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Rose Bruxelles et Moi

詩誌「ふらん」にBruxellesの思い出を書いたことがある。しかしもう原稿もないし、発表誌も入手不能。どんな内容だったかもはっきり思い出せない。諦めていた。
ところが今日、その原稿を自分で朗読しているテイプを偶然に見つけて吃驚した。録音自体を完全に忘れていたから。
Rose Bruxelles et Moi」、今日は日記を音声でお聞きください。
「Barbaraの子供云々」と言っているのは、当時Barbaraに関しては日本語の資料しか入手できず、その中に「Barbaraは結婚し子供も生まれたが、離婚してParisに戻った」という記事があったので、それを鵜呑みにしていたからだ。

こちらは 「La Grande Zoa」を歌っているRose。お聞きください。いい声をしているRose.

Roseはなんてやさしい声を出しているのだろう。この時私はカウンターの中に入ってRoseの横にいる。水道管のようなところからビールをジョッキに入れているところ。
Rose et Bruxelles
;音声日記をお聞きください。

朗読の中で「白馬車」と言っているのは「白馬」の間違いです。

Roseの店は普通の喫茶店の感覚の十倍くらいの大きな店で、店の奥には年配者がカードゲイムを楽しむ部屋、ビリヤード場、そしてピンボールなどを楽しむゲイム機のある部屋がさらに付加されていた。日本人はたいていゲイム機やビリヤードをしにくるらしい。
二階はホテルになっていて二度目の時はその中の一室に泊めてもらった。
「来年は店を閉めて小鳥屋さんをするつもり」と言っていたRose。あんなに繁盛している店なのに何故?売却するつもりなのだろうか?
RoseにはWillyというカメラマンの夫がいて、Willyという同じ名前の小さな息子もいた。
「たった二度よ、二度目で妊娠してしまったのよ」
Roseはわずか18歳で結婚し子供を産んでいる。それで身動きがとれなくなった自分を、いささか悔やんでいるようだった。人生はまだこれから始まるのに、18歳で固定されてしまうなんて。
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バケツの水が頭から


バケツの水が頭から 2004年9月8日 (Wed) 18:51:54

サイトからプリントアウトした一人の人の写真をもう一時間以上もじっと見つめている。ー

カウンター付近に小さな人だかりがある。近づいて行くと「あっ、外人だ」と言う声がする。まさか、私のこと? 成り行き上成りすますことにする。英語で手続きの申し込みをする。係りの人は国籍日本のユースホステルカードを見せているのだから、判っている筈なのに、口を合わせて、おまけに私を外人用の部屋に振り分けた。私が部屋に行こうとすると、その人だかりが全員ゾロゾロついて来る。いくらサングラスで目を隠しているとは言え日本人かどうか判らないのだろうか?仮に外人だとして、そんなに珍しいのだろうか?

先着者に挨拶して荷を解く。うっかり忘れて、私を見物に来た人達に言った。「今日は暑いね」・・。「日本語しゃべれるの?」吃驚している。そんなに吃驚しなくても。「だって日本人だもの。ほら」サングラスを取る。「なーんだ、日本人か」口々に言って、さっさと部屋から出て行った。

自動販売機でコーラを二本買って、一本を一番近いベッドの子に渡した。「いくら?」「要らない」

「何国人?」から話が始まった。・・
「あと4日で国に帰れる、家族に会える。とっても嬉しい」「家族に会うのがそんなに嬉しいの? よっぽどいい家族なのね」「そう」
「お金を使いすぎて、もうこれだけしかないの。そしてついにユースに来たの。明日もここよ」「私も明日もここ」
「パリからイスタンブール、カトマンズ、そこから東京まで飛行機で」「オリエント急行とアジアハイウェーね。じゃ長い旅なのね」」旅行は男友達と一緒にスタートしたのだと言う。
「カトマンズって、素晴らしかったわ。最高に感動したわ。教授資格試験に合格した記念旅行なの」「教授資格試験って、あのサルトルやボーボワールと同じ資格の?」・・
聞けば、論文はマラルメ研究。私も手に持っていた新聞を見せた。「日本語だけど、ここに私の作品(小説)の批評が出てる。読んでみるから聞いてね」日本語の新聞を英訳しながら音読した。「タイトルがカッコいいでしょう。Retournons Mes Anges d'amourってところかな」

