの料理人なのだ。Annieというイタリア系の金持ち女と暮らしていた。Annieが言うには、RogerやAnnieと言う名前は、古臭いのだそうだ。

○日本を客観的に見ることには少し成功した。

○ブローニュの森で森の電車に乗り、それから森の中で樹の根に座り、バルバラのLa Solitideを聞いた。ブローニュの森の小川のそばで一人聞くバルバラのなんというエレガンス。でも柔軟であるべき精神がどこかで凝固しているこの声を聞いて思った。来る前にバルバラを聞きすぎたためか、あるいは本質的にか、私の精神も決して柔軟ではなく、どこかで頑なに凝固している。不必要に凝固している私の魂、どこかで病んでいるのだろうか。あるいはこれがArtistの宿命なのだろうか。他人を絶対拒否する極度の孤独にこうしてしばしば直面する。(なにも今に始まったことではないけれど)

姫神さんへの手紙(4)

8月×日
今日「遊びたいとも、働きたいとも、勉強したいとも、恋をしたいとも思わない」なんて話していたら、ある日本の女の人から「あなた現実に疲れているみたいね」なんて言われた。ひょっとしてコレ当たっているかもしれない。Paris生活を楽しむ間もない時に、盗難にあって、その事後処理で実際に疲れているのかもしれない。よく食べてるけど、精神的疲労かもしれない。(遊びたい)と思わないのは致命的な気がする。ソルボンヌの集中講座も、いまさらバカらしくなって取り止め。何事にも意気消沈気味。たとえば最近サビーヌとも会いたいと思わず会っていないこと、これはやっぱり(現実に疲れている)んだと思う。TCの処理、最後は銀行を通さず個人とドイツBKの間で解決したんだけど、その2ヶ月間の精神疲労、今ひとつひとつの場面を思い出しても、私一人の精神力で耐えられる限界に近かったように思う。いきなり、こんな(現実)に立ち塞がれたものだから・・・調子は回復しそうで、しない。第一もしDeutche BKから返事が来なかったら(東銀の人は、個人に返事は来ないだろう、なんて言ってた)8月末に帰るハメになっていたと思う。そんな状態で何をする意欲を持ちえただろうか?しかも使用可能を知っていながら手持ちのTCを、使わなかったこと、これは私の良心なのか、小心なのか、理性なのか?精神的苦痛に加え、現実にお金が急速に減っていく、加えてrefundは宙に浮いたまま(Societe Generalのミス)。このマイナスをプラスの状態にもっていけること、それは忘れることとか、解決する(した)こととか、そんなことではなくて、これに勝るとも劣らない逆のこと、つまり(多大な喜び)以外にありえないと思う。解決した、なんてなまやさしいことで回復できる筈なんかない。今は家に帰る意欲さへない。それならむしろBruxellesに戻る。本がでないこと、これもガックリゲンナリ。O氏に会った時あの手紙(例の18枚に及ぶ、トリックと種明かしと、小説構造に関する疑問の手紙)手渡してきたけど、ひょっとしてそれが原因かもね。いつものようにあなたのアドヴァイス待っています、あなたの考えを、お願いします。

9月×日
TCの件で家にSOSを出せなかったし、出さなかったのは、当然のこと。家族のオーエンがあってその上で来たのならSOSが出せるけど、単身独行で来たのだし、SOSなんて出せなかった。でも結局、あのスッカラカンでSOSを出さなかったこと、家族の援助が無かったこと、それでもなんとか切り抜けたこと・・・よくやったと自分では思うけれど、それは結局、今振り返ってみると、大怪我をして病院に行けなかったような状態を生んだに等しい。その間の心細さと不安とショック、イラダチと困難と苦労を思うと、やっぱり自分が可哀想だと思う。自分が選んだ行為、自分で責任を取って当然なのだけれど。大怪我をして道端に放置され病院に行けなかったような日々、を体験したことを貴重な試練、だなんてそんな大嘘は言えない。ただ自分の人生を自分の意志で生きようとするとき、その病院は自分で建てるしかない、もう私には病院は無いのだ、家族と言う無条件な病院など、父を亡くした時すでに無いのだということ、肝に銘じなくてはならないと思う。

姫神さんへの手紙 (3)

