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Alexis Arguello (4)

Alexis Arguello (4) 2004年8月30日 (Mon) 17:48:52

武器を捨て米国に戻りカンバックした後どんな人生を送ったのだろうか。85年、86年、94年それぞれ1試合のみ、それぞれ1勝。最後の試合は95年無名選手Scott Walkerに判定負け。さらにザッと資料をあさってみた。

今年の3月29日garnespot.com/ps/sports/knockoutkings2001/に意外な記事。Alexis,Electronic ArtsとSonyとNintendoを訴えるという見出し。The knockout Kings2001というゲームソフトがあるらしい。登場するのは重量級ファイター、Muhammad Ali,Oscar de la Hoya,Evender Holyfield,Lennox Lewis,Naseem Hamed等。3年前の2001年ファンがそのゲイムソフトにサインをしてほしいと差し出すまでまさか中量級の自分がゲームのキャラクターに使用されているとは夢思わなかったらしい。Los Angeles Timesによると裁判は現在進行中。

もうひとつ。2002年2月25日、latinosportslegends.com/2002/によるとあくまでもこの時点の話だけれども、Alexisの伝記映画、制作予定とのニュース。Ron HammadのFor Ever Filmという会社が名乗りを上げた。Arguello役の俳優にはAntonio Banderasの名が上がっている。1974年Ruben Olivaresを下しWBAフェザー級チャンピオンに。その後ジュニア・ライト級とライト級の世界チャンピオン。ジュニア・ウエルター級のタイトルをかけたAaron Pryorとの2戦は以前に書いた。あれを思い出すだけでも確かに充分映画になりえる。

そして2000年、espn.go.com/boxing/columns/にTim Grahamの書いた記事、Arguello:I wanted to dieを発見、釘付けになる。wantedだからこの記事の時点では、立ち直っているわけだ。記事の中で、繰り返された自殺の試みが語られている。

BoxerとしてAlexisが残したイメージは高貴で勇敢、礼儀正しくハンサム、カリスマ性のある成功者、望むものすべてを手中にしていた。あまりの英雄ぶりにSandinistaはこれ以上人気が出ないよう、放送や印刷物に彼の名を出すことを禁止した。

しかし実際には彼は、酒と麻薬に溺れてゆく。

原因のひとつはもはや戦えない年齢の苦痛。スポットライトと人々の賞賛の喪失から来る苦痛。16歳からプロの世界に入り、ボクシング以外、何のなす術も持たない苦痛。ニカラグアの英雄という人々の期待に応えなければということと、現実とのギャップの苦痛。M-16ライフルを手に戦ったあげく手にした社会の不正に対する絶望。米国がNicaragua支援の為に差し出した援助金を個人的にネコババする現政権の役人を目撃して傷つき、自傷行為(自殺)による復讐を考えるようになる。

99年Maraguaの新聞”La Noticia"に「今一番望むのは誰かが私を永遠に眠らせる注射をしてくれないかということ」とスペイン語で語った彼。Pedro Fernandezのラジオ番組”Ring Talk"でも「私は死にたい」と漏らす。FernandezはCaliforniaのBetty Ford Centerで治療を受けるようわざわざManaguaまで説得に赴くが,全く耳を貸さない。「もうどうしようもない」と当時28歳のAlexisの長男が言う。「財産すべてを売り払うところまできていた」?

2000年1月Managuaのインターコンチネンタルホテルでスコッチとワイン、コカインをのんで荒れ果てたAlexis。すでに彼との間に2人の子供を生んでいるガールフレンドのAliciaが、家に帰ろうと言うと、抑制のきかないAlexis、彼女を突き飛ばす。逆上して反撃しようとする女の首を絞め殺しにかかる。自分の行為にうんざりして2週間落ち込むAlexis。Aliciaはプレスにぶちまける。ついに自らHoderaリハビリセンターに入所、そこで2ヶ月過ごした。ー

それからアルコールや薬物は手にしていない。悪習は3度目の妻から受け継いだMarlborosの煙草だけ。リハビリ中、女中毒も克服した。Alexisジュニアが語る。「あの状態の人間で、最も重要なことは『助かりたい、人生をやり直したい』、と本人が思うこと。自分でそう思ってくれて僕も嬉しい」?

