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試験開腹術の不可欠

直前の記事、日付は12月4日となっているが、Blog TopをKeepするために更新してきたからだ。実際は2014年5月9日くらいに書いたものだ。今日は12月30日、8ヶ月弱経過している。その間、日記を続ける余裕は無かったし、正直今もまだ振り返ってこの8ヶ月を記述する精神的ゆとりは無い。しかし今書き残しておかねば、ひょっとしたら永遠に書けないかも知れない。怒涛のような日々だったので、順序だてた記憶がないのだ。だからメモなどを参照しながら無理にでも試みてみようと思う。
末期がん患者体験とは、それは強烈なもので、この体験を経た後と、経る前では別人にならざるを得ない、誰でも、と思う。

メモによるとS病院には4月に8日、10日、17日、24日、と4日間歩いて電車で通院している。
4月8日、S病院にひとりで来る。今日の検査。体温、血圧測定、子宮がん検査(異常なし)、採血6本、MRI、とあるが、どこのMRIを撮ったのかは書いていない。これが初診。4月4日くらいの時点で卵巣癌が発覚し、そのFilmを持参してきているのに、何故子宮がん検査をされたのか、意味がわからなかった。M医師と若手の研修医と二人が子宮の奥の方の細胞を掴み取ったような気がする。
ここに来る前に、初めて受診される方に、というパンフレットをさんざん見てきた。メモをとる。
診察申込用紙・保険証・紹介状→カルテと診察券をもって受診する科へ→カルテと診察券を提出して待つ→すぐに入院が必要かどうか相談
帰ってからは、入院の進め方というあたりを熟読する。入院については「入院受付」で尋ねよ、とあった。180日を越えると15%が保険の対象外となる、と書いてあるが、どれくらいの入院になるか見当もつかないので、この部分はすぐに忘れた。これはどこの病院でも同じだろう。4月に通っていた総合診断センターは一階だが、婦人腫瘍科になると13階、その外来は3階、レントゲン撮影などは地下一階、血液検査は2階など、方向音痴なので、まず病院内の地図を覚える。
・・・・・・・・・・・
詩を書いていた頃からの古い友人で産婦人科医であるS氏という心強い味方がいる。卵巣癌がわかった後でS病院に初診に来る前の段階でSOSを発信した。「相談に乗りましょう」と心強いお言葉を頂く。どれだけほっとしたかわからない。彼がまだ京大医学部の学生だった頃に知り合った。30数年前子宮筋腫とS病院で診断されたときも、彼に相談した。筋腫とは良性の瘤だから、多量出血とか痛みとか耐え難い不都合がなければ、急いで手術する必要は無い、と言ってもらった時、どんなに不安から解放され嬉しかったかよく覚えている。私は癌の初心者だ。癌の「が」もわからない。彼の存在は本当に心強い。まず彼に教えてもらったとても重要なこと。
卵巣癌の場合、まず開腹して取り除いた部分の生体検査をする。それによって組織系を判断し、それを基にして治療方針が決定する。それと腫瘍らしきものがあるのは画像からでも判断できるが、良性か悪性かは、生体検査のあとでしか、決定は出来ないらしい。従って開腹手術が不可欠だということがまずわかった。そのあと、放射線ではなく抗がん剤治療が始まることも。
一回目の入院診療報告書によると、(病名)骨盤内腫瘍、(症状)腹部膨満、(治療計画)試験開腹術を施行します、(推定される入院期間)約1ヵ月、となっていて、日付は6月6日、私自身もはや覚えていないが、こうして記録を見るとS病院への最初の入院は6月6日だということがわかる。4月8日に紹介状を持って初診にやってきて最初の入院が6月6日、それまで何をしてきたかと言うと4月はほとんど検査ばかり、5月から入院待ちリストに登録される予定だったが、5月の入院前検査中に、腹部膨満が異様になり、S病院からの紹介でO病院に入院し腹水を抜いたこと、その後肺炎が発覚して翌日またO病院に引き返し2週間ほどそこに入院したこと、などの顛末があった。直前の記事に、喘息発作で苦しいと書いていて、病院でもそのように扱われたが、実は肺炎であったことがO病院に入院した際のレントゲン撮影でわかった。S病院でも胸水がレントゲンで確認されていたが「おそらく喘息のためでしょう」と判断されていた。このように6月6日にS病院に入院する前に実はO病院に2回入院(5月14日~15日&5月16日~29日)していたことになる。このあたりが「苦しいからだ」と書いた直前の記事から数日後の展開だ。思いもかけない肺炎のために、がん治療が御預けをくらった。先が読めない日々に突入する。しかし確実に言える事は、もし14日の晩にO病院に緊急入院して腹水を抜かなければ、手術にたどり着く前に、とうの昔に死んでいただろうということだ。
これも記録を見るまで忘れていたが、試験開腹術の手術は6月10日、最初の抗がん剤投与は6月27日、抗がん剤治療に関する説明は前日6月26日の夜にあって、卵巣癌という病名を正式に医者から聞いたのはその時である。ステイジは第3期のC。回復は望めないが、うまくいけば数ヶ月のわずかな延命は期待できる可能性、なきにしもあらず。手術前説明よりも、抗がん剤治療説明を先に書くのは順序は逆だが、抗がん剤はパクリタキセルとカルボプラチン、そして分子標的薬アバスチンを治療に加える計画だということだった。