次の日。「今日は昨日知り合った日本のサラリーマンが仕事を休んで一日東京案内をしてくれた。おかげで何とかお金がもちそう」「私は今日は文芸評論家(小川和佑氏)の出版記念会で、ヒルトップホテルに行って来た」・・
その夜、夕食のあとだった。彼女が一気に旅のこと、胸の内を打ち明けたのは。

彼のこと信頼していたし愛していた。私も彼が初めてで彼も私が初めてだった。(えぇェ、そんなフランス人がいるの?)2人とも勉強ばかりしていたの。ある日彼が突然打ち明けたの。昨夜,他の女と寝たって。そんな話が彼の口から出るなんて夢にも思わなかった。バケツの冷たい水を頭からかけられた思いがしたわ。(気づかなかったの?)全然。相手は中国女。一日に何度も服やアクセサリーを付け替えるチャラチャラした女よ。男を四六時中物色している女。彼は女性経験があまりないからクラクラきたのね。ショックだった。何故そんなことができるのか私にはわからない。(話し合ったの?)彼がしたいと思うのならすればいいのよ。一人の中から一人として選ばれるより、多くの女を知って、その上で選んでくれるほうがいい。(彼はどう言ったの?)僕が間違ったことをした。だからこのまま一緒に旅を続けるかどうか、君が決めてくれって。一度芽生えた不信、どうしようもなかった。一緒にいたいけど、一緒にはいられない。それで途中で別れた。それから一人。(パリに戻ってからどうするつもり?)わからない。お互いまだ好き同士なんだけど、前のようには戻れない。自分の気持ちをどう整理するか。(一時の気の迷いでしょ。そんなことで別れたら、後悔すると思う。やり直したら)出来たらそうしたいけど、出来るかどうか。?

半月後に手紙が来た。「仲直りできました」
さらに半月後「今ずっと年上の作家と同棲しています」

翌年Parisに行った時は、彼女はストラスブールに行っていた。さらに2年後の時は、私がすぐに盗難にあい、連絡を取るのが遅れた。日本の友達が緊急援助金を送ってくれ、とりあえず一息ついた時点で連絡した。

彼女はSylvainという青年とパリ郊外の手作りの家に、もう一組のカップルと4人で小さなコミューンのような暮らしをしていた。私はそこへ出かけた。SylvainはLenormanに似た感じのいい青年で私にもいろいろ気を配ってくれた。ただSabineが「Bruelles、実は私、あの時の彼のことをまだ愛しているの」と目で合図した。私が近視なのを思い出して、近寄って「昨日、今アメリカにいる彼から手紙がきたの」と耳打ちした。嬉しそうだった。私もいづれアメリカの大学で教えることになると思う、そしてそう言った。その夜はコミューンで寝た。一度Sabineの16区の家に正式ディナーに招待されたが、Sabineとはそれきり会っていない。

ABDIのことを日記に書いた日、Sabineが話した中国女のことをふと思い出した。叶姉妹のような中国女だったのだろうか。Sabineが話していたフランスの教育制度について、調べたくなってインターネットであたってみた。知りたいことが出てこない。いっそのことSabine Raffyと入れてみようと、ふと思った。すぐに沢山HITして吃驚した。BostonのWellesley Collegeでフランス文学を教えていた。Aix-en-Provenceでも教鞭をとっている。Nathalie Sarraute(ナタリー・サロート)の第一級の研究者になっていた。予測出来たこととは言え、かなり驚いた。
Chambre d'echosという出版社から「Le Tapis de memoire 」という物語を一冊出版していた。Sabine,すごいじゃない。さらに検索を進めた。・・

http://www.wellesley.edu/PublicAffairs/
WellesleyWeek/Archive/2000/ww100900、をクリックして、今度はバケツの冷水が私の頭にぶちまけられた。

Professor of French Literature and Cultural Studies,died on September 27,2000 in France.(略)She was a very popular professor and will be missed by both her students and her colleagues.(略)

http://www.chambrechos.freesurf.fr/raffy-echos.html
にLe tapis de memoireの紹介が出ている。Sabineの写真があった。面影しかないが、面影がある。ずぶ濡れの気持ちが乾くまで、まだ何時間もこの写真を見続けるだろう。