「朝起きて、昨日何があったか、思い出せるのは素晴らしい」とAlexis。「それに気づけるのは、すごい」と、Alexisジュニア。

ボクサー時代のAlexisからは全く想像も出来ない日々が、引退後の彼に待っていたようだ。現在彼の印刷会社は順調な筈。元世界チャンピオンのプライドで公私共に復活してほしい。

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「Dans le meme wagon(そよ風に乗って)」Marjorie Noel

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BoxingというSport


BoxingというSport 2004年8月26日 (Thu) 12:18:20

いつ誰と誰のタイトルマッチかもう忘れたが、SKと府立体育館に試合を見に行った。あっという間のレフリーストップで日本人側が負けた。「早いんじゃないの」観客がほとんどいなくなった後2、30人が残りリングサイドに詰め寄っていた。別に抗議しているわけではないけれど、ハイハイと帰る気になれない。ちょっとした満員電車状態。首を横に振ると、そこにジョー・小泉氏の姿。
「ちょっと早いんじゃないですか」思わず言った。
「いや、選手に必要以上のダメージを与えないという観点から、最近は特に、あれ位で止めて、問題ないんですよ」思わず答えてくださった。その頃ビデオで毎週見ていたので、つい友達のようにカン違いしてしまう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「川上さん来はったよ」
近所の人と表で話していた祖母が玄関に駆け込んできた。えぇ?家の前に靴音が近づいてくる。新婚旅行中の川上選手の突然の来宅。「どうぞどうぞ、お上がりください。して奥様はいずこに?」「ホテルで買い物してるよ」

一番最初は私とchaperonの母を中ノ島のロイヤルホテルのフランス料理のフルコースに招待して下さった。兄には英国製缶入りビスケットのお土産。帰りはタクシーまで手配していただいた。部屋には一緒に休暇中の読売巨人軍柴田勲選手のバットがあった。
2度目は中学の修学旅行で行った東京の学生会館にフィアンセ同伴で会いに来て下さった。
「記念にBruxellesちゃんに何か買ってあげましょうよ」と二人で相談して赤とゴールドのオルゴールを買ってもらった。
英語の教師が走って来て「あれ、川上や、君、親戚か?」と興奮して言ったのを思い出す。
試合でも何度か会った。でもやり取りは手紙が中心。「喘息は転地療法がいいらしい。Bruxellesちゃんさえよければ、今度のフィリピン遠征、連れて行ってあげるよ。気候が変われば、よくなるかも知れない」・・こんな親切なことを言ってもらった人は他にはいない。思えば子供の頃、大沢さんといい、川上選手といい、思いがけない人達に大きな愛を頂いている。病気で生きた心地のしなかった子供時代、精神的には充分以上に人々に支えていただいた。

練習しているおもちゃのグローブを見せた。
「ボクシング教えてあげるよ」と、言ってもらった。
私には沢山のボクシングファンから手紙が来ていた。2年前ボクシング雑誌に書いた記事への囂囂たる反響だ。全部本人に見せた。彼は一通一通真剣に読んだ。

川上はボクシングファンほとんどの人の期待を受けて明大ボクシング部からプロに転向したハードパンチャーだった。’62年7月22日、日大大講堂で行われたサマート・ソンデン戦で9回試合を放棄した(右手骨折で)という理由でボクシング・コミッションから2ヶ月の出場停止処分を受けた。挫折を知らない川上の初めての屈辱。

ボクシングは殴り合いでも、殺し合いでもない、スポーツだ。玉砕が正しいわけではない。次へ向けての身体能力の保持、選手生命の管理、家族のためだけではない、プロとして、限界を見極め敗北を選び取る勇気も必要だと思う。
「試合に勝ちを望むのはボクシング界でもファンでもない。まず川上自身だ。(中略)一番悔しかったのは川上であろう。彼は自ら勝負を捨てた。卑怯者に見えるだろうか?私には勇気のある立派なボクサーに見える。また彼はそうであると、私は思っている(後略)」(プロレス&ボクシング、’62年10月号に中学1年のBruxellesが載せた拙文からの引用)

