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間違いを間違いのまま、正しいと押し通す...(2)

長くなりすぎたので前記事の後半を以下別ペイジに移動しました。

・・・・・追記:2013年7月24日・・・・・
役所を相手に喧嘩しても絶対勝てないことは身にしみて知っている。今回も勝ち目がない。ほかのことに頭が働かなくなる。そして昨夜寝ようとしたが、なかなか寝付けない。一時間二時間、何を考えているというわけではないが眠れない。お墓に行ってわかったことが一つある。この間違いはたての棒が二本、少し突き出ている、それだけの違いだということだ。それだけで別の字になってしまっていた。明らかに役所のミスである。役所も家族も100年以上違いに全く気づかなかったのは、多分、「あ、そうですね」と言ってその場で役人がはみ出ている線を短くきり書類を発行したのだろう。一つわかったことは、多分改ざんではない、単なるミスだということ。そしていつかはわからないが戸籍改正法が施行された時に、間違いが定着したのだろう。冷静になる期間を置いて良かったと思っている。
それより昨日不安になってお墓に行ったこと、自分を恥じている。ひょっとしたらと、自分の先祖を疑ったからだ。例えば手書きの場合、日だろうと月だろうといい加減に書かれれば区別がつかない。古い毛筆ならばなおさらだ。ただ役所はコンピュータ化した気色悪い字の方を、正しいというスタイルを絶対に崩さない。それをたったひとりで、どう納得させるかだ。この戸籍に生存しているのは私一人である。父も一人っ子、祖父も一人っ子(日露戦争で弟が若死にした)つまり私にはおじさんもおばさんもいとこもいない。なんという家系だ。「兄がいる」と言ったのだが、独立して別戸籍だから、どんな字であろうと、それが正しいという証拠にはならないという。兄に電話したら兄の方の戸籍には気色悪い字は一切登場しない。これが証拠だ、と言いたいのだが別戸籍だから「役に立たないらしい」。
・・・・・
・・・・・
昨日「実は思い出したことがあるのだ。だから今回は絶対役所のいいなりにはなりたくないと思っている。」と書いた。私がかっかきたのはその経験があるからだ。
バブルの時にお隣が家を売ろうとした。そこで、その家の地番と我が家の地番が入れ替わっていることが発覚した。連日のごとくお隣が「うちも書き換えるのでそちらも書き換えろ」と言ってきた。書き換えには20万30万とかかる。年金生活者の母は「書き換えは同意するが、費用は売買の代金でまかなって欲しい」といったのだが、金を出せの一点張りである。寝耳に水で20万30万、「はいはい」と出せるわけがない。我が家に許可をお願いして売買利益獲得者が支払うのが当たり前だろう。しかし母に隣の男が毎夜長時間詰め寄ってくる。それで、母の相談を受けて法務局に出かけた。登記簿の元帳を調べると、記載は何も間違ってはいない。明らかに書き写すときに役所の人間が番号を間違えたのだ。元帳を見せて、写し間違いを指摘して、訂正を要求した。常識で考えれば、それで済む話なのだ。ところが法務局はガンとして「登記のやり直しを要求した」。何度も行ったのだが、「過去のものより、新しい現行のものしか、正しいとは認めない」と言い張る。そうこうしているうちに母が回転性めまいで倒れた。病気になったことのない母が、入院した。すぐに診断がつかず原因不明と言われ、不安な日々を過ごした。友達に電話をかけまくり「突発性難聴ではないか」というヒントをもらった。医者に言いに行くと「あぁ、そうですね」と羞恥心もなく納得する。手当が遅れたので、その後母はあちこち循環器障害を起こすようになった。退院してから母は、自分と同じ郷里の瓦屋で不動産を買いあさっている男を見つけてきた。その男は、登記の費用も喜んで払うといった。隣の男はさらにプラス500万ほどふっかけて、家を売って出て行った。そんな話はどうでもいいのだが、結局バブルがはじけて、母と同郷の瓦屋は大損をした。そして母は「瓦屋さんに大損をさせて申し訳ない」と悔やんでも悔やみきれずに、体調を崩してそのあと、入退院を繰り返し、脳梗塞で死んでしまった。
法務局が間違いを素直に認めれば簡単に済む話だった。役所というところは間違いを決して認めず、尻拭いを民間にさせる、しわ寄せしその皺を押し付ける、私は体験からそれを知っている。「怒りで頭蓋骨が吹き飛びそうだ」と23日に記述しているが、その経験があるからだ。書類を揃えて理路整然と説明しても、役所相手では埒があかない。最後に法務局の役人が私にこういった。「こういうケイスはよくあるんですよ。マンションなどの場合、登記は右から、部屋番号は左から、とかね」
今私はあの時の母と同じような立場に立っていると思う。そして(母には私がいたが)私には私がいない。

