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ホメイニ万歳!

ホメイニ万歳! 2004年9月4日 (Sat) 18:51:39

ABDIは現在行方不明の友達だ。正式の名をABDOL・HUSSEIN・FARROKH(アブドル・フセイン・ファロッホ)という。

初めてパリに行った時東京の代々木のユースで知り合ったSabine Raffyの家に、フラリと行ってみた。Sabineはストラスブールのセカンドハウスに行っていて、お母さんは手術で入院中。お手伝いさんが16区の重い扉を開けてくれた。お手伝いさんが病院に電話する。受話器の向こうにお母さんの声。
「サビーヌがあなたのお国で楽しい思い出を沢山持って帰りました。あなたのご親切は娘から聞いております。あなたとあなたのお国に感謝申し上げます」そこまで言われるとまるで外交官になった気分。「私は入院中で失礼いたします。ABDIにあなたのお相手をさせましょう」・・
誰もいないと思ったのにABDIという青年がガウンを羽織って現れた。色が白く目が大きく顔も大きく王子様の雰囲気がある。Sabineはイラン系フランス人。ABDIはまんまイラン人。親同士が友達でABDIがSabine宅に下宿?していた。
ABDIの部屋に入ると音楽が好きらしくレコードが沢山ある。ミレイユ・マチューのファンで、一緒にLPを聞いた。
「Acropolis Adieu」なかなかいい曲だ。ABDIと聞くとPersepolis Adieuに感じる。壁にはイランの細密画が掛かっている。ABDIの親戚の高名な画家が描いたものらしい。他にも元、元帥の叔父さんがいると言った。イスラムのカレンダーも見える。イスラムのカレンダーはキリスト式からマイナス622した年号になっている。ヘジラ(マホメッドがメッカからメディナへ逃亡した年)がイスラム元年に当たる。
アケメネス朝やササン朝の話をしようと思ったが、フランス語でどう言えばいいかわからず、日本語でそのままササン朝と言ったら通じたので吃驚した。聞き手の配慮があれば言葉は通じる。調子に乗ってダリウスやシリウスの話題を出したら、とても喜んでくれた。あとでSabineに聞いたらABDIは熱狂的愛国者なのだそうだ。「フランスに居るのにイランのことばかり話す」・・確かに。2度目に来た時はABDIと何度も会ったがいつもイランの話をした。テヘラン、イスファハン、シラーズ、タブリーズ、ハマダーン、地理に弱い私まで、イランの地理に強くなるほど。「イスファハンは世界の半分」パーレビのことは、シャーハンシャー,王の中の王、だと言った。
ホテルまで送ってくれた。「ワインをどうぞ」と言ったが、宗教上アルコールは飲まないと言う返事が来た。
フィーリングでいえば、親兄弟よりもずっと近くに,きわめて近くに感じられ、それでいて誰よりもくつろげる青年だった。?

2度目の時はシャンゼリゼ、モンマルトル、モンパルナス、ヴァンセンヌ、ブローニュ,あちこちに一緒に出かけた。沖至が出演した小劇場にもABDIと行った。私の部屋にも何度も来た。一人息子を一人にしておけないと(?)その時既に両親も兄弟も全員Parisに移り住んでいた。家にも招待してくれた。
「どうして家族でParisに移り住んだのですか?」
「ABDIの教育のためです」ええェ!!吃驚した。お父さんもお母さんも薬剤師としてParisで働いていた。薬学や化学は昔からイスラムの方が進んでいた。伝統があるのだろう。?

写真を見せて、これがテヘランの家だと言った。今はアメリカの軍人に貸している。「その人はアメリカ人らしく3度も離婚したんだよ」「僕は将来ジャーナリストになりたいんだ」と言った。アメリカには一目も置いていない。「Bruxellesはどうして原爆を落とされたのに、そんなに親米でいられるのか」と、やはり聞かれた。音楽好きなABDIはよくテイプやレコードを送ってくれた。全部イランの曲。あるテイプの中の1曲には、イラン人女性歌手が歌うバルバラの「いつ帰ってくるの」もあった。

1978年、イランのことがいきなり新聞のトップに躍り出た。誰も予想しなかったイスラム革命が勃発したのだ。心配になって久々に連絡を取った。自分の名義で家を買ってもらったと言う連絡が来ていた。13区のLa Tour Tokio(東京タワー)という建物に住んでいる筈だ。返事が来た。
お父さんが病死したことが書かれていた。イスラム教では死は天国への旅立ちで少しも悲しむべきことではない。祖国のために自分も今、身を捨てて役立ちたい、とあった。帰国するつもりか?
元、元帥の親戚がいたことが気になった。アメリカ軍人に家を貸していることも。つまりは旧体制派に違いない。ひっくり返れば殺されるかも知れない。
「身の危険を感じたら、日本に来るように」と書いて出した。
返事が来た。一番最後に、私の意表をついて「ホメイニ万歳!」とあった。年配の友人に相談すると「検閲があるから、無理に書かされているに違いない」という意見だった。どちらの側なのか?シーア派イスラム教徒のABDI、ジハードという言葉の前に、祖国のためなら、いつでも命を捨てるだろう。

1979年3月ホメイニ師の新政権はイスラム共和国宣言を発し、12月イスラム共和国憲法を制定した。イランは一気に過激になる。
11月アメリカ大使館占拠、1980年9月から8年間にわたるイラ・イラ戦争に突入。いつの間にか革命の輸出国と呼ばれるようになる。アメリカに敵対しただけでなく、イスラム世界においても孤立してしまう。1988年イランは力尽きて国連の停戦決議を受諾。ひりひりした歴史の先端から身を沈めた。

ABDIから返事は来ない。La Tour Tokioの電話は未知の人に繋がる。ABDI,ou es-tu? qu'est-ce que tu fais maintenant?

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Joe Dassin 「L'ete indien」
痺れるほどに素晴らしい曲。Joe Dassinの魅力満開

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