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美しさと哀しみと(2)

前ペイジに書いた冬物コート事件の類が、その昔母の口から拡散されたせいかどうか、母の田舎では祖母の死後40年たった今でも、祖母は「血も涙も無い嫁いびりばあさん」と言うことになっている。田舎の人は血族意識が強く、味方にすると心強いが、敵に回ると一度固定されたイメージは再考され覆されることはない。

父には兄弟はいないが、母は8人兄弟だ。母の二番目の姉は、母が死んで15年たった今でも「Bちゃんのお母さんは綺麗だった」と繰り返して言う。
まだ学生の頃から、田舎では指折りの大金持ちの家から、母にぜひにと申し出が何度かあったらしい。つまり、ひくてあまたで、田舎でなら苦労せずとも、使用人を使う身分で暮らせたのに、というわけだ。母自身は田舎が大嫌いで、一日も早く家を出て都会に行こうと願っていたらしい。しかし母にも意地やプライドはある。「こんな家も、財産も何も無くておまけに気位だけが高い姑付きの結婚をして一生の不覚だった」と何度も怒って嘆いてみせた。

母の二番目の姉は村一番の資産家の家に嫁いでいた。母と同じで早くに夫を亡くしたが、経済的には裕福そうだった。
その家の当主のA氏が、まだ元気で生きていた頃、母は言葉をしゃべるかしゃべらないかくらいの年齢の兄を連れて、遊びに行ったことがあるらしい。2,3時間してその家に慣れた頃、兄はA氏を手招きして「おじさん、こちらにいらっしゃい」とまだ覚束ない口で、突然しゃべったのだそうだ。普段「おっさん、こっち来いよ」としか言われたことの無い資産家の当主は、腰を抜かさんばかりに驚いた。都会では幼児までがこんなしゃべり方をするのか、という驚嘆である。母から聞いた話だ。
私にイエス・キリストを教え込もうとしたように、祖母は、田舎に行こうとする幼い兄が、田舎で最初に言葉を覚える事が無いようにと、自分のカルチャーの言葉遣いで何日間か必死で話しかけていたのだろう。

祖母と母が一緒に住むようになって、初めて一緒に銭湯に出かけた時の話だ。この辺の田舎の子供らが(この辺を田舎の人達は都会と呼ぶが)ドロにまみれてハナを垂らしたままワァーと一斉に入ってきた時、祖母は「キャッ」と悲鳴をあげて、身を仰け反らせ顔をゆがめそして身を震わせたのだそうだ。母はその話をする時「そこまで上品ぶるのは、失礼というものだ」と言ったが、祖母のその反応は極めて自然なものだったと私は思う。
祖母は60歳から20年間結局この、祖母にとっては受け入れ難い異文化の中で(といってもそれがごく一般的な日本なのだけれど)暮らすことになる。祖母の柔らかい心は孤立し硬化し、さらに文化の衝突によって、20年間日々粉々に砕け散っていたに違いない。

(追記)最近、途中で何度も声を出して笑えるコメディー?「逃げ道」(フランソワーズ・サガン著)という小説を読んだ。私にはドンピシャのハマリだったが、他の人達はどんな視点で、この小説を読むのだろうか。とても興味がある。
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