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Hal Aviation : My Diary (1)

7月30日 朝
今日で11日目というのにまだsoloの気配は無い。
昨日の失敗。ここ2,3日天気が悪くてやっていなかったからもあるけど、stallの感じを忘れていた。自分でnoseを押して、さあstallと思ってrecoveryをやってしまった。本物のstallが来るまでelevatorをpullするのをすっかり忘れていた。(注:実は怖くてわざと忘れていたのだろう)
もうひとつ、"level off"と言われて、突然"level off"の仕方をど忘れしてしまった。あとで思い出したのはいいけれど、今度はpower reduceを先にやってnose downを続けた。nose downそしてspeed upをしてからpower reduce.
それから上昇の時も降下のときもtrimを使うからlevel offの時のtrimを忘れて、高度をぐらつかせてしまう。stallの時のheadingもかなりぐらつく。stallやslow flightの時のheadingへの注意を忘れないでいたい。noseをいつも良く見ている必要あり。
touch downが上手くいかない。line upしてから2、3m直前でいつも(日本にいた時もそう)狂う。rudderの使い方は少しはわかったけど。それから引きが不足。level offしてからの引きは多少強めにゆっくりとすること。level offしたところでpullを止めてしまう悪いクセあり。(注:おそらく腕の力がほとんど無いためだろう)。また風をよく理解する必要あり。
p-factorのことを理解したのだから上昇姿勢の時のrudderを忘れないようにすること。slow flightの時これを忘れるからheadingが大きく狂う。
聞いた話だけど、flap無しのpower off stallと言うのをこの先習うらしい。
flapの使い方aileronの使い方elevatorの使い方が、どうも深くわかっていないようだ。emergencyの時の高度も今ひとつわからない。それとradioで言うだけで精一杯で他のradioの会話を聞く余裕がない。それと方向。地図を今のところ使っていないから、はっきり言ってどの辺を飛んでいるのか、いつもわからない。
・・・・・・・・・・・・・・
KENETTE MEMORIAL AIRPORT
1701 East 5th Street
P.O.Box 351
KENETTE, MISSOURI 63857
Hal Aviation,INC.
の学校の便箋に殴り書きしたような日記。今これを読むと、あまりの操縦センスの無さに赤面してしまう。
誰でもはじめはこんなものなのだろうか。
渡米する前に日本で20時間ほど訓練を受けている。ここに来て操縦訓練は当然一からの再スタートだった。
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パリ 8月15日

パリ 8月15日 2004年8月13日 (Fri) 17:18:38

バルバラの綺麗な歌に「パリ8月15日」がある。「バルバラ私自身のシャンソン」A面3曲目。

食料を買おうと外に出たら、お店が全部閉まっている。何なんだこれは。日曜日でもないのに。お腹がすいた。ウロウロした挙句人に聞いてみる。
「今日はAssomption聖母被昇天の祭日だよ」
「何それ。今日は日本の敗戦記念日よ」「何の」
「大東亜戦争よ」「第二次世界大戦、そんなものは5月に終わってるよ」・・

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
八尾の産業航空のクラブハウスに行ってみると「今から飛ぶんだ」とベテラン達が言っている。「私に、それやらせて」
毎年恒例で8月15日には花束を六甲山中のゼロ戦に投下すると言う。OKが出て乗り込んだ。私は投下するだけだから後部座席。グッと高度を下げる。「本当だ、ゼロ戦が」日本が誇る、世界が恐れたZEROが、日の丸をつけて山中に見える。どの辺で落とせばZEROの付近に落下できるのか、タイミングの見当もつかない。
七曜会の先輩の福井さんにこの話をすると、全く信用しない。「六甲山中にゼロ戦なんかないよ」

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
感動もので帰ってきて、航法計算盤の使い方の練習等をしていると、パイロットの制服のようなものを着た、見知らぬ人がやってきた。

「海外で取ろうと思ってるんですか?」・・いつかの選挙の時の選挙屋に似ている。エネルギッシュな青年だ。話を聞くと、300万円で米国ライセンス取得を斡旋するという。休みが取れないとか何とか言って断ると、最後はとんでもない話になった。
「筆記が難しければ、答えを教えます。順番さえ覚えればいいんです。」さらに「極端な話、行かなくても300万円でライセンス発行します。ただしコミュニケーション制限が付きますが」
・・・・・・この人は何を言ってるんだろう。声も出ない。ライセンスの紙切れを300万円で売りつけようとしているのか。どこから紛れ込んで来たのだろう、この人。

飛行機の勉強はここへ来る5年前からしている。最近はAVIATION LANGUAGE ACADEMYからテイプ16本+テクスト+解説書の独習教材も買った。さらに米国のACME SCHOOLからPRIVETE PILOT用のFAA EXAM教材を取り寄せ、もう法規と気象と航空工学に関しては「どこからでもかかってきなさい」と言うくらい勉強している。?
やっとの思いで怒りを抑えて日本流にお断りした。「考えておきます」