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Gerard Lenorman 「ON A VOLE LA ROSE」


あの馬鹿

あの馬鹿 2004年8月19日 (Thu) 19:10:42

将来のある若者をおもちゃにした(本当かどうかは不明)という罪で、もう何年も前に石井苗子が芸能界から姿を消した。彼女の小説に「女族」がある。死に至る病に倒れた友の命を一人で肩に背負う、感動の物語だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

退院してからCCの家に行くのは3度目だ。入院中10?も太ると、つまり自分の精神状態が変わると、何度行っても以前と違って感じる。隣にカナダ人の女性が二人、住んでいることも知らなかった。
CCが私を紹介する。「Enchantee」何を思ったか握手をしながらそう言った。相手はパッと笑みを浮かべ「あら、嬉しいわ、私ね、カナダのケベックなの。私がケベック人ってわかった?」感じのいい人達だ。・・
二人はDV(ドメスティック・バイオレンス)の活動をしている。「夫の暴力に耐え切れず、着の身着のままで裸足で皆飛び出してくるのよ」二人は日本人女性の救済ボランティアをしている。日本の企業内女性の地位向上のための組合活動もしているんだよ、CCが言う。CCもエイズのボランティア活動をしている。定期的に寄付もしている。日本人の友達でそんな活動をしている人は、私を含め誰もいない。見上げた人達だ。
二人はこんな映画上映があるわよと、切抜きの紙切れを持ってきた。「Je suis ne a Venise」あっ、ベジャールの映画だ。同時上映は「月の瞳」見に行こうと、その時思った。

思いもかけずバルバラが画面いっぱいに現れたので驚いた。歌を歌い、ピアノを弾き、台詞を言う。宝くじに当たった心境。場所は十三。これは自主上映の小さな映画会。ポスターを見て確認する。主催、ゲイとレスビアンの会。制作から10年後バルバラとベジャールの映画、こういう形でやっと日本人の目に届いた、ということだろうか。

前回つまり退院して2度目にCCの家に行ったときはハロルドがいた。デンマークのコペンハーゲンから。CCの仕事中ハロルドは一歩も外出しない。そこで私が話し相手に呼ばれた格好だった。リハビリ中伸びた私の髪の毛をカットしてくれた。なんだか心が反射しあう。「DJになりたいんだ」と言った。

人をお招きするような家ではないからとずっと断ってきたのだけれど、何度も泊めてもらって自分は永遠にお断りするわけにもいかなくなった。OKを出すと、CCはハロルドを連れてやってきた。
ハロルドはCCよりも今日は機嫌がよくて床がボコボコの台所でデンマーク料理を作ってくれた。
その後私のベッドに乗ってレンタルしてきた「三島由紀夫」というビデオを3人で見た。映画館のように部屋を暗くして。このときもハロルドの心の状態が反射してきた。動かないただ、静まって平常なのだけれど、その平常が一致する。京都にいる間、そしてコペンハーゲンに帰ってからも何度か手紙をくれた。CCと破局してからも。長い手紙を何度か私にくれた。

1年くらいしてからか、CCのヨーロッパバカンス中にCCの妹が来日した。妹キャロルの観光案内を私がすることになった。1ヶ月ほどしてキャロルは米国へ。CCは日本へ帰ってきた。四ツ橋のPALMであった。「ディスコでボーイジョージに会って少し話したよ」と言うお土産話からスタート。最後の最後、席を立つ直前にCCがついでのように言った。「偶然ハロルドに会ったんだ。連絡なんかしてない、偶然」ハロルドの顔が浮かぶ。心が反射する。
「・・・DJになってた?」
CCが無念と悔しさと怒りの表情を露にした。

「あの馬鹿HIV POSITIVEに。・・・なったって打ち明けた。サウナに行くなって、あんなに言っといたのに」

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Sid'amour a mort BARBARA


(5)船会社のイヴ・モンタン

(5)船会社のイヴ・モンタン 2004年7月13日 (Tue) 16:16:37

近鉄百貨店で見たBさんとCさんのマネをしてMSと画廊の二階で、誰も見ていない時に、手を取り背中を合わせて少し踊ってみた。
彼は身長180cm近くあり、ルックスはイヴ・モンタンの若き日に似ている。来年早々ロンドンに発つ。1週間かけて少しづつ生い立ちや、夢や希望を話してくれたのは、会ってまだ2週間目くらいのことだった。