そのうちサビーヌの写真送れると思う。
昨日サビーヌの所に泊まって今日はサビーヌの実家で昼食までご馳走になった。ともかく凄く眠いのでひとまず帰ってきた。サビーヌと話すともうほとんど驚くほど上手く仏語が出来た。
ジャニスのレコードあったので、誰が買ったのかと聞いたらサビーヌと言う話。サビーヌもジャニスが好きらしい。サビーヌは固い感じが全然無くなっていて、かなりイカレた感じになっていて、それが魅力的で、まあ常人じゃないような感じが少しして、それで彼女次第に人間として本格的に優れていくように思う。
サビーヌのお母さんが朝の5時にBruxellesあてに、日本からtelがあったと言っていたけど、誰がしたのですか?時差は8時間日本が早い(日本の午後1時はParisの朝5時)ことを伝えてください。
・・・・・・
T.C.のことが、どうも気になって落ち着かない。(結局、リファンドされた1000DMを返却して、見つかったT.C.を使うか、見つかったT.C.を返却して、残りのリファンドを早めてもらうか、それだけのことなのだけれど。ドイチェバンクのpresidentと個人として直接対峙するのが一番早い。ドイツに行く余裕はないから、詳しいいきさつを手紙に書いて昨日出した。(貿易会社で毎日コレポン一人でやってたのだから、こう言うのは得意)・・・来週の終わりには、はっきりすると思う。これだけ手間暇かけて、なを結果として膨大な時間とcashを損失した。さらに精神的苦痛を考えると・・・なにか償いが無い限りParisを許すわけには行かない。(と言ってもParisは知らん顔、だけどね)
・・・・・・

今日はベルサイユに行った。とてもParisから近いので驚き。ベルサイユでニューヨークから来た人と出会ったけど、なんていうか英語を話そうと思っても、仏語が出てくる。でもまだ単語が不足で発音がきたない。
昨日初めてParisの夢を見た。サンミッシェルの風景だったけど。

・・・姫神さんは手紙を保管していてくれて、まとめて返却してくれた。
   今、そのよれよれの現物を見ながら、打ち込んでいます。・・・

(追記):整頓していたらDeutsche Bankからの2通の返事が見つかった。
○5th August, 1975(25th July,1975への返事)
 We thank you for your letter sent to us on 25th July,1975.
We are pleased to learn from your letter that the DM Travellers'Cheques which have been reported stolen are actually intact. We shall therefore be obliged if you will kindly let us have the DM Travellers'Cheques for which you already received an immediate refund of DM 1.000,--from Societe Generale, Paris. Please send us by registered mail-as soon as possible-the DM Travellers'Cheques of the equivalent of DM 1.000,--.
Regarding the remaining cheques you can retain these cheques and present them for encashment at any time.
With kind regards, we remain, Yours faithfully, Deutsche Bank AG その後直筆のサイン
(すっかり忘れていたが、結局戻ってきたTCから1000DM分を書留で返送せよとの指示だったのだ)
○22nd August,1975
Many thanks for your letter dated 14.8.1975.
We have received your DM Travellers'Cheques for DM500,--Nos. 90.730.111-112.
Hoping that this matter is settled at your convenience, we remain,
Yours faithfully, Deutsche Bank AG その後直筆サイン
(私の住所は25AvenueFoch 94-Vincennes/Frankreich となっている。この手紙が届いたのは8月28日というメモがある。執念で黒のバッグをやっと取り戻してからその後、ドイチェバンクとのやり取りだけで一ヶ月以上もかかったことがわかる。)

姫神さんへの手紙 (2)

結果が意外なこととなってthe end。
これからまた、手続きのやり直しをしなければならないので、全然嬉しくない。一体今まで・・・。
必要書類をそろえて大使館に行ったら(いつもと違う人が出てきて)ポリスに行けという。で、ポリスに行くとまた別のポリスに行けという。それで、探しに探して行ったら((あった!!))パスポート、イエローカード(注:予防注射の証明書)、T.Cheque等出てきた。ただし現金はフランも円も勿論無く、愛用の和紙のさいふも、「黒い鷲」の歌詞メモと一緒に消えていた。
運が向いてきたみたい。けど、すでに受け取った1000DMを返したり、ドイツにtelexしたりAir Siamにも再発行された切符を返したり、これからまた大変。それに古い出てきたDMが果たして今有効かどうか。手続きだけでも今まですでに随分費用をかけたと言うのに。もう一度逆の手続きを繰り返さなければならない。
(注:1区、地下鉄シテ島でひったくられた黒のバッグは現金を抜き取られ、お箸も1本抜き取られ?Paris20区のゴミ箱の上で、親切な人によって発見されたのだった。)

サビーヌに住所知らせたら、速達でたった今返事がきた。期待通り友情に溢れたletterが来た。明日会うだろう。週末、一緒に過ごすことになると思う。
今日はあいにくの雨模様。だけどNotre Dame(Paris)とも和解できた。私のParisがやっと始まる。そして明後日はParis祭!!
・・・・・・・・