リング上で死人が出るたびに、世界のあちこちでボクシング廃止論が浮上する。殴り合いなど野蛮だと。しかしそれは見ている心が野蛮なのだろう。奴隷を死ぬまで戦わせる暴君ネロの心境がどこかにあるからだ。スポーツとしてルールを考え、選手の身体機能の保持を考え育成を考え、人生を鍛える格闘技としての「道」を考えれば、そして安全指導を徹底さえすれば、廃止などとんでもないことがわかるだろう。
ボクシングがあるからこそ、這い上がってこれる人、這い上がろうと努力する人、世界のあちこちにごまんといる。

涙を流して余力を残して立ち上がらなかった、ネバダ州ラスベガスのAlexisの姿。今から思えば、そこに、家族に対する男の責任や、美学を見て感動したのではない。ボクシングというスポーツに対する愛と、非難に耐える覚悟と、恥を選び取る勇気を見たのだと思う。

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「ハムレット」全曲  Johnny Hallyday
to be or not to be のあたりを、よく詩の朗読のバックに使った。

Alexis Arguello (3)

Alexis Arguello (3) 2004年8月25日 (Wed) 23:35:44

AlexisもPryorもその後何度かカンバックした。

Aaron Pryorは1955年10月20日生まれ。Cincinnati,Ohio出身。ニックネイムはThe Hawk。1976年のMontrealオリンピックに出場している。プロデビューは1976年11月11日。1982年Alexisとの試合より前に、来日、亀田昭雄とタイトルマッチを行い6回KO勝ちしている(Pryor一回にダウンをうばわれているが勝利は一方的)
生涯成績は39勝1敗(35KO)。1996年ボクシング殿堂入り。
1990年代に入りBorn Again、ダーティーなイメージを払拭。クリスチャンになりCincinnatiで教会の牧師をする傍ら、ジムを開き青少年の教育、育成に力を入れている。(ワァ、すごい!!)

Alexis Arguelloは1952年4月19日生まれ。NicaraguaのManagua出身。16歳のデビュー戦で1回KO負けしている。3階級制覇はHenry Armstrong以来の当時41年目の世界タイ記録。
生涯成績は80勝8敗(64KO)。1992年ボクシング殿堂入り。
引退後はPryorとは逆に麻薬常習者となり、法的トラブルを起こし、離婚もした。(人生いろいろ)


1979年Sandinistaが長い反抗の末政権を取ったとき、Alexisは旧政権側の人間だったためか、所有財産及び銀行口座を没収されている。内戦で兄弟を一人Sandinistaに殺されている。(武器を取ってコントラのゲリラとなったのは、そのためか)1980年マイアミに転居、亡命者となる。カストロに怯えるマイアミに居るキューバ人達の間でAlexisはコミュニズムと戦う英雄に違いない。
Alexisでなくても革命は、どんな革命でも、望まない人にとっては、降ってわいた災難以外の何物でもない。フランス革命の時のフランス人、ロシア革命の時のロシア人、中国文化大革命の時の中国人・・。しかし、それ以前の社会が、あまりにも理不尽で、あまりにも残虐な独裁であれば・・・。

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  Chouans,en avant!(Juin 1793)(ふくろう党よ、前進せよ)
   par Jean-Francois MICHAEL

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Alexis Arguello (2)

Alexis Arguello (2) 2004年8月24日 (Tue) 18:39:18

私の感動は頂点に達した。亡命してアメリカで身体ひとつで巨富を手に入れた男。アメリカンドリームを手中にした男。KOの山を築き3階級を軽々と制覇し、しかも防衛し続けた男。そして最後、家族のために涙を流し敢えて屈辱を選んだ男。その男があろうことか今度は祖国のために、富を捨て、身を捨て家族を省みず銃を取って戦っている!!聞く人が「まあ落ち着いて」と言うほど感動してまた誰彼と無く話した。
ただこの時点で彼がsandinistaの側なのかcontraの側なのかそんなことは考えなかった。祖国の内乱でギリシャから亡命したクセナキスやメリナ・メルクーリ等とイメージの中で同一線上にいた。

少し冷静になる。彼は何故負けたのだろうか?