東京から帰ってきて淀屋橋の東京海上ビルの9階に、親友の姫神さんを訪ねた。
「姫神さん、あの人だれ?」
「やっぱりね。Bruxellesちゃん,好みでしょう」
MSは遠くのほうで靴の紐を直していた。その仕草がとても美しい。勿論顔は見えない。
「実はね、あの人が、貿易会社の人に頼まれて、人を探しているのよ。一度話しを聞いてみない?ちょうどタイミングがいいわ」
「紹介してくれるの?」

次の日、MSに連れられて初めて大江ビルに入った。1階の喫茶店で中村さんと面接する。
「いい会社に行ってたのにどうしてやめたんですか」
「制服着せられるのがイヤだったんです」
前の会社は大会社の子会社で昔からよく知っている亡き父の元上司が社長をしていた。形式上選抜試験はあったが、とっくに内定していた。東京に本社があり、新しく大阪に営業所を出すために人材を集めていた。事務用品の購入から、銀行口座の開設、とにかくイロハのイからのスタートだった。昼食は大会社の食堂でする。営業所は大会社の前の古いビルの1階で、やはり子会社で医学専門書を出版している(株)西日本臨床の部屋の一角を、仕切って間借りしていた。営業所所長が本社から一人来て、他に引き抜いた営業マンの新人と私の、3人構成の会社だった。社員食堂の食事はおいしく、しかもタダだったが、大のエリートの大人が食券を持って,並ぶという行為にまずショックを受けた。

中村さんは、前の会社では決して見かけない、ビジネスマンというより、浪速商人という感じがした。
タバコを出す。透かさずMSがマッチをする。中村さんは何を焦ったのか、なかなかタバコを口に持っていけない。MSはじっと待っている。火に近づこうとしてはタバコを落とす。MSの指が焼けてしまう。MSは動じない。平然と待っている。火が指の皮に燃え移る直前になって、ようやく一息で消した。やり直し。また同じ。中村さんがもたもたして、ああ、MSの指が燃えてしまう。ギリギリのところで火がついた。アッチッチ。そう感じたのは見ている私で、MSは平然としていた。

MSや姫神さんの会社は、ユダヤ系の船会社で、MSは営業マンとして中村さんと以前から顔見知りだ。即決。給料も1.6倍。前の会社は道修町で淀屋橋の南側。今度は一番北側で降りる。いずれにせよ商都大阪の中心地だ。地下鉄を上がるとまず角に、父の代まで唯一の親戚として残った石原のビルが見える。土佐堀川を西に2,3百メートル行った、今の住友本社ビルの辺りが、本籍地の筈。大江橋から振り返ってみる御堂筋が私の一番好きな大阪。外国にいても思い出す故郷は、自分の家でも自分の部屋でもなく、いつも御堂筋だった。祖母にそうインプットされてしまっている。

MSは初めてアルファベットを見たときからアルファベットに恋した男。高校のときリンガフォンを買って欲しいとねだり,拒否されたことが悲しい思い出として心に残っている、ピュアーな少年。親の反対を押し切り、山口県から京都に単身上洛。働きながら2部で学び京都外大を卒業。身のこなしが美しいのは、生活時間の大半を、ホテルマンとして働き,世界のVIPや一流芸能人と接して、自然に身につけたものに違いない。

「今の仕事は、今までやりたいと思っていた仕事に近い。でも、もっと語学をやりたいんだ」日当たりの悪いボロアパートに住んで留学用にお金を貯めていた。壁という壁には様々なスピーチコンテストの表彰状が掛かっている。
「タイプも、ほら、自分で覚えたんだぜ」練習用紙が30cm程の厚さになっている。
「故郷を捨てた。親を捨てた。俺にはもう後がない。突き進むしかない」
スカラシップ留学生や親掛りの私費留学生しか見てこなかったので、彼のこの決意の構成過程に最初のうちは少し戸惑った。
どんな女と、どんな恋をしてきたのだろう。その中に、エディット・ピアフは、いなかったのだろうか?