Chequeのことで完全にこんがらがってきた。はっきり言って黙っていれば、stop payment impossibleのtelexが入っているから、私の場合完全に2300DM丸儲けできるのだけど、根が正直だから、見つかったことを届ける。そしたらこれがかなり複雑で、お金1000DMを返したり、refund要求取り消しの手続きをしたり、つまり骨折り損のくたびれもうけ。おまけにすごく気分も悪い。なくなったT.C.が出てくるなんて、まず無いとのことなのにネ。今頃出てきて、踏んだり蹴ったり。かえって面倒で、今までの努力、必死の努力も水の泡。もう寝込んでしまいたい。
月曜日に行くと、とりあえず銀行2箇所にtelを入れた。
さっきABDIが1通目の手紙を届けてくれた。(注:姫神さんからの手紙のことか?)
告別式・・・もあるけど、出会いと言う誕生も人生にはあると信じたい。・・・
もう9時、外はまだ明るい。

これから3,4日、またT.Chequeのことでイライラしながらフランス語を引っ掻き回さねばならない。全く、こんちくしょう!!今はまだ何もかもすっきりしない。大使館なんて12:00?15:00までシャッターおろすのだから、もう時間のlossが甚だしい。

バルバラの持っていた緊張感・・・Parisはそれを人に要求する。だからParisだけはいつも若い。

・・・・・・・・・
(追記)Parisの東銀の支店には何度も足を運んだ。行員と親しくなって家に招待されたくらいだ。
東銀には警察から自分ですぐに電話して、T.C.のひかえていた番号を言って、使用停止手続きをしてもらうつもりだった。できると思ったがそれは出来ないらしい。(KKの恋人はスイスの銀行家だったので、後にそのことを聞いてみたが誰が何処で使うかわからないものを使用停止処置など出来ないということだった)そのためにT.C.には保険がかけてあるのだ。盗難にあった場合まずは、警察に行く。そこで盗難証明書を作成してもらう。そこからしか何も始まらない。(注:最寄の警察に辿り着くまでに、随分道に迷った。個室でまず事情聴取。アイナメという魚のような名前の黒人の英語を話せる警官が担当になった。帰り際にフランス語で「Soyez prudente」と言われた。盗難にあった者がParisで同情されることは無い。その不注意をむしろ咎められるのだ、すべては自己責任、それがParis風の発想だと識った。)その後すぐに銀行に行ったが、どこでT.C.を買いましたか、と質問された。淀屋橋の東銀だと言うと、まずその確認の電報を打つので、お金を支払えと言われた。吃驚。返事を待つために、明日もう一度来いと言われて。その確認が済むと今度はT.Cの番号確認のためにドイチェバンクに電報を打つと言われて、また電報代の支払い。何日も何回も東銀に足を運ばねばならないので、その間は東銀のまん前のホテルに宿泊していた。
盗難にあったTCが見つかった、どうすればいいかと相談に行ったら、普通はさっさと諦めるか、さっさと帰国するものなので、そんなに粘って(そう言えば毎日のように警察やら、拾得物管理所に顔を出して、まだ犯人は見つかりませんか、まだ黒のバッグは見つかりませんかと催促していた)、警察に届けられて本人に戻ったケイスは今まで無かったので、後はどうするかはドイツに行ってドイチェバンクと相談して決めてくださいと言われた。えぇっ!
東銀から連絡を受けたドイチェバンクはリファンドについては今後東銀ではなくParisのソシエテ・ジェネラルと交渉してくれと言ってきたので、ずっとソシエテ・ジェネラルと渡り合って来た。盗難にあったT.C.が見つかったとソシエテ・ジェネラルに相談に行くと、そこでもそれに関してはドイチェバンクと協議して欲しいと言われた。
再発行を済ませていたAir Siamに、盗難にあった帰りの航空券が見つかりましたと相談に行くと、再手続きはさらに面倒なので、古い見つかった方を破棄して欲しいと言われた。
パスポートはまだ再発行手続き中だったが、再発行のために暑い中6,70枚の書類にフーフー言いながら書き込んだのを覚えている。詳しい盗難状況を根掘り葉掘り、延々と書き込む。あれはなんだったのか。今となっては。

姫神さんへの手紙 (1)

