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Double Booking (2)

「カウンターの人にそんなに怒っても、仕方ないでしょう。もう諦めましょう」と言う。
「そんな訳にはいかない。あちらの空港で何人も待っている。遅れるわけにはいかない」
「もう飛行機は出てしまったんですから。諦めてみんなで、次に乗れる便が来るまで、静かに待ちましょう。我慢しましょう」と言う。
ミンミンが言った。「カウンターの人たちには責任はないけれども、この人たちと交渉するしかないでしょう。先生、気にせず、交渉して何とか、乗せて」
実は先生、5日前に淡路島の先山にバイクでツーリングして、下りのなんでもないところでゆっくりと転倒し、そしてギックリ足を捻挫していた。本当は立っているのも辛い。しかしそんなことは言っておれない。我慢するべき我慢と、我慢してはいけない我慢がある。交渉を続ける。
「とにかく、次の便に」?「直行ではありません」
「どこまで?」?「ロス行きです」?「それから先は?」・・
45分ほど立ったまま交渉を続けて、7人分だけロス行きの席を用意いたします、という回答をやっと得た。
6人が「わぁっ」と喚声を上げた。すぐに搭乗券が渡され、搭乗口に向かった。その時、思いがけず罵声が飛んだのだ。
壁に並んで疲れて立っている60人以上の日本人が一斉に憎悪と軽蔑の目で私たちを睨みつけた。
「自分たちだけが乗るのか?」
「なんて恥知らずで利己主義なんだ」
「あんまり自分勝手なことをするな」
「私たちの立場になったら、そんな勝手なことはできない筈でしょう」
「エゴイスト!!恥知らず。日本人の面汚し!!」

「ミンミン、あの人たち、何故怒ってるの?」
「わかりません」
「あの憎悪に煮えたぎった眼。交渉をやめろと言ったのに、交渉を続けたから?」
「先生、気にしない、気にしない。早く乗りましょう」・・
座席に案内されて、また6人が喚声を上げた。
螺旋階段を昇って2階に上がる。ファーストクラスだけが空いていたのだ。「やったー!」6人が喜んでくれている。ゆったりとしている。スリッパに履き替える。
「食事もファーストクラスが出るのかなあ」
「食事は無理でしょう」(笑い)・・

ロスに到着してからまたひと波乱あった。ニューヨークに到着してからも、荷物だけが先に届いて、空港の倉庫に入ってしまっていた・・というような事態まで発生した。・・
空港近くのホテルで、月曜日の朝倉庫が開くまで、身動きとれずに無駄に待たなければならなかった。

月曜日、空港の倉庫まで全員で荷物をとりに行く。
ミンミンが倉庫から出てきて言った。
「ソウルに残っていた日本人も来ていました。私を見てこう言うんですよ。『あの人は来ていないじゃないか。あのエゴイストは今度はあんたたちを、おっぽり出して、先に行ったんだろう』って」
「それで?」
「それで『ちゃんと一緒に来てますよ。先生は機内荷物がないので、外でじっと待ってくださってるんです。先生も私たちも、あなたたちに集団で罵倒されるような、エゴイストでも、何でもありません』って言いました」
「うーん。何かが許せないんでしょうね。何なんだろう。何があんなに憎しみを生むのだろう??そしてそれがこっちに向くんでしょう、I wonderね。Why,Why,Why,Why?」
「本来overbookingした大韓航空に向くべきなのに、怒りを押し殺したので、違う方向に向かってきたんでしょうね」
「どうして間違いに気づかないんだろう?」
「自分たちは交渉出来ないから、うらやましくて、憎たらしいんでしょ」・・・・・

私とて初めから、人と対話できたわけではない。これはParisの生活で身についたのだ。当然の権利を行使するためには、発言しなければならない。楽しい楽しくないではなく、そうしなければParisでは生きていけない。パリ病に罹ってノイローゼになる日本人が多いのは、一般的に対話訓練、交渉訓練を全く体験せずに、特殊な風土の中でずっとみんな一緒に”長いものに巻かれる”のを善として生きてきたからだ。

参考サイト:「人間を幸福にしないシステム

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  「J'ai encore reve d'elle」 Il etait une fois
このグループ名が面白い。「昔、昔・・」と言う感じの意味。このグループ名の前半を耳元で色っぽく呟くと、日本人男性はギクッと興奮する(?)