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「Les Momes de la Cloche」  Edith PIAF

ミュンヒェンの駅で

ミュンヒェンの駅で 2004年6月29日 (Tue) 15:59:57

「この部屋完全六角形ね。面白い」
「ミュンヒェンオリンピックの選手宿舎だったの」「なるほど。結構モダンね」「あなたはパリで優雅な一人暮らしをしてるの?」「全然。屋根裏部屋だし」「アンネの日記みたいで、それもまた素敵じゃないの」「自炊だけど毎回フルコース食べてるから、食費がすごくかかる。Parisに居ると、どうしてもフルコースになる」「大阪人だからもともと食い道楽なのよ」「あなたのようにゆとりが無いから」「Bruxellesさん、毎日いい物食べてるように見える」
「自分で働いたお金で来たから。もう長くも居れない」「そうそう、そのお金送ってくれたって人、どんな人?男?女?」「何の関係も無いんだけど、結婚申し込まれてる、もう、30?40回ぐらい」「好きなの?好きじゃなかったら面倒なことになるわよ」「好きでも嫌いでもない。誰から聞いたか知らないけど、貯金の無い人だったから、どうしてかき集めたのかわからないけど、あの人にしては全財産を送ってくれた」
「じゃあ、結婚すべきね。あなたが盗難にあった挙句、異国で娼婦に転落したら大変だと思って、その人必死に頑張ったのよ」
「あはは。フランス行くから、さようならって言ったら、僕の青春返してくれ、って言われた。そんなもの、貰ってないんだから返しようが無い。いや、だからさっき言ったように、何の関係も無い」
「あなた、××って子知ってる?私の友達で、元同僚で詩集出してる子」「知らない」「『悲しみは中くらい』って言う詩集なの」「ああ『箪笥、長持どの子が欲しい』と言う作品があるあれね。あれは支路遺さんの『他人の街』から出たんじゃないかな。多分その人、一度会ってると思う。確かSS病院の看護婦さん」「そうそう。びっくり。今夜二人で彼女に手紙書かない?」「縁は異なもの味なもの」

そこへ没落貴族だと言うドイツ人の彼氏が来た。「Bruxelles,私食事作るから彼と話といてね。彼は何語でもOKよ。日本語以外は」・・・私が居たためか、食事の後彼は帰った。

「Bruxelles,私と一緒に寝る?」
「一緒に寝なくったって、お話できるじゃない」
「まあそうだけど。実は私ね・・・・」

彼女UKは、ある市会議員の愛人をしていた。存在が奥さんに発覚、修羅場があって一度切れた。復活、また修羅場があって、選挙のこともあって、結局手切れ金をたんまり貰ってドイツに来ていた。愛の巣?はまだそのままらしい。父が死に母が再婚し義理の弟が居る。鹿児島県出身の、考えようによれば一人で生きている子だった。「Bruxelles、私ね、いつか将来ね、会社経営したいと思ってるの。あなた、一緒にやらない?」

UKに引き止められて一日余分に使った。その日Parisの東銀でMSと会う連絡をしていた。スッポかしたことになる。もう遅い。
「帰りは列車で直接帰る」「私が駅まで見送るわ。列車の時刻も調べるわ」そろそろプラットフォームに入ろうと「さよなら」を言おうとした。そこで彼女は吃驚するような告白をした。
「私、妊娠してるの」!!!

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Frida BOCCARA 「Un jour,un enfant」
(エディ・マルネ作詞、エミール・ステルン作曲)


アウトバーン(2)


アウトバーン(2) 2004年6月25日 (Fri) 18:36:06

オクトーバーフェスティバル編

ミュンヒェンに着いたらオクトーバーフェスティバルの真っ最中だった。日本人大歓迎。あちこちで盛り上がりっぱなし。大親友が次々とできる。「今度戦争したら、イタリアを外してやろう。日本とドイツだけで・・・」テンション上がりっぱなし。ナオミもマンドリンを取り出して「悲しき天使」を歌った。私に20歳のとき、生きる決意をさせてくれた曲だった。ナオミとだって気が合うんだ。私も大声で「悲しき天使」を歌った。生きていてよかった。!!