まず'82年11月12日の試合。フロリダ州マイアミ、オレンジ・ボール。プロモーターBob Arumは「The Battle Of The Champions」と名づけた。Alexisは妻と家族を愛するクリーンなイメージの貴公子。新しい政権に身の危険を感じ米国に亡命したニカラグア人。一方Pryorは離婚訴訟中、薬物依存症、破綻した生活、ダーティなイメージ。Alexisのボクシング史上初の4階級制覇がかかったこの試合、人気も知名度もひとえにAlexisに負っている。
ただチャンピオン31勝0敗(29KO)、その中に26連続KO記録も含まれる。

ここでまた古い日活映画の様なことが起こる。Alexisを殺害するためにSandinistaが試合前に刺客を放ったのだ。どういうわけかチャレンジャー控え室に護衛の警官がいなかった。銃を持った男がAlexisに近づく。取り巻きが気づいて男を止める。Alexisはシャワールームに逃れる。男は逮捕され、調査の結果Sandinistaの企てが暴露されることとなる。

1,2,3,4回Pryorが優勢、観客は驚く。5回Alexisが応酬、6回は乱打戦となる。7,8,9回は激しい打ち合いのイーブン。この時点でPryorやや優勢。11回Alexisダウン寸前。12回Alexis挽回、有効打を放つ。コーナーに戻ったPryorダウン寸前。この時点で雑誌「Ring」によるとjudgeは124?124の完全イーブン。この直後怪しい出来事が起こる。
PryorのトレーナーPanama Lewisが助手のArtie Curleyが渡したビンを受け取らず「別のヤツ、調合したヤツ」と言い、別のいわくありげなビンをPryorに差し出す。(このトレーナー、後、別の試合で自分のboxerのグローブから緩衝材の詰め物を取り出し相手のboxerを死に至らしめ、有罪判決を受けた)Pryorは吐き出さず、それを飲み込む。
そのビンが実は試合中に外部からPryorのコーナーに持ち込まれたものだとある人が気づき、疑惑が表面化する。数ヶ月に渡った論争となる。WBAはこれを考慮し1983年9月15日の再試合をPryor側に要求することとなった。
ビンの中に何が入っていたのかは、未だミステリー。ただPryorは13回元気回復、全方向からAlexisにパンチを放つ。Alexis、明らかに後退、ダウン寸前。しかしここで耐える。14回必死に挽回をはかる。がPryorがロープにAlexisを追い詰める。そして強力パンチを19発(資料によっては23発)連続的中させる。Alexisの口が開き黒色のマウスピースが見え、顔全体がHalloweenのJack-o'-lanternに見える不気味さだ。眼は眼窩を飛び出たまま宙を舞う。防戦一方、立っているだけのAlexis。RefereeのStanley Christodoulou(南アフリカ)がストップをかけ、テクニカル・ノックアウト。
Alexisが覚醒するまでの4分間、23000の観衆は静まり返ったそうだ。Alexis、試合後入院。雑誌「RING」がPryorを「Fighter of the Year」に、この試合を「Fight of the Year」に、そして後に「Fight of the Decade」に認定、ボクシング史上、最高の試合のひとつとなった。

10ヶ月後ネバダ州ラスベガスで再試合が行われた。10ラウンド、AlexisのKO負け。Alexis,Pryor両者とも、試合後引退を表明した。Pryorは試合後離婚している。
{参考資料:「The Battle of the Champions」?Wikipedia,the free encyclopedia &「Alexis Arguello」?nationalmaster.com,encyclopedia & 「Pryor-Arguello」?antekprizering.com,pryorargeullposter}

