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昨夜書くはずだった日記 : 御堂筋walk

天然ラジウム温泉を昨日は数時間早く切り上げた。イルミネーションが始まって、いつもの時間の送迎バスが無くなったからだ。電車を乗り継いで梅田についてから、いつものように地下鉄にもぐらないで、群集にくっついて適当に歩いていたら西梅田の阪神百貨店まで流されていた。そこまで来ると、さすがに方向感覚が蘇って、昔「人間この抽象的なるものの中で」というグループ展を開いた画廊のあたりにたどり着いて、そこからようやく御堂筋を南下することが出来た。あんな田舎のイルミネーションを見るくらいなら、御堂筋を歩きたいと思ったのだが、イルミネーションにはまだ時期が早すぎた。大江橋を渡る時は、なんだか胸が一杯になった。40年ほど前、毎日このあたりを、船荷証券などを手に持って、うろうろ歩いていたのを思い出したからだ。夜でも昔の私のような若いひとたちが沢山歩いていた。当時上司だった中村さんは、多分もう亡くなられただろう。そういえば、息子さんが大阪市大医学部の学生さんだったっけ。中村さんの弟さんは後に社長になられて、そのあと数年で大腸がんで亡くなられた。その方は生き残りの特攻隊員だったけれど、中村さんは、出陣の日に仮病を使って、戦場にいくのを逃げた、そしてその後は、通信兵だった、などという話を思い出しながら歩いた。そしてもし病気でなくても、私はもう人生の末期にたどり着いているのだと、実感した。病気を取り払っても、末期は末期なのだと、しみじみとはじめて実感した。淀屋橋に来た。1月4日着物を着てここを歩いていたら、NHKのカメラにつかまって、その午後の全国ニュースで私の顔が流れたこともあった。何人かの人が電話で教えてくれた。今も1月4日は女性は着物を着て半日出社するのだろうか?

石原時計店のショウウィンドウを覘いた。むかし家に残っていた、おじいちゃんやおばあちゃんの持ち物に似た時計が並んでいた。御堂筋の南下は今日はここまでにして、ビルの地下のMJBcafeに初めて入ることにした。本当は石原時計店に入っていきたかったのだが、買う予定も無いのに入りそびれた。since 1946という文字が見えた。このビルが敗戦後に建てられたのか、MJBcafeがその年に入居したのかよくわからない。祖母が亡くなった時、祖母のただひとりの身内である、高名な医師だったかたが、私に「あんたとこの店は、淀屋橋のミズノと尚美堂の間にあった」と確かにおっしゃった。とすると石原ビル、ここしかないのだ。表にはスペイン風Cafeと書いてあったが、地下に入るとJazzが流れていた。7色コーヒーが売りらしくて、月曜日はアラビアン、それでアラビアンCafeを注文した。「スペイン風かと思ったら、Jazzが流れているのですね」といったら「スペイン風は室内装飾です」という返事が返ってきた。最近chansonばかり聞いているので、久しぶりに聞くJazzは非常に心地よく、Jazzばかり聞いていた若き日の私の日常が、ふと蘇ってきた。豊穣な時間だ。ケーキ類も何種類もあったが、糖分はがん細胞の餌にしかならないのでやめた。コーヒーについてきた二つの角砂糖も、使わなかった。

父の日記を思い出した。1945年3月13日、B29の空襲で、祖母と父はバラバラになって逃げた、が石原ビルの地下で、二人は再会する。群集は北へ北へと逃げたと書いてあったが、皆がたどり着いた石原ビルは、当時は心斎橋にあったのだ。後に西武百貨店のPARCOになったあの場所だ。もちろん今はそのPARCOも無くなっている。私が今いるこの地下は、祖母が着の身着のままで逃げてきた、(心斎橋の)石原ビルではない、ということなのか。しかしこの広さなら、あの日記の石原ビル(心斎橋)の地下をイメージできる。御堂筋を北へ北へ、ならば、淀屋橋の石原ビルだった可能性も打ち消せない。私は空間と時間の概念が完全に未発達なので、これ以上考えるのをやめた。

ふとテーブルの右を見ると柱があって、そこにインディアンの顔や頭の羽根を、スプーンやフォークでかたちどった、パネルがあった。保存状態は良好なのだが、物凄く古いものであることがわかる。スプーンには持ち手のところにアメリカの州の名前が装飾されていて、額の上部には「アメリカの思い出」と英語で書かれている。メッキかどうかまではわからないが、スプーンもフォークも金製に見える。これはおじいちゃんがアメリカから持ち帰った「お土産」ではないか?ここにこうしてこういう形で残っているのではないか?ふとそう思った。アメリカの州の数を数えてみた。スプーンやフォークは全部で30、この数は当時のアメリカの州の数ではないか?私は時間と空間の把握に弱いので、はっきりしたことはいえないが、祖父は12年間アメリカで学業に励んだ。そして卒業証書を二つ持って帰国したと聞いている。のちに祖母と結婚。後年しかも大型倒産をしているらしい。このパネルは明らかにまだアメリカの州が30だった頃のアメリカ土産に間違いない。何しろIndianの顔がモチーフの時代のアメリカ土産なのだから。フォークもスプーンもやはりおそらく金製だからゆえに、何人か人の手を経て、こうしてこの場所に残ってるのだろう。倒産の時に祖父が吐き出した、思い出の品なのかもしれない。これ以上のことを調べる時間が私にはもう無いし、調べる術もない。父にも祖父(日露戦争で弟が死んだ)にも兄弟がいなかったから、そして父は若死にしたから、過去のことは実際何もわからない。祖母のたった一人の甥であった前述の高名な医師から、話を聞くまで、祖父が親戚から借金をするほどの大型倒産をしていたことさえ、何も知らなかった。わからないものはわからないままでいい。ただ、もう一回あのスプーンやフォークのIndianの顔に会いに行こう。そして淀屋橋止まりにならないように、クリスマスまでに一回くらいは、梅田から心斎橋まで、夜のイルミナーション煌く御堂筋walkにチャレンジしたいと思っている。

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