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日本はなんて国になってしまったんだろう。
と、靖国神社で考える。初めて八尾に行った時、今から思えば、私はあの9.11のテロリストと同じ気持ちだった。
飛行機にあこがれる気持ちなど、最初から微塵もない。
時代錯誤も甚だしいが、国家有事の際、KAMIKAZEとして命をふかす、下準備のつもりだった。シャンソンファンだからといって決して亡国者ではない。

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Marcel Mouloudji 「Comme un p'tit coqu'licot 小さなひなげしのように」



若者と夢

若者と夢 2004年8月10日 (Tue) 17:24:49

その子は自己紹介の紙に将来の夢、ヘリのパイロットと書いていた。職業は元板前。「夢の実現に向けて何かしているの?」と聞いてみた。「お金を貯めている」「どのように?」
「昼はトラックの運転助手。夜はファミレスの調理場」
「いくら位かかるか知ってるの?ヘリは飛行機の倍はかかる」
その子は若い山男。山で暮らすために大学もやめ実際小屋で働いていた。離婚暦のある6歳年上の彼女がいたらしい。ある日山に物資を運ぶヘリを見て「パイロットになりたい!」と思いつき彼女に打ち明けた。「6,7年待って」と。

結局彼女はハンディーがありすぎた。彼は若くてハンサムだった。若い頃の沢田研二を奥手にし素朴にした感じ。話し合って別れた。彼女は別の若い建設会社の二代目社長と再婚した。彼も山を降りた。そしてまず英語をと、とりあえず英会話学校に来て、生徒として私と出会った。
私はその頃八尾のクラブに入会していたが、彼は初めから訓練費用の安い、アメリカで、と考えていた。私もお金が続かない。ライセンスの取得は虹の彼方、山のアナアナ・・

彼は昼間の仕事を変えた。そして取引先の社長、中山さん所有のボナンザ・ビーチクラフトに試乗させてもらえることになったと電話してきた。「私もついでに」
中山さんのビーチ・クラフトに乗り彼が操縦桿を握らせてもらう。舌を巻いた。センスがいい。中山さんも認めた。

お互い時間の合うときは、近隣の山に行ったり、中山さんの飛行機に乗ったり、福本和也の飛行機小説を回し読みしたり、その他はたいてい将棋をしていた。いろんな事を話し合いながら。だから折りたたみの将棋板の裏には今も雅勇、Bruxellesの勝敗記録が正の字で残されている。

私は飛行クラブの航空雑誌の広告を見て全米で一番安い学校に行くことに決めた。当時日本での取得は陸上単発で400万と言われていた。私は渡航費、滞在費、訓練費全部で120万に抑えたかった。操縦センスのわるい私は、何とかギリギリでむしり取ってきた。彼は中山さんの紹介で中村錦之助の弟が経営するカルフォルニアのBAKERSFIELDにある日本人向けの学校に行って、それこそトップの成績で、250万で取得してきた。

職業にしようと思うとここからが長い。昼となく夜となく働いていた。「向こうでスシバーで板前をしてはどうか」二人が同時に出したアイデア。お金を貯めるだけに何年もかけて、その後で訓練では、もう遅い。一人息子なので、家族は猛反対、私一人が背中を押した。まずNew Yorkへ。そこの日本人村は驚くほど麻薬に侵されていて、素朴で潔癖症の彼は悲鳴を上げた。次はサンフランシスコ。板前の腕を買われて一年で店を出してあげようというスポンサーも現れた。料理人になるために行ったのではない。それでは本末転倒と断った。訓練をしながら寿司を握って彼は頑張った。計器飛行、教官免許、双発ライセンス・・新しいライセンスを取るたびにコピーして送ってきた。彼の家族は相変わらず彼を道楽者と決め付けている。が努力は報われ、彼はやがて教官になり、飛行時間をうんと稼いだ。

10年目くらいに全米航空業界の不況が来た。「日本の飛行学校で教官の仕事がしたい。探してほしい」と言ってきた。結婚もしていた。焦りがあったのだろう。

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在米20年。彼は今BAKERSFIELDにいる。どこまでが境界かわからないような一軒家、アメリカンハウスを購入した。キャデラックもある。ゴルフもする。何より保険年金も入手、老後の社会保障まで手に入れた。現地採用。制服、全日空の社員証、休暇。もう以前のように時間極めで飛ぶパートタイマーではない。山小屋でヘリを見ていたアウトサイダーの青年が、20年かけて全日空のパイロット訓練部門のナンバーワンに、航空業界の中心部にいる社会人になった。余暇には楽しんで自分の飛行機を飛ばせている。