いやはや、とんでもない試合だったようだ。Pryorが飲み物の力を借りなければAlexisが負ける筈がない。2度目の試合など、本人はしたくなかったような気がする。

ここでもう一度冷静になる。銃を取って戦っている反政府ゲリラの写真が、どうして雑誌に掲載されるのか。これはひょっとしてpropagandaではないか。
Alexisは1年もたたないうちに引退を撤回、米国に戻り再びリングに立った。

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Juliette Greco 「Mon fils chante(歌う少年)」

Alexis Arguello (1)

Alexis Arguello (1) 2004年8月23日 (Mon) 18:20:20

私が今まで見たBoxingの試合で一番印象に残っているのは、川上と赤井の試合を除けば、青木勝利対エデル・ジョフレ戦。レバー一発のワンパンチKOだった。青木はファイティング・原田ほど知名度はないが、海老原と三人で三羽烏と言われていた。三人の中で一番甘いルックス、そしてハードパンチャー。エデル・ジョフレは、ガードが完璧で顔に傷はまったく無い。顔面にパンチを受けたことの無いBoxerかも知れない(ありえない!)。このエデル・ジョフレと同じものをAlexis Arguelloに感じた。

Alexisは当時史上初の4階級制覇、ジュニア・ウエルターのタイトルを狙っていた。フェザー級で4度、スーパーフェザー級で6度、ライト級で4度防衛していた。ジュニア・ウエルター級にくればいずれ赤井と対戦することになる。注目していた。
私がアメリカで見たのは1982年7月31日ニュージャージーのAtlantic Cityで行われた対Kevin Rooney戦。そういえばリング上でドナルド・トランプの顔も見たような気がする。第2ラウンドKO勝ち、このあっさり塩味勝利は前に書いた。

記録を見るとWBA Junior Welter級タイトルマッチをAaron Pryorと2度している。1982年11月12日(Miami,FL)と1983年9月9日(Las Vegas,NV)。私が雑誌で見たのは、おそらく後ろの方か?Alexisが負けていた。立とうと思えば立ち上がれるのに、余力を残して涙を流して屈辱を選んだように書かれていた。それはそれでチャンピオンの生き方として美しい。アメリカンドリームも充分手にしている。家族のことを思い次なる社会人としての人生を思えば、必要以上のダメージを、人間として機能しなくなるようなダメージを、あえて受けることは無い。屈辱と不名誉を選ぶのも、背負った荷の重さ、男の責任かもしれない。不様にリングに倒れているAlexisにとても心が痛んだ。そしてこの感動を誰彼と無く話したように思う。

しかし翌年何月号か忘れたが再びBoxing雑誌を見て、驚愕した。どうなってるんだろう?AlexisはNicaraguaに戻り、反政府ゲリラの一兵士として、銃を取って戦っていた。銃と爆撃の前に身を晒していた。

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「Va mon ami va」    Nana Mouskouri


HA・世界タイトルマッチ

HA・世界タイトルマッチ 2004年8月4日 (Wed) 17:34:45

おそらく20年まえの7月7日、七夕。場所はHAの母校近畿大学体育館。東洋チャンピオンのまま引退した川上も手にできなかった世界タイトルへの挑戦。HAは早々と、しかしついに手にした。KOしたら西城正三以来の、否白井義男以来の大ニュースになるだろう。スター誕生、誰もが期待していた。

その頃、東京で演劇の勉強をしていた直ちゃんは、とっくに大阪に戻り、子供を生み、離婚し、本町で「エミグレ」という喫茶店をしていた。店を閉めた後はさらに11時まで近くの居酒屋でアルバイトをしている。市大病院の「喘息教室」北助松の養護学校、どこに行っても先にいた。今は元気だ。どうして薬の循環地獄を断ち切ったのか。「苦しいとき薬を飲まずに、ロウソクのロウを手の甲に垂らし、その熱さで、苦しさを乗り越えてきた」そう言った。私とは根性が違う。私はその頃、そこの常連で、終わりまでいて直ちゃんと一緒に天王寺まで帰った。お客さんの大半はサラリーマンで、友達にもなった。私がミズーリー州のケネットのHal Aviationで飛行訓練を受けているとき、店から皆が国際電話をかけてきて励ましてくれた。タイミングは最悪だったけれど。