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Double Booking (1)

私がトラブルに巻き込まれて、窮地に陥っていると、普段は普通なのに、必ず、敵側の発想を振りかざして怒りをぶつけて来る近所の人(TM)がいる。隣に無断でかなり迷惑な設計の家が建つので、工事を止めて話し合いに入っていた。すると関係のない(TM)が「腹が立つ」と怒ってきた。以前にもこういうことがあった。
(TM)はいつも近隣のことで揉めている。グチばかり聞かされる。近隣問題で悔しい思いをしている人だ。しかし、困ったことにそれは、妄想だったり、話し合えばいいことなのに、幼児のようにまるで交渉の能力がない。内容も相手に取り合ってもらえず、戦わずして負けてばかりの悔しい思いだけを抱えている。
今回のことで(TM)の怒りが、時々何故こちらに向くかがやっとわかった。
自分は不利な立場におかれても、交渉する能力がないから、堂々と交渉している人が、許せないのだ。
みんなで泣き寝入りしましょう、というのが日本の社会の筈なのに、何故あの人は泣き寝入りしないのか、何故あの人は主張してそれが通るのか・・・悔しい!!というわけだ。
以前にこれと同じ体験をしたことがある。私一人に、この種の怒りをぶつけてきた日本人は、その時は60人以上いた。

以前日記に書いた若い男女6人を連れてニューヨークに行ったときのことだ。あの時はケネディ空港近くのホテルでBicketと連絡が取れず、途方にくれているところを書いた。
実はBicketはレンタカーを借りてChanとGatyaとZenの3人の友達を連れて時間通り迎えに来てくれていた。搭乗者名簿の確認までして、乗ってきた筈だと、4人で何時間も待っていてくれた。しかも一旦帰って翌日も来てくれた。なのに何故空港で会えなかったのか。私たちが十数時間も遅れて到着したからだ。原因は大韓航空のダブルブッキング。


気がついたら、乗る筈の飛行機が去ってしまっていて、私たちは積み残された。オーバー・ブッキング。積み残された日本人がロビーに集まってきた。みんな愕然としている。「積み残しました」という説明があった。時間がたち積み残された日本人にも状況がやっとの見込めてきた。そして日本人らしく?あっさり諦めてうな垂れている。「いつの便に乗れるのか?」などと聞く人もいない。成り行きをじっと傍観しているのだ。ミンミンが「先生なんとかして」と私にせっつく。先生、ここでおもむろにカウンターに出向く。そして英語でやりあうのだ。怒りを表さなければならない。「もっと言え、もっと言え」とミンミンとパッシェルが囃す。先生、カウンターを右手でドンと叩いて、強気の交渉をする。「食事を出します」?ダメ!。「今夜のホテルを用意します」?ダメ!「何人様ですか?」?「全部で7人」・・
そこへ私の袖を後ろから引っ張る日本人が3,4人現れた。      (つづく)

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Herve VilardKilimandjaro」 名曲、と思います。必聴。

サンタルチア

まず「ルチア祭」に関する関連サイトを紹介します。こちら


観光春秋」という関西の私鉄が共同で出している小雑誌があった。そこで「女性の一人旅」という座談会に出たことがある。その関係で制作出版部のMさんと知り合いになった。Mさんに主にスウェーデンで活躍している柚木伸一という画伯を紹介された。ある日突然TELがかかってきた。「スウェーデン領事館であるクリスマスpartyに連れて行ってあげよう」ということだった。柚木さんとMさんに一度秋田の「きりたんぽ」をご馳走になったことがある。それだけだから、柚木さんと二人きりでクリスマスパーティに出席するなんて想像だにしなかった。三宮からタクシーに乗った。

何故こんな昔の話を覚えているかというと、そのクリスマス(ルチア祭という)partyのクライマックスで、スウェーデンの子供たちが声を揃えて「聖しこの夜」ならぬ「サンタルチア」を合唱したからだ。何故「サンタルチア」なのか。これはイタリア民謡ではなかったかしらん?高校の音楽の時間に歌ったことがある。