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「Holidays」  Michel POLNAREFF

First Solo


First Solo 2004年7月11日 (Sun) 16:47:06

今日は選挙。ミズーリ州の飛行学校にいる頃、ちょうどFirst Soloの日が、選挙の日に重なった。どの州も多分同じと思うが、その州では、選挙期間中アルコールの販売が全面禁止になる。夜になるまでお祝いのビールを買えなかったのを思い出した。

パタシューの店ではアトラクションにお客のネクタイを切り取って壁に貼り付けていたらしい。First Soloの時も記念に着ているシャツをハサミで切り取って、飛行学校の壁に貼る。
New Yorkのツインタワーに激突したアラブ人テロリスト達。彼らのFirst Soloの時のシャツも、アメリカのどこかの飛行学校の壁に、今も残っているはずだ。
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「San Francisco」  Maxime Leforestier
「花のサンフランシスコ」って、ご存知ですか?
フラワーチルドレンという、ヒッピーの分派のような、平和を愛するアメリカの団塊の世代の人たちがいた。その時代を懐かしんだシャンソンがこれ。「San Francisco」時代と共にある名曲のひとつ。若者たちが国を超えて共感する心を持っていた時代。
ついでに「花のサンフランシスコ」も思い出していただけたら嬉しいです。どちらの曲もやさしさに満ちている。


複葉機


複葉機 2004年5月2日 (Sun) 18:23:05

機体に乗って給油していたら、後ろから大きな怒鳴り声がした。まさか自分に怒りが向けられたとは露知らず、間抜けな顔で振り向いた。

リンドバーグファッション、スカーフまで巻いた男が怒り狂っていた。私の顔を見るとものを言う気も失せたのか、今度はイギリス人の教官ピーターに食ってかかった。
「お前こいつの教官か。何を指導してるんだ」
「彼女は何も間違っていない」
「オレはあやうく死ぬところだったじゃないか。ビュンビュンビュンビュン飛びやがって」
「彼女は場周経路できっちり報告してる。お前こそだいたいラジオ(無線のこと)も付いてない飛行機に乗ってきて、非常識じゃないか」
「ラジオがないと、この飛行場は着陸出来ないのか。違うだろう」
「無謀な飛び方をして、彼女を危険な目に合わせたのは、お前のほうだ。よく反省しろ」

リンドバーグの隣には、やはりビシッと飛行服を着込んでスカーフをなびかせた女性がいる。隣の男性の怒りには全然感染していなくて、物珍しそうにジロジロ私の方を観察している。まさか女、しかも東洋人の女が振り向くとは思ってもいなかったのだ。こんなミズーリ州の小都市(Kenette)で。好奇心丸出しの目だ。

そう言えば、わたしがインドのニューデリーでガイドの説明を一番外周で聞いていたら、大通りの向こうに、キュキュキューと大きな音がしてタクシーが急停車した。バタバタとドアが開いて中からインド人が5人、こちらを向いて大急ぎで走って来る。なんだなんだと思っていると無言で私を取り巻いて、一人が前に出てカメラを構えた。「ああ、写真?シャッター押しましょうか?」と言っているのに、一人が黙って首を振るだけ。後全員は完全無視だ。私を真ん中に押し込みパチパチパチ。そのまま無言で走り出しタクシーのドアをバタバタさせて,再びキューと急発進して去った。何なんだ。立場が逆。私はニューデリーの観光名所か、はたまた商品見本か?私がアガスティアの葉に見えたのか?

殺気もないし不快でもない。ただ人間扱いではなく、たとえば、大人のおもちゃを見つけて、あら、どう動くのかしら、と不思議がる目だ。・・・

男はピーターに言い負かされ、プリプリしながら帰っていく。女はその後を「あら、どう動くのかしら」と振り返りつつ帰っていく。
二人が乗ったのは前後一人づつ乗る二人乗りの複葉機だ。無条件にカッコイイ。ピーターと並んで飛び去るのをじっと見た。「華麗なる飛行機野郎」ちょっと時代がタイムスリップする。「紅の豚」ピーターの目にはそう映ったかもしれない。

Quand nous chanterons le temps des cerises,Et gai rossignol
et merle moqueur serons tous en fete・・・・・・・・・・・


Mayday Mayday Mayday

Mayday Mayday Mayday 2004年5月1日 (Sat) 17:28:06

私は昔Maydayというレコードを大事に持っていた。もはや死語となった血のメーデーのメーデーではない。ニッチもサッチも行かなくなったときパイロットが発する言葉である。そのレコードはメーデーが発せられた瞬間から始まり、ようやく無事着地して帰り着き「コーヒーでもどうだい?」とホット顔がほころぶ瞬間までを、何本かライブ録音したものだ。パイロットの声は逼迫しているが管制塔はあくまで冷静。冷静な声しか出さない。