というのは私はちょうどサロンでアレクシス・アルゲリオの試合を見ていたから。HAもいつかアルゲリオと試合をするかも知れない。アルゲリオはニカラグアからの亡命者。ニカラグアの政治は複雑怪奇。亡命者のアルゲリオは反体制右派。本来は強烈な愛国者なのだ。
日本からの国際電話にハイハイと出ている間に試合は終わってしまった。アルゲリオは汗ひとつかかず涼しい顔でKO勝ちして、すでにリングを去ってしまっていた。画面にはアメリカンドリームのアルゲリオの豪邸が映し出されている。

本町の店でサラリーマンと何をしていたのかといえば、ずっと将棋をしていたのだ。マスターも料理を作りながら将棋をさす。
そのサラリーマンの一人から、タイトルマッチのチケットを2枚、格安で譲り受けたのだった。誰と行こう。HAの晴れ舞台、誰と行こうか??


「オ、なかなか精悍な顔してる」
「しかし、ちょっと、入れ込みすぎかなあ」
「脚が細いなあ」
緑風さんが隣で呟いている。世界タイトルマッチを見るのは初めてのようだ。私にはHAのパンチだけが目に入る。かなり炸裂している。あと一発、あと一発、・・。

「脚にきてる。危ない」緑風さんが言う。
「一発あたれば決着が、・・」私は喜びの瞬間を、他でもないこの緑風さんと見るためにここに来たのだ。膝が有効に使われていない。HAの常なのだが、ガードががら空き。信じられない。7月7日7ラウンド、なんとしたことか、HAが、HAが、KOされてしまった。!!

帰りは駐車場までトボトボ歩いた。「しかし悔しいなあ」誰かの声が聞こえる。・・・
緑風さんのベンツでミナミに出る。定番の蟹道楽。緑風さんが隣にいなければ、松葉蟹の姿焼き、特に大好きなカニミソも、涙で単なるドロ水になっていただろう。

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「Les p'tits papiers」(小さな紙切れ)ゲンスブールがレジーヌに書いた曲。今日は石井好子さんの82歳のお誕生日。それで日本人としては初めての登場。chantee par YOSHIKO ISHII
石井好子さん、エミール・ステルンに連れられて、レジーヌのパーティーに出席、そこでアラン・ドロンの恋人ロミー・シュナイダーに会われた。その辺は皆ユダヤ繋がり。それでバルバラとレジーヌも繋がっていく。レジーヌはバルバラ作詞・作曲「夜の顔  Gueule de nuit」をレコーディングしている。
まるで自分もパーティーに行ったみたいな書き方じゃないかって???!!

巌虎一貫の半生

巌虎一貫の半生 2004年6月23日 (Wed) 17:32:00

20の時、修道院で貰っていた葉っぱのお薬が栽培禁止になり急に入手不能になった。また発作が止まらない。市民病院に入院した。退院した頃、学校封鎖。その頃東京へ遊びにおいでと言って、新幹線の切符を送ってくれた人がいた。東京駅で家族総出で出迎えてもらった。そのまま車で東京見物。その人は社会人チャンピオンを目指し実業家の道を歩んでいた元東洋Jミドル級チャンピオン、川上林成。何年ぶりの再会だろうか。