・・・・・同日追記・・・・・
さっき長い間弁護士事務所で仕事をしていた友人のKから電話があった。私は昨日のことを話したのだが、自分でも思わぬ方向のことを口にしていた。帰る電車の中でふと思ったのだ。長い間正しい名前でずっと生きてきたのに、市役所のきむさんに「あなたは生まれた時から、それとは違う名前ですよ」と言われただけで、不安になりお墓の文字を確認に来た自分を思い出して、ふと冤罪のことを考えたのだ。よってたかって何時間も「あなたの名前はそれじゃない。実はこれが正しいのですよ」などと言われたら、ふと自分の信念に疑念が生ずる。おまけにいい加減な目撃者とか、「こんな色の服を着ていた」とか、手に包丁を持ってどこそこにたっていたとか、全く覚えのないことを、多くの人に遮断された状況で確信的にいわれたら、誰でもふっと「ひょっとしたら、そうかもしれない」と思うのかもしれない。冤罪とはそういうふうに生まれる、なんだかそれがわかるような気がした。それを言うと、その友人のKも「そうだ。冤罪とはそういうものだ」と言った。また私もよく知っているがそこの弁護士事務所はたくさんの冤罪を扱った。法的に見ると、戦後社会は冤罪の山だったとも言えないことはない。私はその弁護士事務所と同じ階にある貿易会社で働いていたのだが、そのころたくさんの有名な事件を扱っていたのでよく知っている。そこの弁護士はB・C級裁判の弁護も担当した人で、パール判事とも懇意で、インドに同行したという話も後で聞いた。日弁連とはもともと左翼系で、事件もそのようなものを扱っているようだったが、その昔は日本でも冤罪などを考えると、人権弁護士が正義だった時代も確かにあったような気もする。それと同時に犯罪に政治が絡んで、明らかな犯人が冤罪になり社会問題化して無罪になる事件も見てきた。その弁護士が晩年に引き受けたK事件などがそうだ。「今度ばかりは、ここの先生間違っているね」とよくKと喧嘩した。Bruxellesちゃんだけでなく実は○○先生からも電話があって「晩節を汚すことになるから、今度ばかりは手を引いたほうがいい」と意見があった、とKがポロリと言った。「それで、ここの先生はどう答えたの?」と聞いたら「信念を持って引き受けている。外部から余計なことは言うな」と立腹されたらしい。失礼だが、老いて焼きが回るとはこのことだと思った。私はそのK事件の調書をこっそり黙って全部読んだ。その上でそう思うのだが、引き受けた弁護士は、信念だけで、調書など1ペイジも読んでいない。弁護士は時間がなくて調書など読まない、また調書自体をそのまま信じるのは素人だという考え方もあるようだ。今から思えばそこが取り扱った有名事件で最も新聞を賑わせたのは「金大中事件」かもしれない。私は多分海外旅行などしていて、帰ってから聞いたが、はっきり言ってまだ若かったし、なにがどうなっているか全くわからなかった。日本に来ていて、エレベーターの中で誘拐されて韓国に連れ戻された?その程度の理解である。若い時は興味が拡散して、他国の政治にまで干渉する気にもなれない、なれなかった、それが正直なところだ。そしてあの事件は未だによくわからない。冤罪のはなしから大きくそれてしまったが、今日Kと電話で話したことは「冤罪はありうる、誰の身にも降りかかる」そして人の気持ちとは、状況によってはいくらでも誘導されるものだと、そう考えると人の信念とか、確信とか、本来とても脆いものだと、今日はそう結論を出さざるを得ない。

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