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Shining Path

Shining Path 2004年6月3日 (Thu) 17:54:40

久しぶりに降って湧いたように適当な話し相手が現れたものだから、イランコントラからホワイトゲート、クメール・ルージュやらハイチ、ニカラグア、ブルンジそして、毛沢東思想がアフリカや南米まで飛んで、不幸を撒き散らしている話をした。南米のテロも毛沢東思想に駆られた、ほらあの、輝ける道とかなんとか・・ここで歳のせいか血液の流れが、鈍る。「センデロ・ルミノソのことをおっしゃってるんですか?」「そうそう、それそれ」「それから最近逮捕された大学教授のテロリストの・・」「グスマンですか」「そうそう」(原子力研究の理系なのに、さすが京大生よく知っている)

明日香歴史walkに行こうか、尖閣諸島上陸のビデオ上映会に行こうか迷っていた。すると「SAPIO」の投稿欄に、日本の将来を共に語ろう、と呼びかけている同市内(つまり近所)の青年を発見。「私は共に行動できないけれど頑張ってください。ところで今度の日曜日駅前のUビルで西村真悟議員の講演会があるので、よければ代わりに行っていただけませんか」とハガキを出した。そしてその日曜日、歴史walkに出かけたのだけれど、平地walkに気分が乗らず、思い切って途中で引き返しそのままUビルに直行。悪天候の中ボートで尖閣諸島に上陸をする姿を見て感動し、講演を終えた西村議員に(拉致問題もまだ表面化しておらず今ほど有名ではなかった。それどころか、このあとSPAでの放言で確か一度辞任に追い込まれている)握手を求め(グラサンをしている私を見て一瞬刺客かと、少しギクッとされたが)家に帰って食事の支度をしていた。そこへこの子が(といって24歳の大学院生なのだが)突然私のハガキを手にヒラヒラさせ、玄関に現れた。

それから1年位したころ、騒音問題解決に向けて友達に紹介された市会議員が家に来る事になっていた日、あわてて掃除している真最中に、誰かが来た。「どなたですか?」「××です。×××できました」「今忙しいです」「少しでいいんです」「時間無いです」…戸も開けなかった。・・さらに10ヶ月ほどしたある日、不意に、あの時来たのは、あの子だ!と気づいた。何かをいいに来た筈だ。少し迷ったが電話してみた。
「お正月一度帰ってきました。仲間の人と一緒で、親とは話もしません」「一人息子さんなのにね」「もう、いないものと諦めました」「辞める意思は無いようですか?辞める意思があって、こられたのではないかと思いまして。電話しました」
彼は北京大学に留学していた。「さよなら」をいいに来たのだ。あの時。北京大学という選択は自分の意思だったのだろうか。(原子力の研究・・・?)

彼がそれを言い出すまで3度ほど電話がかかってきた。2度目からは家でなくUビルで会って時事問題やらお互いの日常生活の話を90分ほどした。4度目も彼は切り出せなかった。話が進まず私が3分ほどで帰ろうと立ち上がった時、彼は意を決してその言葉を口にした。否口にしたのではなく、いきなりパンフを見せた。・・
「お金全部吸い上げられて、どうして生活してるの」
「生存ギリギリです。信仰心がないとおかしくなります」
「そのお金、どこへ行ってどう使われてるのか、しってるの?」
「・・・」
「例の抽選みたいな結婚式もしてるの?」「はい」「奥さんはどこにいるの」「いまニューヨークです」「どうして一緒にいないの?」「信仰上の結婚ですから。僕も以前ニューヨークで活動していました」「奥さんと一緒に?」「いいえ、お父様と一緒に」
まじまじと顔を見た。悪くない。狂信者の目でもない。むしろ澄み切っている。前途も明るい筈なのに。
「せめて、これだけでも目を通してください」
「教義ぐらい、一から自分で考えなくっちゃ。信仰はready-made思考。貴方ほどの人が他人に考えてもらうようじゃ、いくらお父様にでも・・」
「あっ、それもよくお父様に言われます。自分で考えろって」
私はケンモホロロを演じた。彼は迫った。私は日ごろ練習しているNO!を日本人としては苦手なNOを、明白なNOを態度で示した。それでも彼は取り縋った。両手で私の腕を取り押さえて、行かないでくれと。私はそこに彼の孤独を見た。迷っているのではないか。心にもう親も無く、結婚はしても触れ合いもせず、けれども組織の中心部にどんどん吸い寄せられていく自分に、不安を感じているのではないだろうか。逆洗脳。足抜き。一瞬頭を過ぎった。しかし彼の人生、彼の判断と選択を尊重しなければ。暖かい他者の無言の肯定の眼差しが、どうしても欲しいだけだろう。それにこの青年と存在を賭け、心の強さの綱引きをしたら、おそらく私が負けるだろう。信仰とは何度も逆揺れしては、その都度強化されるものだから。
約1年後扉の向こう側で、彼が名を名乗った時、全く思い出せなかったのは、T教会の青年としてのイメージがこの時固定し、彼個人の名前が消えてしまったからだった。

北京からこの先、何処へ続くのだろう。彼だけのShining Path(輝ける道)彼だけのセンデロ・ルミノソ。願わくば、なんとか国のかんとか開発に知らずに関与させられることのないように。仕掛けのある城を造った後の大工のようなdead endに行き着く道でないことを、切に祈っている。さようなら、原子力の頭脳を持った志ある日本の青年。

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「可愛いトンキン娘 La petite Tonkinoise」 par
Josephine Baker. 私が東銀や、ドイチェバンクやソシエテ・ジェネラルと下手なフランス語で交渉している頃、ParisにはまだJosephine Bakerの死の報道の余韻が色濃く残っていた。


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