その夜ホテルに戻ったらナオミが態度を一変させた。「Bruxellesあんた、私が一体何人だと思ってる?先の戦争でどんな目にあったと思ってる?」・・・ガビーン。頭にバケツが2,3個当たった気分。すっかり忘れてた。「ごめんなさい。申し訳ない。馬鹿だから許して」もう一晩中平謝りに謝り続けた。

ナオミの厚かましい要求にオドオド応じるドイツ人。ドイツ人に共感し同情する日本人。しかもこの日本人バルバラファンだからチトややこしい。コーランも旧約も読んだ。中東問題に関しては少しユダヤ贔屓の少数派だ。ドイツにおける、日本人とユダヤ人なんて薄いインクでパスポートを発行し続けた大使と同じで最後の判断はヒューマニズムに拠るしかない。だから全人類を代表したかのようにひたすら謝る。ナオミもユダヤ人を代表して抗議している。アッパレ。ナオミでなくあのアメリカ人と一緒に来ていたら、どういう展開になったんだろう。
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アウトバーン編

ザルツブルクに向かっているのだけれど、どうもコースから外れている。このまま降ろされたら次の車が拾えない。ナオミの様子も少しおかしい。人の話に返事しない。ガイドブックを取り出してあっち行けこっち行けと言い出した。ナオミが発言するたびに道の幅が狭くなる。「ナオミ、いい加減大きな道に戻ろうよ」「Bruxelles,ここで降りよう」「降りようって、こんなところで降りたら、次の車が・・」ナオミは私を無視して「止めて!!」と大声を出した。二人のおとなしそうなアラブ人は吃驚仰天して急ブレーキを踏んだ。有無を言わさないナオミが現れた。私を蹴飛ばしたり、押したり、引っ張ったりする。バランスを崩して二人で転がり出た。ドアが閉まり、車が去る。怒りが頭のてっぺんを突き抜けた。「なんで?。第一失礼じゃないの。お礼も言わないで。どうするつもり?どうして戻れる?ここは何処?」!!!私の目の中の怒りを見て魔法使いが急にシクシク泣き出した。「あのね、泣いてすむもんじゃない。」「・・。Bruxellesは、・・何も知らない・・私はアラブ語が少しわかる」「どうしよう、これから。もう別行動にしよう」「待って。まってBruxelles聞いて。・・・あの二人、・・は私達をモーテルに連れ込む相談をしていた」「ええェ!!・・な、な、な、な・・」「・・」「ナオミごめん。あなたがアラブ語を習ってくれててよかった。有難う。怒ってごめんなさい。あなたのおかげで助かった。あはは、あなたのおかげで・・イスラエル万歳、万歳!」
あの素敵なアメリカ人と一緒だったら、どんな展開になっていたことか。
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ミュンヒェン再び編

「Bruxelles」「Bruxelles」私の姿が見えないとトイレまで探しに来る。「あのね、アウトバーンは二人でも、せめてユースは別行動にしよう。ほかの人とも話したいし、追い回さないで!!」
開放されてミュンヒェンの夜は久々に楽しいユースナイトだった。次の朝出発の準備をして外に出た。ナオミがガラス戸の内側に立っている。「早くおいで」とジェスチャーした。首を振って自分はここに残るとジェスチャーする。私の目をじっと見つめて淋しそうに手を振る。えええェッ・・そ、そんなあ!!ちょっと調子に乗りすぎた。予定は全部任せていたから、今日の行動は空白。ナオミに手を振られて、もう一人で歩き出すしかない。・・

大きなデパートにたどり着いた。寒くなったのでコートでも買おう。エスカレーターに乗っていると私の顔をジロジロ見ながら歩いて追い越した人がいる。一番上で立ち止まり、じっと私を待っている。とても嬉しそうな晴れやかな顔をしている。まるで私がマリア様かなにかのように、私の到着を待っている。「日本人ですか?一人ですか?」「はいそうです」「私ミュンヒェンに住んでいます。よかったら私の家に来ませんか」「はい、今友達に捨てられ、途方にくれていました」「お昼は煮込みうどんにしましょう。いかが?」「けっこ毛だらけ、猫灰だらけ、でんがな。行きまひょ」
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ADAMO 「Inch'Allah」
アダモとマシアスが日本を席巻した時代があった。 


アウトバーン(1)

