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Oh! My Papa

父が亡くなって今日で半世紀が過ぎた。私は幼すぎて、会話が成立するような年齢ではなかった。人として父を理解できていたとは言い難い。それでも、父が言ったことで、記憶に残っていることが4つある。
1?身に付けるものの色はできれば2色に押さえること。帽子とベルトと靴の色は同色にすること。?なるべく守るようにしている。
2?女性は大切に扱い、親切にすることーこれは兄に向かって言っていたのだが、そばで聞いていた私も、父の教えとして守っている。
3?「死ぬ時は、飛行機に乗って、ピストルで撃たれて死にたい」ーアメリカ中部で飛行機のライセンスを取り、ハワイで実弾を発射してきたのは、頭のどこかに父のこの言葉があったからだろう。
4?好きな人ができたら、食事を共にし、その男がペチャクチャ音をたてたら、交際の対象から外しなさいー父はテーブルマナーがどうのと言っているわけではなく、公衆の面前で女性に恥をかかせて平気な男性を避けなさい、と言ったのだと思っている。女性に車道側を歩かせたり、重たい荷物を持たせたり、数歩前を平気でスタスタ歩く男はすべてカット(男性と思わない)してきた。レストランでイスを引かない男、コートを着せてくれない男、ドアを開けてくれない男、実は全部興ざめしてしまう。困ったことだ。私の一生で興ざめしなかった男性は、厳密に言うと日本人では二人しかいない。
父はどちらかと言うと小柄で痩せていて、マッチョ好みの私としては決して理想の男性ではない。しかし、知的で所作がスマートでハンサムで、子供心にも、父のことを、私達他の家族とは住む世界が違う、かけ離れた存在のように感じていた。まず第一にあの父が私の父だと言うこと、あの父が母の夫だと言うことが、不思議でしかたなかった。父には父にふさわしい子供や妻が別にいるのではないかとうっすらと感じていた。
父の付近には分厚い軍艦の写真集やたくさんの洋書があり、机に座るとタイプライターで外国の友人達に手紙を打っていた。つまり父は、私には未知の世界を持っていたからだと思う。また、父が私を金髪女性が住む神戸の洋館に連れていってくれたこと、TV局を見学させてくれたこと(その時初めて自動ドアを体験した:50年以上前のことだ!)等も、私に父との距離を感じさせたのだと思う。
父との思い出は他に三つある。米軍が接収していた軍艦に乗せてくれたこと、会社の社内旅行に連れて行ってくれたこと、病気で入院する前に、思い出を残すためか、山登りに連れて行ってくれたこと。今から思えば、私が感じている距離感を察して、父はそれを埋めようとしたのかもしれない。
正直言って若くして亡くなった父との思い出が祖母との思い出ほど多くあるわけではない。ただ、39歳で亡くなった父の年齢をはるかに超えている今の私には、既に父は私と同化し私の中で生きているのだと感じることはできる。
いつか彼の世で父に会う時、父が我が娘として誇りに思って出迎えてくれるように、心して残りの人生を全うしたいと思っている。

To my dearest Papa : I love you forever

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