相手はケオワン・ヨントラキット。海津文雄をKOし、そのパンチ力で日本の重量級ボクシングファンの度肝を抜いている。一方川上もアマチュアで69連勝、彗星のごとくプロデビューした期待のボクサー。しかもその後世界チャンピオンになった、フィリピンのロベルト・クルスを数年前現地でKOしている。実力は保障済み。いつものように学校は休んでいた。両腕に特効薬と強心剤の注射を打ち花束を持ってタクシーに乗って、後見人としての母に付き添われて、会場に行った。入り口で立っていると、お供を数人従え正面から現れた。「やあ、Bruxellesちゃん来てくれたんだね。中に入って。オーイ。リングサイドに席をふたつ用意しろ」・・特別席、それも放送席の真横に座席を用意してもらった。4回戦や6回戦の子は、殴られると泣いていて、涙と汗と血がもろに顔にかかる。・・・
第一ラウンド終了間際、強力パンチをあびて川上ダウン。アチャー。目を覆って指の間から見た。何もこんな相手とやらなくても。海外の試合を別にしてケオワン・ヨントラキット程の重量パンチは見たことがない。腕の太さも足の太さも違う。しかし不安に思うまもなく第二ラウンド。川上のパンチが当たった。相手が崩れ落ちる。「逆転KOかあ??」アナウンサーが叫んでいる。会場全体が総立ち。これ程ドラマチックなKOシーンがあるだろうか。ちっちゃな私はイスに立ち上がってバンザイをした。・・

あれから連続8度防衛、チャンピオンのまま引退した。日本ボクシング史上に名を留める名選手だ。
彼の家族のほかに出入りの友人数名を紹介してくれた。その中に巌虎一貫という同年齢くらいの相撲取りがいた。「巌虎さんはね、今度十両になる期待のお相撲さんよ」奥さんが私に紹介する。・・・
数年後貿易会社で働いていた時、春日野部屋の宿舎の近くを通った。ついでだからのぞいて見ようと思って入っていった。陸揚げされたマグロ状態で、大部屋一杯に相撲取りが横たわっている。巌虎さんもいた。十両よりも少し下。・・・
それから何年かして巌虎さんを週刊誌で見た。廃業して八百屋さんで働く元春日野部屋の力士、として写真入の報道だった。・・
何年かしてまた新聞のすみに巌虎さんの記事を見た。一度廃業した力士の再入幕と言うことで話題になっていた。・・
さらに何年かして力士の絵を描くアメリカ人女性画家が、時の人として登場した。力士の恋人がいてその人の名は巌虎一貫だった。・・
何年かして同じ女性がまたマスコミに登場した。元夫として巌虎一貫の名があった。確かすでに子供もいたような気がする。・・

案内されて控え室に行った。待っているとチャンピオンベルトと、宇宙を飛んだ世界のカメラ、あのガガーリン少佐が青い地球を写したという、ミノルタハイマチックを手にした川上選手が現れた。まっすぐこちらに来る。「Bruxellesちゃん、これあげるよ」もともと気前のいい人だが、ノックアウト賞で貰ったばかりのハイマチックをくれた。ハイマチックが手に乗る何分の一秒かの瞬間を縫って報道陣のフラッシュが一斉にたかれた。「この子、今日学校行ってませんので・・」母が小声で言う。「えぇ!どういうご関係ですか?」今度はペンとメモを手にしたスポーツ記者に取り囲まれた。

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Sylvie Vartin 「ジョルジュのタンゴ」
この人の曲の中で一番好きな歌。Sylvieバルタン星人、いい年のとり方をしたなって思います。

昨日のTV

昨日のTV 2004年4月27日 (Tue) 18:04:38

「せっかく男前に産んだったのに」というお母さんの発言あたりでスイッチをいれた。HAの特番らしい。しばらくすると高校のBoxing部の顧問が現れた。手紙を読むシーン。あの日のこと。「初めからプロに行くのは僕は反対だった。あの日病院で・・」涙声になる。