空に白き 月の光


でもよく考えると、サンタルチア、つまり聖ルチアをルチア祭で歌っても何もおかしくない。さすがに完全に異国だった。美人の小学生以下の少女たちが、ろうそくを手にしずしずと行進してくる。北欧系の美少女達は桁違いに神秘的だ。完全に世俗を超越している。・・

昨日「ルチア祭」を検索してみた。領事館ではなく、本国で本物のルチア祭を体験している日本人のサイトがすでに複数あった。
説明及び画像はそちらに委ねよう。

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Veronique SANSONComme je l'imagine
Veronique Sansonを知ったのはBruxellesの街。すぐに大好きになった。お世話になったBehets Roseへのお礼に、このレコードを買ってプレゼントした。RoseはVeroniqueの歌声にイメージがピタリと一致する。帰国して、自分用にも一枚買った。

父との思い出(1)

まだ小学生低学年だった。めったにないことだが、父が私を外に連れ出してくれることになった。父のデザインしたセーラー服を着た。二人で神戸について、後の二人と合流。この二人のことをほとんど思い出せない。?

ずっと昔、もっと小さい頃、神戸で父と二人で時間つぶしに映画館に入ったことがある。ディズニーの漫画だ。猫がネズミを延々と追い掛け回すだけで、面白くない。「楽しいか?」と聞かれて「ちっとも面白くない」と言ったら、じゃあ出ようと言うことになって、10分足らずで出たのを覚えている。・・

?目当ての軍艦は入港していなかった。それで父が漁船をチャーターした。私は嬉しくて舳先に座った。海風を受ける。漁船はかなりのスピードで沖に飛び出してゆく。キャッホー!

その後の記憶は、私たち4人が岸壁でその船の入港を待っているところだ。甲板に海兵が整列して敬礼している。アメリカの青年たちだ。船が着岸する。一人が私を見てニッと微笑んだ。私と同じセーラー服を着ているアメリカ兵。私を見て手を振ったことが、とても深く印象に残っている。船名は「ゆきかぜ」。米軍に接収されていたのだろう。米兵しか乗っていない。父が一人タラップを昇って行く。米海兵と話をしている。父が振り向く。許可が下りたのだ。私たち三人もタラップを昇っていく。そして「ゆきかぜ」という米軍の軍艦の中に入った。?
(今日は「ゆきかぜ」のことを書いてあったこのBLOGにTrackbackをつけてみます)


まだ5,6歳だったと思う。何かの帰りに父に手を引かれて、神戸の街を歩いた。暗くなり始めている。どこへ行くのだろう。見覚えのない街並みだ。その一軒の前に立ち止まり、父がドアをノックする。
すると中から、金髪のアメリカ人の若い女性が飛び出してきて、いきなり父に抱きついた。そしてキス!!なっなっなんなんだ!!こっこっこの人は!!中に入れと言っている。絨毯の上を靴を脱がずに歩いてゆく。アメリカ風のリビングルームに案内される。若いアメリカ女性は父と私に紅茶を淹れてくれた。私にも話しかける。わかるわけがない。ムチャクチャの英語でジングルベルが歌えるだけだ。父は会社の英会話サークルを仕切っていたので、今から思うと多分そこの女教師だったのだろう。父はジェームス・ディーンに似ていたとはいえ(???)なにしろ貧しいので、そこまでもてるわけがない。・・

父にはところどころ祖父のアメリカが遺っている。父と外出するとすぐにタクシーに乗せてもらえる。そして「Keep the change」父はいつもおつりをチップとして渡す。父は貧しいのだ。多分祖父の所作を継承しているだけだと思う。父は祖父の使った明治時代のゼンマイ式の懐中時計と、上からのぞく蛇腹式の小型カメラを、ずーっと大事に使っていた。兄弟のない父は、そうして早くに亡くした祖父を、心に住まわせていたのだと思う。