アウトバーン(1) 2004年6月24日 (Thu) 18:37:19

ドイツ人の顔を見ていると何故か信頼できると感じてしまう。フランスで盗難という目にあったせいか。それだけではない筈。日独伊三国同盟の松岡洋祐の気持ちもわかる、と全く気持ちも分からないで考える。夕食後、日本人の中に不気味なおばあさんが居ることに気づいた。「どうしたらそんなに英語が上手に話せるんですか」日本人が魔法使いに聞いている。

フィーリングがピッタリくるアメリカ人と知り合いになれて気分良好「♪パロマブランカ?♪」と歌いながら部屋に入っていくと、寝ていた誰かが言う。「今歌いながら入ってきたのは誰?」「私ですよ?」荷物を片付けながら答える。その人は起き上がり私の方に近づいて来る。あっ、さっきの魔法使いだ。「気に入ったあ。私と一緒に旅行しよう」あまり不気味で声も出ない。「私と一緒に旅行しなさい。ヒッチハイクでミュンヒェンに行く。どうだ?」私は逃げ場をなくして壁に張りついた。首を横に振る。「よし!決まった!」・・決まったって、あんた、有無を言わさず勝手に決められた。ヒッチハイク?一人ではできない。この化け物だったら何でも知っていそうだ。一緒に行くのも悪くないか。フランクフルトはいい町だった。ゲーテ博物館にも行った。ドイツ人に町を案内してもらった。あのアメリカ人の女の人はどうするんだろう。

魔法使いはベテランだった。地図もよく読みこんでいて、右から左に横に読むイスラエル語のガイドブックも持っている。二人で立って手を上げた。さすがアウトバーン、物凄いスピードだ。ビュンビュンビュンビュン。200キロが普通だ。やっと止まってくれた。初めてのヒッチハイク。ブレーキを踏んでもすぐには止まらない。数百メートル先で待ってくれている。少し前ヘドバ&ダビテの「ナオミの夢」というイスラエルの曲が日本でヒットした。この化け物も名前をナオミと言う。「ナオミ、咳するときは、こっち向くのをやめてくれない?」「コニャックがあれば治るんだよ」・・何度か車を乗り継いだ。「ナオミ、話しかけてもいいけど、向こう向いてくれない」「どうして?」「気持ち悪い」「そういう言い方は礼儀に反する。あんたがテルアビブに来たら、向こう向けって言ってやるよ。」「どうぞ」「あんたは人間として正しいことを言っていない」「正しいかどうかじゃなくて、好きか嫌いかの問題だと思うけど」・・・私ってなんてことを言うヤツなんだ。もう!
要所要所で町の見物もする。ナオミはしっかりもので道順も聞いてくれる。「ナオミ、あなたはいつもダンケシェーンを言うとき背を向けてから言っている。ダンケシェーンは相手の目を見て言わなくちゃ」ドイツ人は日本人に好意的で私は祖国に居る気分になってくる。気分は半分ドイツ人。「ナオミ、ユースで日本人がナオミの英語褒めてたけどあなたの英語むちゃくちゃね。ちょっとはましな英語を話してよ」「以前テルアビブに居たころはもっと上手な英語を・・」ナオミは音楽の教師らしい。大きなマンドリンを抱えている。隣に居るのがナオミでなくあの気の合うアメリカ人だったら。・・それにしてもなぜこんなにいやなんだろう。   (続く)
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「Chanson Pour Pierrot」 RENAUD

日曜昼のモンマルトル

日曜昼のモンマルトル 2004年5月6日 (Thu) 16:38:57

日曜昼のモンマルトルは、特にサクレクール辺りはちょっとしたラッシュアワーだ。KKをホテルまで迎えにいってここまでやってきた。さっきクレープを買って「ヘップバーンがローマの休日でソフトクリームを立ち食いするまで、ねえ、ブリュッセルちゃん、僕たちこういうのって抵抗あったよね」「今でも抵抗ある。でもあのジャガイモの揚げたのなんか、歩き食い用そのものだものね」などと言いながら階段を登った。