Maydayのひとつ手前が,emergency.緊急事態発生である。他人事と思っていたが私も一度体験している。
突然白い雲が地面から湧き出て視界が利かなくなった。最終テスト前だったので、emergencyは言いたくなかったが、死ぬよりましだ。emergency 用に周波数を合わせてマイクを握る。ロストポジション。現在2時の方向へ××ノットで飛行中。できるだけ詳しい情報を伝えて、レーダー上で位置を確認してもらう。後は耳に聞こえる指示通りに従えばいい。見えるものを手当たり次第に言う。・・・

「はい、終わります。」まだはらはらしているのに交信を切られた。「wait、 wait.交信続けてー」「飛行場が見えただろう?」「飛行場なんか、見えない。どこにも、見えない。」「真上にいるんだけどね」・・・・

機体を傾けて真下を見たら、飛行場があった。ああ、やれやれ。


追加:
5月1日はフランスではスズランを人にあげる日。ところがこのスズラン、毒性が強くて、殺人に使用される。トリカブトといい勝負だそうだ。



今日のように晴れた日だった

今日のように晴れた日だった 2004年4月29日 (Thu) 17:41:56

今日のように晴れた日だった。夕方から京都の祇園で会費の高い忘年会があった。ちょっと緊張して席に着き、誰かがTVのスイッチを入れた。SK航空の小型機が比良山に激突、墜落のニュースが入った。飲みも食べもせずに即解散。皆無言でバラバラに帰った。

fly by the seat of one's pantsと言う表現があるが、AK教官はまさにそういう人だった。目を閉じて寝ていても、どれくらい傾いているか、滑っているか、速度はどうか、高度は落ちたか、全部解る人だ。いわば名人。その人がこんな快晴の日に、チャーター飛行中に激突、墜落。あり得ない。狐につままれた思い。一旦家に帰り車を八尾空港に飛ばした。すでに辺りは真っ暗でSK空港付近だけが報道関係のライトで無気味に光っていた。

TVでもラジオでも盛んに報じられたが、後、が続かなかった。原因だ。何日かして小さな記事を見つけた。AK教官の心臓発作が原因の事故と断定されていた。納得がいかない。

いろんな噂が入った。まず乗客は、倒産寸前のベンチャー企業の社長とその女友達。死にたいと漏らしていたと言う。さらにAA社の社員から匿名の電話がAK教官の遺族に入っていた。パイロットを巻き込んだ自殺だと。否心中だと。心臓発作と判定された原因は何かと聞いたら、60歳を超える年齢からの推定。機体に欠陥もなく操縦ミスも無く気象に問題も無く、要するに原因が他に考えられないからと言うことだ。

「あなたはどう思う?」同期に入会して競技会にも一緒に出場したことのある女友達に聞いた。
「こういうケースの今までの前例は、無くは無い」「それで」「最も考えられるのは、と言うか非常によく似たケイスが、最近外国であって」「それで」「カナヅチで後ろから、頭をボコン」「ええっ!!」・・・保険金目当ての自殺だ。パイロットを巻き込んでの。つまり殺人を伴った自殺。自殺志願の乗客を乗せた場合、パイロットは余りにも無防備すぎる。そんな殺され方で、おまけに年齢からの推定で心臓発作などと決め付けられたら堪らない。第一不名誉だ。

遺体収容に立ち会ったSK航空の一人が言っていた。
「衝撃がすごくて、腰から下が全部山にめり込んでいた」

ハイジャック

ハイジャック 2004年4月26日 (Mon) 17:14:45

考えてみるとハイジャックとは、パスポートの下りない人の渡航手段かもしれない。兵法にも詳しい私の先輩がいつも言うように、敵の敵は味方、の論理で言うと、たとえばよど号ハイジャック犯の行き先は、初めから予知できる。危機管理とはこういうことを言うのだろう。

コレスポンダーにある数字を入れると、ハイジャック信号が出る。こういうことをばらすのは、いけないとも思うけれどもう20年以上昔の話で、今はおそらく、たとえば顔を歪めるだけで、管制塔と連絡が取れる筈だ。かなり昔から垂直離陸出来る飛行機もあったし、レーダーに決して映らない航空機材もあった。第2次世界大戦のとき、回転しながら推力を発生できるUFOに近い航空物体をナチスがすでに開発していたという説もある。UFOがあっても、何の不思議もない。

そう言えば私はエジプトのカイロの上空にUFOを見た。ずーと見ていた。観光客相手の「音と光のショー」が退屈だったからだ。

UFOに拉致されて、外科手術されるという話もよく聞いた。レーザーメスを取り上げて、逆にUFOをハイジャックしてしまうという発想はどうだろうか。

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