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バケツの水が頭から


バケツの水が頭から 2004年9月8日 (Wed) 18:51:54

サイトからプリントアウトした一人の人の写真をもう一時間以上もじっと見つめている。ー

カウンター付近に小さな人だかりがある。近づいて行くと「あっ、外人だ」と言う声がする。まさか、私のこと? 成り行き上成りすますことにする。英語で手続きの申し込みをする。係りの人は国籍日本のユースホステルカードを見せているのだから、判っている筈なのに、口を合わせて、おまけに私を外人用の部屋に振り分けた。私が部屋に行こうとすると、その人だかりが全員ゾロゾロついて来る。いくらサングラスで目を隠しているとは言え日本人かどうか判らないのだろうか?仮に外人だとして、そんなに珍しいのだろうか?

先着者に挨拶して荷を解く。うっかり忘れて、私を見物に来た人達に言った。「今日は暑いね」・・。「日本語しゃべれるの?」吃驚している。そんなに吃驚しなくても。「だって日本人だもの。ほら」サングラスを取る。「なーんだ、日本人か」口々に言って、さっさと部屋から出て行った。

自動販売機でコーラを二本買って、一本を一番近いベッドの子に渡した。「いくら?」「要らない」

「何国人?」から話が始まった。・・
「あと4日で国に帰れる、家族に会える。とっても嬉しい」「家族に会うのがそんなに嬉しいの? よっぽどいい家族なのね」「そう」
「お金を使いすぎて、もうこれだけしかないの。そしてついにユースに来たの。明日もここよ」「私も明日もここ」
「パリからイスタンブール、カトマンズ、そこから東京まで飛行機で」「オリエント急行とアジアハイウェーね。じゃ長い旅なのね」」旅行は男友達と一緒にスタートしたのだと言う。
「カトマンズって、素晴らしかったわ。最高に感動したわ。教授資格試験に合格した記念旅行なの」「教授資格試験って、あのサルトルやボーボワールと同じ資格の?」・・
聞けば、論文はマラルメ研究。私も手に持っていた新聞を見せた。「日本語だけど、ここに私の作品(小説)の批評が出てる。読んでみるから聞いてね」日本語の新聞を英訳しながら音読した。「タイトルがカッコいいでしょう。Retournons Mes Anges d'amourってところかな」

次の日。「今日は昨日知り合った日本のサラリーマンが仕事を休んで一日東京案内をしてくれた。おかげで何とかお金がもちそう」「私は今日は文芸評論家(小川和佑氏)の出版記念会で、ヒルトップホテルに行って来た」・・
その夜、夕食のあとだった。彼女が一気に旅のこと、胸の内を打ち明けたのは。

彼のこと信頼していたし愛していた。私も彼が初めてで彼も私が初めてだった。(えぇェ、そんなフランス人がいるの?)2人とも勉強ばかりしていたの。ある日彼が突然打ち明けたの。昨夜,他の女と寝たって。そんな話が彼の口から出るなんて夢にも思わなかった。バケツの冷たい水を頭からかけられた思いがしたわ。(気づかなかったの?)全然。相手は中国女。一日に何度も服やアクセサリーを付け替えるチャラチャラした女よ。男を四六時中物色している女。彼は女性経験があまりないからクラクラきたのね。ショックだった。何故そんなことができるのか私にはわからない。(話し合ったの?)彼がしたいと思うのならすればいいのよ。一人の中から一人として選ばれるより、多くの女を知って、その上で選んでくれるほうがいい。(彼はどう言ったの?)僕が間違ったことをした。だからこのまま一緒に旅を続けるかどうか、君が決めてくれって。一度芽生えた不信、どうしようもなかった。一緒にいたいけど、一緒にはいられない。それで途中で別れた。それから一人。(パリに戻ってからどうするつもり?)わからない。お互いまだ好き同士なんだけど、前のようには戻れない。自分の気持ちをどう整理するか。(一時の気の迷いでしょ。そんなことで別れたら、後悔すると思う。やり直したら)出来たらそうしたいけど、出来るかどうか。?

半月後に手紙が来た。「仲直りできました」
さらに半月後「今ずっと年上の作家と同棲しています」

翌年Parisに行った時は、彼女はストラスブールに行っていた。さらに2年後の時は、私がすぐに盗難にあい、連絡を取るのが遅れた。日本の友達が緊急援助金を送ってくれ、とりあえず一息ついた時点で連絡した。

彼女はSylvainという青年とパリ郊外の手作りの家に、もう一組のカップルと4人で小さなコミューンのような暮らしをしていた。私はそこへ出かけた。SylvainはLenormanに似た感じのいい青年で私にもいろいろ気を配ってくれた。ただSabineが「Bruelles、実は私、あの時の彼のことをまだ愛しているの」と目で合図した。私が近視なのを思い出して、近寄って「昨日、今アメリカにいる彼から手紙がきたの」と耳打ちした。嬉しそうだった。私もいづれアメリカの大学で教えることになると思う、そしてそう言った。その夜はコミューンで寝た。一度Sabineの16区の家に正式ディナーに招待されたが、Sabineとはそれきり会っていない。

ABDIのことを日記に書いた日、Sabineが話した中国女のことをふと思い出した。叶姉妹のような中国女だったのだろうか。Sabineが話していたフランスの教育制度について、調べたくなってインターネットであたってみた。知りたいことが出てこない。いっそのことSabine Raffyと入れてみようと、ふと思った。すぐに沢山HITして吃驚した。BostonのWellesley Collegeでフランス文学を教えていた。Aix-en-Provenceでも教鞭をとっている。Nathalie Sarraute(ナタリー・サロート)の第一級の研究者になっていた。予測出来たこととは言え、かなり驚いた。
Chambre d'echosという出版社から「Le Tapis de memoire 」という物語を一冊出版していた。Sabine,すごいじゃない。さらに検索を進めた。・・

http://www.wellesley.edu/PublicAffairs/
WellesleyWeek/Archive/2000/ww100900、をクリックして、今度はバケツの冷水が私の頭にぶちまけられた。

Professor of French Literature and Cultural Studies,died on September 27,2000 in France.(略)She was a very popular professor and will be missed by both her students and her colleagues.(略)

http://www.chambrechos.freesurf.fr/raffy-echos.html
にLe tapis de memoireの紹介が出ている。Sabineの写真があった。面影しかないが、面影がある。ずぶ濡れの気持ちが乾くまで、まだ何時間もこの写真を見続けるだろう。

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Gerard Lenorman 「ON A VOLE LA ROSE」


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