「ねえねえ、あの人と写真撮りたいんだけど、Bruxellesちゃん頼んでみて」
「OK」と引き受けたものの指差すほうを見て吃驚。白いコットンのジーンズに白の上着。ただ胸を丸出しにしている。その上その若い男は丸出しの胸と両腕一面に虎のイレズミがあるではないか。「止めようよ」と言おうとしたがKKが既に真剣モードに入っていてカメラの準備もしている。勇気を出してモンマルトルのやくざに声をかけるしかない。「もしもし、失礼します。私の友達がそのご立派なあなたの虎をば見て・・・」
ふと気づくと男の横に女がいて腕を組んでいる。はっと見て驚いた。まだ若い。けれど既に100%娼婦だ。顔の相にそれが出ている。痛々しい。田舎からパリに出てきたばかりなんだろう。ロングドレスだ。してみるとこの男はやくざではなくヒモか。私が察するにギクッとしたのは私だけではなくて、この男の方だったようだ。まさか観光客に一緒に写真を撮らせてほしいと頼まれようとは、夢思わなかっただろう。男は一瞬次の態度の判断に迷っていたようだ。その瞬間男と女の間にKKが滑り込み、そっと男の腰に手を回し晴れ晴れと微笑んだ。男は笑う方を選択し、女もつられて、ぎこちなく笑った。
「今度はBruxellesちゃんの番よ」
KKがカメラを取り上げ私をヒモと娼婦の間に押し込んだ。「はい、笑って」私はクレープを持って笑った。

KKがサンフランシスコに帰って数日して写真ができた。私が写したものはKKがまん中、男と女は両端。しかしKKが撮ったものは、男が中央、私が右端、男のスケは枠の外に消えていた。


追加:
今日はGermaine Montero かAristide Bruantの「A SAINT LAZARE」(サンラザールから、あんたに)をお勧めします。サンラザールは駅名の方でなく有名な牢屋の方です。生活の術のない「町の男」ヒモ(「Dans la rue」に出てくる男のような)になにかと思いをはせ、心を砕き不安を覚え牢屋から切々と書き送る娼婦の手紙がこの歌の内容です。
追加:
バルバラも昔々この歌をレパートリーに入れていました。バルバラの声質に合う歌だと思いますです。


馬か牛か

馬か牛か 2004年4月30日 (Fri) 18:20:35

a bull in a china shop

あんまり応答がないので中に入ってドアのノブをゆっくり回した。少し押して中を見た。「アチャチャ」・・「ギャー!」
ギャーと言ったのは向こうのほう。抱き合ったままこちらを向いた。立ってキスをばなさっておられた。

記憶にあるシーン。シャーリー・マックレーンとオードリ・ヘップバーンの「子供の時間」(映画では「噂のふたり」)
それから形相が一変した。私は瀬戸物屋に紛れ込んだ牛のように、罵られ、罵倒され追い出された。

ここはエアーサイアムのパリオフィス。1回目は被害報告(同情さえしてくれた)2回目は書類届け(上機嫌だった)3回目は再発行の催促(励ましさへしてもらった)4回目は今日、オープンの航空券を再発行すると約束された日時に、喜び勇んでやってきたのだった。勇みすぎてノックをせずにドアを開けたこちらが悪い。日本ならば馬に蹴られて死んでいるところだ。
牛に飛び込まれた瀬戸物屋は大迷惑だろうけど、飛び込んだ牛も、途方にくれるものだ。
再発行されて、引き出しにある筈の航空券よ、さようなら。

バラ十字会のこと


バラ十字会のこと 2004年4月12日 (Mon) 15:52:49

私が約30年前メンバーだったバラ十字会のことを話したら、Pさんが興味をもたれた。元は神秘主義の秘密結社なのだけれど、今は問題ないと思うので、下に住所を記します。興味のある方は、どうぞ。名前:Rosicrucian Order,AMORC
住所:Rosicrucian Park 1342 Naglee Avenue San Jose,California 95191-0001 U.S.A. です。
特に書籍類は充実している。会員には季刊誌 Rosicrucian Digestが送られてくる。神秘主義・錬金魔術の集大成がここにある。興味のある方は、大満足に間違いない。
私の記憶に間違いなければ、私が二度目に入会していた70年代後期、イラン革命で国を追われた、シャーハンシャー(王のなかの王)・パーレビことパーレビ国王も入会された。

2008年9月26日 追記
今日薔薇十字会のサイトを発見したので、リンクを張っておきます。
薔薇十字会をクリックして下さい。

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