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手術に辿り着けない

4月初めから始まった様々な検査はひととおり終わった。5月1日ようやく執刀医とお目にかかった。「厳しい手術になる」と言われた。5月7日手術前検査。5月9日、入院手術待機者名簿に登録。そこまできていたのだが。
5月8日の朝から喘息の発作が出た。パンパンで苦しい上、胸水まである、その上に喘息の発作だ。苦しくて仕方がない。休み休み、普段の4倍くらいスローにしか歩けない。15分かかるところなら一時間だ。歩けたらまだましで、タクシーに頼るしかない。頭の中にあるのは思考の領域でなく苦痛の苦しみの領域のみだ。顔はつねにゆがんでいる。
入院前外来というのがあって、9日そこへ行ったのだが、「その状態では登録は無理。肺活量の測定ができない」と言われた。あと血栓症も手術前検査で引っかかっていたらしく「こちらもこのままでは全身麻酔の手術には耐えられない。死の危険が極めて高い」と。
「とにかくまずは喘息治療。近くの病院で治療してきてください」「ここの呼吸器内科で治療していただけませんか?」予約が取れない、ということだった。早急に苦しさを軽減しないことには、このままの状態ではいつになっても手術はできない。
家に帰り一番近い診療所に行く。断られた。その代わりそこの紹介で別の呼吸器内科へ、タクシーで行く。もう死にそうに苦しい。事情を話し点滴を受けお薬も出た。めでたしめでたしの筈なのだが、治療が合わないのか点滴も薬もほとんど効かない。従って喘息は止まらない。喘息のときはいつもそうだが、食事は全くできない。考えてみれば、喘息の発作が出る前からパンパンお腹や胸水で相当苦しかった。どうなるのだろう、私の手術。手術も事前に説明されたが治療のための手術でなく、組織系識別のため、どんな抗がん剤治療をするかを決定するための治療前手術だ。その全身麻酔に耐えられなくて死亡となれば、結局本当の手術までは辿り着けない。今でさえ食べられない出せないで、衰弱している。一回目の治療前手術まで、あるいはそのあとの抗がん剤治療まで持たないだろう。もたもたしていては治療がどんどん遠のいていく。お腹はどんどん膨れ上がっていく。そもそもこのお腹さえ現代医学ではへこませる事ができない。何度も言うが癌性腹膜炎恐るべし。「がん治療革命」の中でさえ、未来の最先端においてさえ「癌性腹膜炎は完治不能」とある。
それでも希望を捨てずあれこれ戦っていくつもりだけれど5月末6月の初めまで、自分が自分であり続けていれるかどうか、心もとない。余命3ヶ月から一年だが、その一年は地獄だろう。3ヶ月なら今月か来月だ。思考が混乱して、現実に負けているような気がする。とても苦しいからだ。

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