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自己乖離したB

自己乖離したB 2005年5月14日 (Sat) 17:52:57

徹夜というのを生まれてから一度もしたことがないのに、FMセブンでプログラム作りを始めてから、気づいたら朝になっているという体験をした。プログラムのバグ取り、8時間かかって探した挙句、点がひとつ不足していたとか、多かったとか、原因がわかる。色々データーを入れて走らせてみる。そうして原因を突き止めるわけだけれど。これがまるで推理小説のようで、そう昔は結構楽しかった。ああしたらどうだろう、こうすればどうか、と色々データーを入れて試している間に原因が絞られてきて、そしてついに正体が見つかる。一番楽しいのはバグ取りだったかもしれない。まあ、昔は根気があっただけなのだけれど。今ならそんな面倒なことは、はなからチャレンジしようとも思わないだろう。パソコンをいじっていると眠気が起こらない。それだけ物珍しくてスリリングだったのだろう。

ある朝何を思ったのか、気分に異変はなかったのだが、イスからフラリと立ち上がり、足が勝手に洗面所に向かった。何故その場を離れようとしているのか自分でもわからない。洗面所で何をしようとしているのだろう。ただ、自分は洗面所に来たのだ、と知覚した瞬間に、一気に吐いた。吐いている自分に驚いた。全く苦しくもなんともない。それが不思議だ。うがいをして、その辺を洗浄して、吃驚したままデスクに戻った。ショックでしばらくポカンとしていた。そして30分くらい色々原因を考えた。優柔不断で、決断力に乏しい天秤座なのに、決心する前に、もう身体が動いていた。すべてのコードを外し、画面の上にキーボードを乗せて、押入れに向かって歩いていた。あれ以来FMセブンも、NECの画面も、富士通のカセットレコーダーも、ずっと押入れに入ったままだ。あの時パソコンには2度と触れまいと決心した。

10数年前、コンビニのコピー機の前で、プロを目指すギター青年と出会った。彼はプリンスのファンだった。何度目かの時に「パソコンを買って、無料で音楽ソフトをダウンロードしている」という話をした。インターネットだ。「そんなことができるの?」と聞くも驚く話ばかりだったが、パソコンを買いたいとは、思わなかった。windowsはまだ登場していない。自分は蚊帳の外にいようと決めていた。

駅前にパソコンルームができてNet-Surfingをしてみようと久々にキーボードに触れたのは2年前の秋。去年の初め頃はまだ日本語入力もまともにできなかった。どうすれば漢字が出るのだろう。浦島太郎の心境だった。

FMセブンを押入れにいれてから、もう20年が過ぎた。事故で一気に目を悪くし、意識不明の母の24時間介護からくるストレスでさらに視力を落とした。失明だけはしたくない。裸の気持ちとしては、パソコンを生活に取り入れたいとは、あれ以来まだ一度も思ったことはない。
PLANETE BARBARAを救出したいと、よく見えもせぬ目で、それでも歯を食いしばって格闘しているのは、私の中でいつの間にか呼吸し始めていた、Bruxelles一人だけだ。
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FREHEL 「LA DER DES DER」

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PLANETE BARBARA

PLANETE BARBARA 2004年5月30日 (Sun) 18:27:50

ローケイションは抜群だった。正面は青空。眼下は瀬戸内海の青。その上にコロンブスのサンタ・マリア号を模した帆船がゆっくりと航海している。この人は私が手渡した’90年のプログラム冊子を両手で受け取り胸に引き寄せた。そして話している間中ずっと大事に抱きかかえていた。

私は私を廃人寸前に追いやった騒音地獄の真っ只中にいた。家の半分は二等船室さながら、音楽を楽しむどころか疲れ果て、セルフコントロールも効かずダメージは耳のみならず心臓にも及んでいた。そんな時、名前に記憶のない一通のエアーメイルが届いた。仕事でサントリー・ミュージアムに行く。よければ会いたい。資料が欲しいということだった。収集癖のない私は、直近のパンフ以外全く何もなかった。後先も考えず、服も着替えず、ただ電車と地下鉄を乗り換えて大阪港に着き、そこから歩いて天保山ホテルに向かった。

