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民主主義

小学校1,2年の頃だったと思う。近所の悦ちゃんが「私のおばあちゃんは、男の兄さんと女の私を酷く差別して扱うので、悲しくて仕方が無い」と言うような作文を教室で発表した。具体的にこうだ、ああだ、と書かれていて、聞いた私は心底吃驚した。家に帰って自分の祖母に「悦ちゃんのおばあさんは、こんなんだって。おばあちゃんは全然そんなことないねぇ」と言った。
「この辺の田舎のおばあさんは、そんなものかもしれないねぇ。大人になって出て行く女の子は、どうでもよくて、跡取の男の子は大切にする。男女平等、つまりは民主主義をしらないのだと思う」と言った。民主主義?初めて聞く言葉だった。
兄が小学校に入学した時、祖母は母に「Bちゃんにも、鉛筆や筆箱やノートブック(祖母は帳面と言わずにノートブックと言った)を買ってあげて」と言ってくれた。母は買ってきて風呂敷につつんだそれをまず祖母に見せた。小学校に入学してもいないのに、小学生の兄と同じ物を買ってもらって、とても嬉しかったのを憶えている。まず鉛筆の持ち方、そして削り方を教わった。それから自分の名前、そして住所、さらに本籍地を学んだ。「世が世なら、Bちゃんは乳母日傘の船場のイトハンや」祖母はそう言った。本籍地を暗唱させられた。ノートにはABCを書いていったように思う。あいうえお、は幼稚園の前に、既に祖母に教わっていた。そう言えば、私の最初の絵本は「イエスキリストの生涯」。祖母が買ってくれて、同じ本を何度も読めと言われて、実際あきあきした。そのせいで私は長い間、読書嫌いだった。今度のABCはなんだか、楽しかった。ひらかなや漢字ではない文字が好奇心をかきたてたのだと思う。音も面白い。悦ちゃんの作文を聞いたとき、おそらく兄もまだ学んでいないABCを初めてノートブックに書いたこの時のことが頭に浮かんだ。
・・・・・・
私は日本の近現代史のBLOGを書いているが、最近再びHerbert Normanを取上げた。そこに都留重人の名前も登場するのだが、とても幼い頃既にその名を祖母の口から聞いていたことを思い出した。私がまだ東も西もわからない頃、祖母が口にしていた名前は数多く、今になって思うのだが一体祖母は何故そんなに多くのいわゆる知識人を知っていたのだろうか。まさかとは思うが、個人的接触もひょっとしてあったのだろうか。(祖母が若かった頃は、立派な洋風の家に住んでいて、人を集めて講演会や演説会などをする部屋もあったようなので、そこでそう言うことをしていたのかもしれない。)
私はからだが弱かったので、担任が見舞いにくることもよくあった。すると祖母は必ず教師に出身大学を聞き、教師が答えると、あそこだったら教授に誰と誰がいる、などと話し始めるのだ。どんな大学でも自由自在、著名な大学教授はまるで全部自分の知りあいのように話していた。また今思うと、賀川豊彦、新島襄、新渡戸稲造、内村 鑑三、などキリスト者の名前も当然よく口にしていた。
祖母にはどのような交流があり、どのような知識があったのだろうか、と今頃になって不思議に思う。
昔兄が一度だけ言ったことがある。それは60年代の初め兄と私がボクシング・ファンになっていろいろ話していると、祖母も噛んできて、白井義男やピストン堀口のことまで話し始めた時だ。「Bruxelles、考えて御覧、おばあちゃんのあの歳で、情報もそう多くない時代を生きて、白井義男やピストン堀口のことまで知ってるなんて、ちょっと考えられないよ。お茶やお花や、邦楽や、時事問題や、政治・経済の話でもない。ボクシングの話だよ。うちのおばあちゃん、ひょっとして物凄い知識の量をもっているのかもね!恐るべしだよ、全く」
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