 あなたに貰った国際返信用切手や「黒い鷲」の歌詞なども一緒に盗まれて、ぐやじい思いをしています。・・・
小切手(TC)の件はようやく何とかなりそうな気配。まだまだ安心できないけど。・・・この頃人を見るとみんな泥棒に見える。(注:多分盗難の後遺症) 書いた日記も一緒に盗まれたのも残念。

 サビーヌの一家はバカンスに出かけたらしく未だ彼女と連絡が取れていない。楽しみはお預け。・・・

 絵葉書でいいのでBruxellesで親切にして貰ったrosyに、あなたからも友人としてお礼の一筆を書いて出していただけませんか?(英語でいいと思います)以下が住所です(略)。

 部屋は念願の高級住宅街の一室(屋根裏部屋だけど)。犬を連れた老婦人がやたらと目に付く。壁にはABDIに貰ったイランのカレンダー、1353年なんて書いてある、とrosyに貰った温度計、今26度C。近くに目の覚めるような美しい公園と森(Vincennes)がある。

 Monsに2日いたけど(BruxellesとParisの途中)この時はユースに泊まったのでイギリスの小学生達と仲良くなり、彼女達の遠足に同行して、先生達とも仲良く、いい感じで過ごせた。イギリスの教育の自由さには驚いた。夜は眠くなれば眠る、いつでもいい。子供達が夕方カフェでビールを飲んで酔っ払って帰ってきたのには驚いた。この時の写真、フィルムを出す時に失敗してボツ!残念。

 オランピア劇場、ふと目にとまったけど、なんと小さな劇場だった(注:通りからはそう見える)。カトリーヌ・ララという歌手がいるけど、Barbaraと共作している女流作曲家は彼女だったっけ。今、ジョー・ダッサン(注:ミッシェル・サルドゥーの間違い)の「un accident」と言う曲、ニコール・クロワジールの「une femme avec toi」という曲が大ヒット。

 フランス語は、用はなんとか足せているけど、語彙は全然増えない(今のところ、勉強どころではないので)

 野ウサギのパテはくさくて不味かった。vin rougeには少し慣れた。今日は特選きのこカンズメがおいしかった。豚の頭の酢漬けも結構良かった。ほとんど自炊。ヨガの教えの項目に「知足」というのが有るけど、あれを読んでいて良かった。生活の工夫ということ。この何も無い部屋の中で。知足。
  ・・・・・・・・・・

 ヴァンセンヌの森の中ほどに野外競馬場があって天井の窓から首を出すと、夜間競馬の灯りが見える。・・・今日はABDIが遊びに来てくれた。Sabineとはまだ会っていなくて、そう言えばRogerともまだ。Sabineのお父さんがすごくBarbaraのファンなのだそうで、それを聞いて嬉しくなっちゃった。ABDIのイランの家の庭にはプールがあって、凄く大きな家。写真で見せてもらった。ABDIのお父さんもお母さんも、凄く気さくな感じの人。先日昼食に招待してくれた。ABDIはフランス語が凄く上手くなっていて、差が出来てしまった。

 飛行機に乗る前に、東京でO先生に会ったけど、出版は8月頃とのこと。それからlastの作品「あの風の墓地」、独特の味が出ているといって、誉めて貰った。救われた気持ちがした。(突然、昭和女子大なるところを訪問したのでした)

 大使館がAv.Hochにあり、大使館推薦の写真屋がAv.Wagranにある関係上、このところ毎日シャンゼリゼを歩いていて、もうあの辺には、金輪際行きたくない。(注:パスポートの再発行のために写真が必要となった)

・・・親友の姫神さんにParisから出した手紙から転載しました。・・・
(追記)Paris到着3日目、ホテル間の移動中に地下鉄の中でプロの犯罪者集団に黒いバッグをひったくられた。数週間後Youが住んでいた建物のコンシエルジュの善意で、この屋根裏部屋に辿り着いた。別のキャリーバッグの底に入れていた僅かな日本円のTCで暮らしていた頃だと思われる。文面から察するに1000ドイチェマルク(一部)のリファンドは完了していたかもしれない。パスポート、オープンの帰りの航空券、ドイチェマルクのTCの再発行のために孤軍奮闘していた頃に書いたものだと思われる。
(追記)比較的落ち着いた文面から察するに、TTが一人でかき集めて送ってくれた日本からの郵便為替のTTの援助金(20万円弱)も既に手にしていたように思われる。Vincennesの屋根裏部屋に辿り着いて2週間後に受け取ったような記憶がある。
TTにも母にも盗難の連絡はしなかった。がSKに出したハガキの内容が母を経由してTTに伝わったようだ。この時のTTの送金には今も心から感謝している。地獄に仏の思いがした。

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