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宗教と葬儀

父の葬儀のあとしばらく入院していた。退院して帰宅した次の日の朝だった。
母と祖母が言い合っている。父は一人息子で父には、祖母と祖母の甥の従兄弟ひとりを除いて、兄弟も親族もいない。
祖母はこう言ったようだ。クリスチャンとして旅立って欲しかったと。
母は,自分はキリスト教を知らないし,やって来た親族は母の肉親ばかり、手伝いも力になったもの、お花を出してくれたのも皆キリスト教を知らない私の身内ではないかと。(父が子供の頃、隣の教会に住んでいた父の幼馴染の男性二人が(牧師の息子達)来ていたが)
母の口調が少し激しい。葬儀は若死にしたので気の毒に思ったのか、父の会社が例外的に社葬をしてくれた。立派な葬儀だった。社葬ならばキリスト教でと頼めば、会社がしてくれたのではないかと、祖母。

「お父さんが悲しむから二人とも止めて」と私は心の中で悲鳴をあげた。2,3時間もたたないうちに激しい発作に襲われ、一日帰っただけで、その日のうちに市大病院に逆戻りした。
父がいた頃は、クリスマスには本物の木が家に運ばれ毎年飾り付けをし近所の子供達を呼んでお菓子やプレゼントを配り、自宅でパーティーをそれなりにではあるが、盛大にした。ああいう家庭は父とともにもうなくなってしまうのだと、思った。

父は自分が癌だとわかった時、母に聞いたらしい。
父「おばあちゃんと一緒に、これからの生活やっていけるか。広島の兄貴(祖母のたった一人の甥)に、面倒見てもらうように頼もうか」
母「どこまでいけるかわからないけど、とことんまでおばあちゃんとやっていく」
父「そうか。おばあちゃんにも聞いたら、お前も俺がいなくても大事にしてくれるし、孫達とも離れたくない、このまま、できる限り今の家で一緒に暮らしたい、と言ってた」
祖母からも母からも同じ話を聞いた。そして祖母は「可哀想に、死ぬときまで、私のことを案じてくれた」と言って泣いた。

父の会社には未亡人を雇用する制度があって、2週間も経たないうちに母は会社に出勤するようになった。今まで何もしなかった70歳の祖母は、市場に買い物に行ったり,料理をしたり洗濯をしたりするようになった。

10数年前に父の大学の成績表等と共に、父が文部省の留学生試験をこっそり受けていた書類が見つかった。
自分には妻も母も子供もいる。条件的に無理かもしれないが、神学を学び、クリスチャンとして生きていきたい、と応募英作文に書いていた。大昔に祖父が友達3人と教会を建てたこと、自分の家がクリスチャンの文化を受け入れて来た事、父とは子供の頃毎週一緒に教会に通った事、そして父がアメリカから持ち帰った本物のアメリカ民主主義を自分もこの混乱の日本に持ち帰りたいと、応募動機に書いていた。

40年前祖母が亡くなったとき、祖母に来る年賀状を頼りに、私は面識のない人たちに連絡をしてみた。
祖母から名前だけ聞いていた遠縁のご婦人たちが2,3人出席された。
「あれっ、クリスチャンだった筈ですが」と。
「母がキリスト教を知らないものですから」
「お孫さんが、お爺様からの遺伝?でか、やっぱり酷い喘息で、学校に行けないって、心配なさってました」
「そうですか。そうでしたか。その孫が、私です。」
霊前に進み出てその方たちは一礼、そして十字を切られた。
私が生まれる以前は、祖母は(そして父も)クリスチャンの家庭でクリスチャンのお友達とクリスチャンとして暮らしていた事がよく分かった。
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