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Kiki de Montparnasse 「Le Retour du marin(水夫の帰還)」
 この曲を解説しておられる葦原英了氏の声を録音したテイプを持っている。この曲もストーリー性の強い名曲。旋律もいい。古いシャンソンのよさが滲み出る曲のひとつに違いない。

趣味の世界

8月15日とは、関係のないことを書こう。

10年前古い本箱を整理していた。この本箱は父自らがデザインしたもので、普通の家具色よりも少し色が薄く黄色っぽい。父の大切にしていた書籍がそこに多数横たわっていた。
「丸」という雑誌に「35年前に亡くなった父の蔵書を差し上げます」と、メッセージを出した。

まず裁判所で仕事をしているという年配のH氏が仕事を休んで家までみえた。何人の方に何冊づつ上げればいいかよくわからない。この中から10冊ほど・・と言った。
B「本当はもっとあったんですけど、35年前に大半をKさんに、差し上げたので・・」(と言うと)
H「Kさんって、あのNavy CircleのKさんですか?Kさんをよく、存知でいます。いまからKさんに電話して、僕の身分を証明してもらいます」(と言われた)(そしてKさんが電話口に)
K「H君は本当にまじめな人物なので、安心して上げてください」・・
父の友人のK氏と突然話すことになった。なにしろ父が亡くなったとき、私は小学生で、父より随分若いとはいえ、大人のK氏と直接口をきいた事はなかった。
H氏は紙袋に本を詰めて、明日もまた参りますと言って、帰って行かれた。
次にいかにも営業マンという感じのL氏が会社の車に乗ってみえた。喫茶店で会うことにした。
B「これは父が作った模型ですが、わかりますか?」
L「これは改良された後の赤城ですね」
この方にも写真集を含め何冊か差し上げた。

遠方の方からも「欲しい」という手紙や葉書が数通きた。一番驚いたのは防衛庁資料室のT氏から電話があったことだ。

模型も全部丁寧に引き取る、と言うことだった。防衛庁の資料室に引き取っていただければ、大切に保管されるに違いあるまい。


そこへK氏からTELがあった。
「お父さんはイギリスの19○○年と19××年の年鑑と、そしてイタリアの・・、そしてドイツの19△△年のもの、・・それと・・それに・・を、持っておられた」
私はK氏の記憶力に圧倒された。K氏は一度しか父の本箱を見ていない筈だ。しかも35年も前に。よくこれだけ正確に記憶できるものだと。
K「全部他の人に上げないで僕の分もちょっと取っておいて下さい」
B「それが、さっき防衛庁のT氏から・・・」
その時点では全部防衛庁に渡そうと思っていた。

K「Bruxellesさん、防衛庁のTは評判の悪い人物ですよ。Tはそうして手に入れた資料を神田の○○という古書店に売り飛ばしているんですよ。だめだ。断った方がいい。僕らの間では有名で、どんなルートで売りさばいているかも判明している」

Bruxelles悩む。電話では信頼のできそうな人だった。疑う気になれない。しかしK氏は生前の父が信頼していた友人だ。私は覚えていなかったが、父の棺にK氏はNavy Circleの機関紙数冊と小型の模型数個を入れられたそうだ。家族と心をひとつにして父の死を悼んで下さった方だ。

防衛庁のT氏に断りの電話を入れた。新幹線に乗って引き取りにいくとまでいって下さったT氏。「防衛庁の資料室で保管したほうがお父様もきっと喜ばれたでしょうに・・」そう言われてしまった。

翌日H氏に紙袋2個分を差し上げた。あの情熱ならきっと大切に読んでくださるだろう。K氏にも希望されたものを送った。もともとK氏と父が心をひとつにしていた趣味の世界だ。これでいい。
その後何人か来られたが全部K氏の弟子のような方々だった。K氏の自宅には床が抜けそうなほど、身動きがとり難いほど資料があるらしい。出版社や防衛庁の方々もK氏に写真提供を依頼されることも多いと聞く。それにあの記憶力だ。趣味とはいえ私の想像を超えた立派なお仕事をされているに違いない。民間でこそ資料が生きることもある。情熱こそが決めてだ。・・