そういえばあの日。仕事から帰ってくると、母がHAが倒れて意識不明で病院に運ばれたと私に告げた。「それで勝ったの?」倒れたと言っているのに「勝ったの?」の質問はおかしい。ラジオのニュースでもHAの容態は告げられていた。意識不明、重体、開頭手術、生命の危機。力が抜けた。いつもはHAの実姉に頼んで、渡した8ミリで試合を撮ってもらっていた。その日は楽勝と思い頼んでいなかった。頼んでいる場合でもフィルムは5分?10分位しか渡していない。あっという間にKOするので、長いフィルムの必要はなかった。姉の清美さんはリングの床に肘をついて超近距離で撮影してくれた。白浜に一緒に旅行した時8ミリフィルムを逆に回しては、KOされた相手を何度何度も立ち上がらせ、KOシーンを何度も見た。いつもワンパンチで倒していた。前に医学生の友達が言っていた。開頭手術というのは、糸鋸のようなもので頭蓋骨を切って、カパットはずして、後は顕微鏡を見ながらするんだと。ゾッとした。開頭手術なんかしたら終わりだ。

数日してSK(S社の電子辞典関連のスポットの仕事で、HAの実姉の会社を紹介してくれた)と二人でT脳外科病院にお見舞いに行った。当然面会謝絶。帰ろうとした時、お名前は?と聞かれたので、私の名前を言った。するとHAがなんと特別OKを出してくれた。HAは脳の位置がずれていたらしい。Boxingはもうできない。本人にはまだ伝えていないということだった。恐る恐る入っていった。HAが何か言った。呂律が回っていない。私の頭のテイプレコーダーが再生する。試合のことを覚えていないといった。SKも私も言葉が出ない。
「Bruxellesさん、あっこだけ元気でほんま、困るわ」
笑わそうとギャグ一発か。周りを見ると奥さんのお母さんが今日は付き添い当番らしい。ここで笑えるギャグではない。しかし多分本当のことだろう。
「ところでBruxellesさんとSKさんはどんな関係?僕、Bruxellesさんのファンやから気になるわ、言うて」
この人は、こんな状態でさえファンサービスしてくれるのだ。心配させまいと、そして来てくれて有難うと、そしてこれからがんばるよと、表現を変えて伝えて人の心を鷲掴みにする。

病院を出てSKも私も暗澹たる気持ちだった。HAの人気が出るにつれ紹介してほしいという人が増え、SKの会社のエリート部長をSKと二人でジムに案内したこともあった。HAは久々に大阪が生んだ希望の星だった。HAは日本ボクシング界の希望の星だった。HAは私自身の希望の星だった。もうBoxingができない。後遺症はどうなるのか?誰が告知するのか?

「プロにいくのに反対だった」ー私も本来そう思うべきだったのかもしれない。

連続KO記録・HA

連続KO記録・HA 2004年4月17日 (Sat) 11:47:13

新大阪に「クレイ」というボクシングジムがあった。アリでなくクレイというネイミングが気に入って見学に出かけた。サンドバッグを叩かせてもらって、会長と話をした。と「今度うちのホープの女の子がデビューして、TV報映も決まってるけど、相手がいない。対戦相手になってくれませんか?」会長が突然言う。ギョッ!売り出し中の若い子の敵役でボコボコにされる姿が目に浮かんだ。リングデビューに食指が動かなかった訳でもないけれど辞退した。家に帰る途中、愛用の靴の底が片方とれた。サンドバッグはボクシングシューズを履いて叩くべし、と言う教訓。

天下茶屋に愛寿ボクシングジムがあった。よく見学に出かけて、お気に入りの選手の写真も撮っていた。ハンサムでおちゃめなホープだ。それとなく近寄ってきてはファイティングポーズをとってくれた。もうすぐTVの取材が来ますからと、会長の奥さんに引き止められた。阿部アナウンサーが私の隣で大声で実況練習を始めた。「HA右ストレート、左アッパーから再度右!!後22秒、ノックアウトなるか。。」アナウンサーがこんな大声で練習するものとは、知らなかった。その後喫茶店で打ち合わせ。HAと会長と阿部アナウンサー。それとなぜか私の4人。取材クルーが引き上げる時、阿部アナウンサーが大声でHAに叫んだ。「キャッチフレーズはビッグファイターに決めたよー」陳腐なネイミングだ。当然ビッグファイターは採用されず、HAはその後,浪速のロッキーと呼ばれ、連続KO記録をうちたてた。

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