それより8年前。フェスティバルホール1F最前列中央にその人がいて、私は5席分ほど右寄りのやはり最前列にいた。暗闇の中で何度かその人はこちらを見た。私もその人の気配の方に何度か視線を投げた。近視で何も見えなかったけれど、多分何かを確認しあっていたのだろう。アンコールが終わるとまるで長年の友達のようにこちらに歩いてきて、私の花束を指し「楽屋に持っていくのがいいわね」「でも、楽屋って何処にあるの?」・・と会話がスタートした。この人、Dany Morisse はバルバラのワールドツアーを全部追っかけ、日本の公演も最前列中央ですべてを繰り返し見たという頭の下がるバルバラ狂だ。1年の休暇を取っている。私は電話をかけまくって今日のホテルをロイヤルと突き止めていた。「ロイヤルで待とう」と提案したが、フランスでは楽屋出口で待つのだと言った。雨が降ろうが風が吹こうが100人近くが何時間も何時間も平気で待つのだと言った。熱狂の度が違う。その夜は母が突発性難聴で入院して2日目だったので、私には心理的に時間の余裕が全く無かった。結局二人でロイヤルのフロントに行った。フロント係りが「バルバラさんがお出になりました」と受話器を渡そうとしたら「Non,non,non]と、突然Dany が焦りまくった。「どうしたの?」「とにかく切って」・・偉大なバルバラを前に狼狽したのか?ワールドツアーを追っかけているこの人が?謎のまま花束をフロントに預けて、母の待つ病院に急いだ。・・(バルバラがファンに要求するdiscretion.そしてDanyのこの過度なまでの遠慮と気配り。謎を解くにはSandra Thomas の1980年刊の「La barbaresque」、その存在と内容を知るまで13年間の歳月を要した)
私が歌うということを知ってDanyは後に80曲分程の楽譜を贈ってくれた。収集癖の無い私は自分が歌いたい曲が無いからと、きれいさっぱり、全部紛失してしまっている。バルバラファンの間だけに出回る60年代のラジオ出演の際の録音テイプ等も送ってくれた。ダビングにダビングを重ねた大昔のテイプなのでピーピーガーガーゼーゼー、ほとんど雑音なのだけれどフランスのバルバラファンの熱意が伝わってくる。・・
受け取ったエアーメイルの中に、8年前大阪で貴方にあったDanyからあなたの事を聞いたという一行があった。

「あの人が亡くなってむしろ余計に身近に感じられるようになった」と彼女は言った。「こんな曲知ってる?こんな曲は?」私は次々と好みの曲を小さな声でハミングした。当然のことながら彼女はすべての曲をフランス語で記憶していた。あと数ヶ月したら死によって中断した自筆の伝記が出版される。そしたら、それをお礼に送ると約束してくれた。孤独なファンとしては、ここぞと質問の矢を放ったが、肝心の死因と子供に関しては、うまくかわされた。それがJeanne Sudourとの出会いだった。その年の秋自伝「Il etait un piano noir」が航空便で届けられた。Chorusの特集号も送ってくれた。

そして2年後、つまりバルバラの死後3年目にJeanne とDany は偶発的な仲間10人程と結集して、Les Amis de Barbara を誕生させた。Les Amis de BarbaraとPassion-barbara Netに触発されたこのPLANETE BARBARA。サイトの発芽はひょっとしたら14年前のFestival Hallの暗闇にまで遡るかも知れない。

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Le chanteur malheureux par Claude Francois
このタイトルのとおり,感電死という死に方で、本当に不幸な歌手になってしまったクロクロ。

幸せを売る天才バガボン

幸せを売る天才バガボン 2004年4月15日 (Thu) 16:10:46

おいらバガボン、幸せ売り・・、と古いシャンソンを歌うと、たいていの人は笑い出す。天才バガボンを想像するらしい。コラ・ボケールにいたっては、名前を聞いただけで、笑い出す。シャンソンの話ができるシャンソン村は、まだまだ小さい。