ある時電話のついでに七曜会の先輩の福井氏にT氏のことを聞いてみた。福井先輩は自衛隊や防衛庁に人脈がある。数日後回答が来た。
「人格評判、取り立てて問題なし。将来性のある人物なり」

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「Les Valses de Vienne」 par Francois Feldman
この人はよく知らないが,この曲TVドラマに挿入すれば大ヒット間違いなしの旋律。

SON OF A GUNというかなり古い頁に今日はTRACKBACKを張ってみる。こんな古い頁誰も見ないだろうけど。
・・・・・

父は隣の教会の子供たちと遊んでいるとき、祖父がアメリカから持って帰った銃を取り出し「バーン」と引き金を引いた。そしたら実弾が飛び出したらしい。肝を冷やしたと言っていた。心臓が飛び出す程驚いたと。3月13日(金)の空襲でその銃も姿を消したらしい。

私が幼児のころ、父は空気銃で雀を撃っていた。折り曲げて、鉄の玉を入れて引き金を引く。自分の身長ほどの長さの空気銃を持って立っている私の写真がある。

私は銃が好きだ。祖母も父もクリスチャンだったので、貧しい家庭の割にはクリスマスを盛大に祝っていた。サンタクロースは毎年来てくれたし、イブの日は近所の子供全員を招待してパーティを開いた。大きな樹木が家に入って来て毎年本格的飾り付けをした。「ジングルベル」や「聖しこの夜」を近所の子供達も皆歌った。幻灯や蓄音機が家にあったからパーティは毎年盛り上がって、皆が楽しみにしていた。「何が欲しい?」と聞かれて、女の子の私は毎年「ピストル」といっていたのを思い出す。小学生になって「カメラ」や「時計」「電話」などと言い出すまでは、毎年ピストルだった。お人形だったことはない。

その後もずっとピストルが好きだし、大人になってからも何個かおもちゃを買った。「GUN」という雑誌で、サークルを探し訪ねていったこともある。大の男がおもちゃのピストルで真剣に遊んでいる。実弾を撃てる場所はないですか、と聞いたら能勢に射撃場があるという。車で行ってみたら、警察官の練習場みたいなところで、一般人の登録入会は、はなから無理だった。日本に実弾を撃てる場所はない、というのが情報収集後の結論だった。

グアムかハワイに行くしかない。30数ドルでマグナム銃まで撃たせてくれる射撃場があるという。早速ハワイまでピストルを撃ちに行った。1985年あたりだったと思う。ガクンと反動が凄いだろうと覚悟したが、たいしておもちゃと変わらなかった。
銃は持つと必ず撃ちたくなるだろう。それは結果人を殺すことにしか繋がらない。帰国しておもちゃのコルトをハンドバッグに入れて、それで充分満足することに決めた。
いきなりバッグから銃を取り出すと、たいてい人は吃驚仰天する。その顔を見るだけで、充分悪戯心は満足する。
車を運転しながら、いきなり取り出して、隣を走る車を撃ったことがある。全くドが過ぎる危険な悪戯だった。

母の弟は猟友会の会員だ。何度か遊びに行って話を聞いた。家には家人にあんまり愛されていない猟犬が2匹いた。猟はチームのゲイムらしい。取り囲んで追い込んでいく。そこの家には何度も行ったので、新鮮そのものの牡丹鍋や雉鍋もご馳走になった。ピストルマニアと猟銃マニアとは好みのズレがあることも知った。猟は解禁シーズンも短い。さすがに私には猟犬を連れて猟をしたいという願望は全くない。

陪審員」という映画を見た。主人公のデビィ・ムーアがあれだけ勇気を持って恐怖と社会悪と戦えるのは、銃を使えるからだと気づいた。
私は銃擁護社会には大反対だが、女が男と同じように平等で戦うには、銃は必要不可欠だと思った。銃を持って初めて女は、バーチャルな男になれる。男と同じ勇気と発想が持てる。男と女の違いでもあり、アメリカと日本の違いでもある。
拡大解釈して「銃」を「核」と置き換えれば、国際政治がわかりやすい。

・・・・・・・・・・
「Nazi Rock」 Serge Gainsbourg

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