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コンテンポラリーアート


コンテンポラリーアート 2004年7月17日 (Sat) 18:20:49

詩画展の頃好きだったのは、ジョン・ケイジ(現代音楽)クセナキス(現代音楽)ジャックソン・ポロック(現代美術)ロバート・ラウシェンバーグ(現代美術)アルビン・エイリー(コンテンポラリー・ダンス)モーリス・ベジャール(コンテンポラリー・ダンス)そしてジョージ・シーガル(現代美術)。私に石膏制作の技術があれば詩画展にシーガルの一体のようなものを展示したかった。Conceptualでなく具象が欲しかった。
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音楽は抽象的だ。その分言葉に勝てるような気がする。詩は究極のところ音楽を目指したいのだ。伝達性から解放された抽象詩。音楽は抽象的である分、数学的でかつ哲学的でもありうる。クセナキスの音楽などイコール数学であり物理だ。そしてギリシャ哲学かもしれない。

詩画展の頃、西梅田の確かサンケイビルにアメリカ文化センターがあった。そこの視聴覚コーナーに行っては、コンテンポラリー・ミュージックとコンテンポラリー・ダンスのフィルムを見ていた。そこは宝庫だった。東京の現代音楽際にもよく通った。ワクワク楽しいのだが、直後が危険だ。”間(マ)”に打ちのめされて頭も心も原始に帰ってしまう。言葉や意味を剥奪されてしまう。
肉体への意識を覚醒させたくてコンテンポラリーダンスを見るのだが、あまりにも観念的だった私は、いつも惨めに自分の肉体存在を見失ってしまう。価値を見出せなくなり、しまいには息の根を止められてしまう。考えてみれば、そのパワーこそコンテンポラリーダンスの魅力だ。パワーに圧倒され自己否定と自虐に駆られて、また見たくなる。タナトスの誘惑。それが一巡して、時にエロスの喚起となる。

問題は一体何が”一巡”の原動力になっているのか、だ。

言葉や意味を剥奪され、原始に帰る、その過程の”危険”こそが、原動力のような気がする。この危険に充分拮抗出来るのは”魂の生命力”しかない。ゆえに”魂の生命力”が衰えれば、危険に拮抗出来なくなり、原動力も失墜する。一巡が不能となり、遅かれ早かれ、やがてはタナトスの手中に落ちる。
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コンテンポラリー・アーティストは、大胆にも神に催眠術をかけようとするスーパーマジシャンだ。人々はその透きに一瞬の至福を盗もうとする盗人だ。その透きに運命のDNAを書き換えてしまえ。
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「Cet enfant que je t'avait fait」
Brigitte Fontaine & Jacques Higelin
残念ながら決して日本人には、発想さへ出来ない曲。

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