フランスである青年と恋に落ちた日本女性がいた。赤ちゃんをフランスの病院で流産した際,バルバラの「いつ帰ってくるの?」を初めてラジオで聞いたらしい。ーーーBruxellesさんの好きなバルバラを初めて聞きました。感動しました。こんなすばらしい歌手をずっと知っていたと思うと、あなたに対する見る目も変わりました。Barbaraを知って貴方までもがすごい人だと思いました。
・・・数ヶ月前まで「何、そのバラバラって、えぇ?」と言っていた人。美空ひばりのテイプを持って、フランスにやって来ていた人からの手紙。


バルバラを知らない若い人達に

バルバラを知らない若い人達に 2004年4月6日 (Tue) 18:16:02

Les Amis de Barbaraの会報17号が届いた。若い読者からの手紙が目に留まった。
19歳から25歳の若者のうち一体何人が実際のバルバラを見たり聞いたり出来ただろうか?生前のバルバラを知る人だけにしかバルバラのよさを感知出来ないのだろうか。という質問状。その返信。とんでもない。モリエールやサラベルナールの生前を知らなくても、その世界を味わうことは出来る。それと同じ。世代間の交流があってこそそれぞれの世代がお互いに豊かな文化の享受者となりえる。・・・・・・・・・・・・・

むしろ最近バルバラを知った人、もしくはこれから知ろうとする人達の為にこそ、PLANETE BARBARAも存在する。バルバラをよく知らないという理由でこのHPへの参加を躊躇している人達が、もしいらっしゃるなら、むしろこちらから両手をひろげて駆け寄っていきたいと思っている。あなたと出会う為に、私はここにいる。


ネイミング

ネイミング 2004年4月4日 (Sun) 17:21:29

Tシャツのロゴの依頼が来た。夏にそのTシャツを着て歩くのが楽しみだ。そう言えば今まで何度かネイミングをしてきた。マンション二棟、コーラスグループ、犬三匹(ヘクト、パスカル、ジャック)、喫茶店。喫茶店の名は「エミグレ」(フランス革命時の亡命貴族)。本町の船場センタービルの近くにあって、サラリーマンやOLで繁盛していた。後に、バブル期の地上げで(懐かしい言葉)アーケイド丸ごと消えてしまった。自分で所有するものは何もないので、ネイミングは諸々の作品のみ。詩集「2N世代」(凶地街社刊)や小説「帰ろう愛の天使たち」(社会思想社刊)等は自分で気に入っている。


タイトルについて

タイトルについて 2004年4月1日 (Thu) 15:39:27

堕天使達の呟き、は昔堕天使達の間で廻していた回覧板から、名前を頂戴した。そのほかの日々、はKN氏の古い詩作品タイトルを
お借りした。自分で考えるよりも友情を感じられて座り心地がいい。甘えかもしれない。


初めてなので自己紹介を書かねば。通り一遍だけど。
好きなもの:光、静寂、焚き火、樹木、山、川、空、海、土壌 、流水
嫌いなもの:誤解、偏見、そば(アレルギー)、電話(用事のない)、喫茶店(シャンソンの聴けない)
好きな食べ物:うに、いくら、かにみそ、蟹肉、スモークサーモン、その他新鮮な寿司ネタ
趣味:言語哲学、現代美術、国際政治、シャンソン、ボクシング、飛行機、森林、旅行
座右の銘:人生は選択・人生は洗濯


寺山修二に唆されて、書を捨て街に出た世代と言えるかもしれない。支路井耕治は、疾走の終わりを抱えて、他人の街を駆けていた。尾崎豊がバイクで駆け出すのは、もう少し後。色んな事があり過ぎてあの時代は書ききれない。何しろ、少し前、手を真っ黒にして、ガリ刷りをした思い出がある。

今nationalistからnaturalistになりたいと思っている。この国と同じで過渡期にいる。変身できるかどうか、わからない。

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